偽装が良い悪いの議論で止まってはいけない。それは良くないに決まっている。では、良くないことが(リスクを冒してでも)これだけ普遍的だったのはなぜか、そしてそれがなぜ今の今まで全然バレずにいたのか?という発想のほうが重要だとぼくは思う。
— 岩田健太郎 (@georgebest1969) 2013, 11月 7
岩田先生のこのtweetを読んで、僕もあらためて考えてみたんですよ。
「なぜ食品偽装が、こんなに普遍的だったのか?」って。
これだけ長年偽装が行われてきて、それが「偽物」であるということに気づいた人は、ほとんどいませんでした。
有名ホテルの調理場に立っている人たちにも、あんまり罪の意識はなさそうにみえます。
しかし、「どうせお客も違いなんてわかんないんだから、黙っていればいいんだよ。すごいブランド食品を食べたつもりで良い気分になっていたほうが、幸せなんじゃない?」なんて言われれば、やっぱり腹立たしい(もちろん、こんなことを表立って言う人はいませんが)。
最近はもう、あまりにもみんなが手を挙げすぎて、収拾がつかなくなってきているようにすらみえます。
いっそのこと「偽装していない人が、手を挙げてほしい」くらいです。
昨日は、こんな記事もみかけました。
食材偽装:西日本高速のサービスエリア内9施設でも(毎日jp)
九州道・広川SA(福岡県広川町)のレストランでも、サイコロステーキで牛脂注入肉の使用を表示しなかった。
正直、このニュースをみたときには「そのくらいのことはやってるだろうなって、言われなくてもみんな予想していたよ……」と思ったんですよね。
あの値段で、「本物」の牛肉のサイコロステーキが出てくることを期待している人は、そんなにいないはず。
そういうのは「暗黙の諒解」なのでは。
これで「けしからん!」と腹を立てた人はあんまりいないと思います。
今回の話で最もがっかりしてしまったのは、ホテルのレストランのような、「これだけ値段が高いのだから、ちゃんとした食材を、ちゃんと料理しているんだろうな」という店でも、「偽装」が行われていたことなのです。
僕自身の感覚としては、安い店が代用魚を使っていたり、サイコロステーキに牛脂を入れていたりするのは、まあしょうがないな、なんですよ。
まあ、安くてそれなりにおいしければ、「プランドもの」じゃなくても構わないかな、と。
ところが、「値段が高い=信頼性が高い」という公式が成り立たないとするならば、何を信頼の基準にすればいいんだ?と困惑してしまうわけです。
世の中って、難しいよね。
値段と信頼性は、一般的には比例するはずだとみんなが信じている。
ところが、こういう「そうじゃない例」が出てくると「じゃあ、高いものを買う必要性はどこにあるんだ?」と疑問になってくる。
自分がいままで使ってきたモノサシが通用しないことに対して、どうすればいいのか?
値段=信頼性、安全性という公式が完全に成り立っていれば、あれこれ悩まずに済むんだけどねえ。
こういう話が出てくるから、「高くても信頼できない」し、逆に「安くても信頼できるものが、本当はあるんじゃないか」と期待してしまう面もあって。
さて、前置きが長くなったのですが、今回の食品偽装問題のことをあれこれ考えていて、僕は「ウミガメのスープの話」を思いだしたのです。
どんな話なのか、佐藤雅彦さんが著書『毎朝新聞』で紹介されているものを引用します。
「海亀のスープ」という名前の、とても面白い推理ゲームがある。マサチューセッツ工科大の学生が作ったと言われているこのゲームは、通常数人のグループでおこなわれる。「海亀のスープ」の話の真相を知っているひとりの人間が出題者となるのだが、まず出題者はほかの参加者全員に対して、この話の悲劇的な結末だけを伝える。
ここからゲームは開始する。なぜ、そのような悲劇的な結末をむかえたのか、参加者は推論して、出題者に次々と質問する。
この質問の方法、ここにこのゲームの最大の特長がある。それは、『質問は無限にしていい』ということだ。
その悲劇的な結末を、かいつまんで言うと、幸せに暮らしているある中年の夫婦がその年の結婚記念日に、海の見えるレストランで豪華な食事をはじめる。そして、最初に運ばれてきた海亀のスープをひとくち飲んだとたん、夫はテーブルの上にあったナイフを自分の心臓に突き刺し、死んでしまうのだ――。
なぜ海亀のスープをひとくち飲んだだけでその男が自殺をしてしまったのか。様々な憶測が飛びかい、様々な質問が出題者に向けられる。
出題者は、質問すべてに対して、イエス・ノーで答えなくてはならない。参加者達は、そのイエス・ノーの答えだけを頼りに、ストーリーの全貌を予測していく。解き明かすまでの、1回限りのゲームである。
この話、どこかで聞いたことがある、という人も多いのではないでしょうか。
僕がこれをはじめて知ったのは、以前ニンテンドーDSでヒットした『スローンとマクヘールの謎の物語』というゲームのCMでした。
ゲームのなかで、この問題が採り上げられていたのです。
さて、この夫が自殺してしまった理由、おわかりになりますか?
以下は「ネタバレ」なのでいちおう隠しておきますね。
これ、ニンテンドーDSで解いたとき「テレビCMで紹介された問題としては、あまりにも残酷なのでは……」と絶句してしまったので、よく覚えているのです。
もちろん、この問題文だけで「答え」がわからないのが当然です。
ゲームのなかでも、質問と「はい」「いいえ」のやりとりを通じて、「答え」が浮かび上がってくるようになっていますから。
で、答えはこちら(『ウミガメのスープ』/ニコニコ大百科)を参照してください。
【解説】
男は船に乗っていた。
ある日、男の乗る船が遭難してしまった。
数人の男と共に救難ボートで難を逃れたが、漂流の憂き目に。
食料に瀕した一行は、体力のない者から死んでいく。
やがて、生き残っているものは、生きるために死体の肉を食べ始めるが
一人の男はコレを固辞。当然、その男はみるみる衰弱していく。
見かねた他のものが、「これは海がめのスープだから」と偽り
男にスープを飲ませ、救難まで生き延びさせた。
しかし、レストランで明らかに味の違う
この 「本物の海がめのスープ」に直面し
そのすべてを悟り、死に至る。
ちなみに、ニンテンドーDS版では男は家族と漂流したことになっており、「海亀のスープ」は、「衰弱して死んだ自分の息子(の肉)だった、という話になっていました。
(原作より、さらにいたたまれない感じになってますよねこれ……)
僕はこの答えを知ったときに、思ったのです。
この男が「自分の息子を食べて生き延びた」ということは、それを「海亀のスープ」だと思いこんでいようが、「人間の肉」だと知っていようが、変わりないわけです。
でも、その事実を知ってしまったがために、男は、罪の意識にさいなまれてしまった。
同じことをしていても、もし知らずにいたのなら、男は、ずっと幸せでいられたはずなのに。
「知る」っていうのは、怖いことだな、と。
今回は偽装といっても、食べられないようなもの、あるいは人間にとっての禁忌や、嫌悪感を抱かせるような食材は使われていなかった(と信じたいところです)。
でも、あらためて考えてみると、僕みたいな味オンチは基本的に「出されたものを、そういうものだと信じて食べる」しかないわけです。
美味い不味いはありますが、産地がどうの、細かい品種がどうの、というところまでは、鑑別しようがないのです。
ただ、それは幸福なところもあるのです。
「食べる」って行為には、ある種残酷な面もある、必ずある。
子どもの頃、「牛さんがかわいそう」「お魚さんがかわいそう」で、肉も魚も食べられなかった僕は、そんなことを考えずにはいられません。
(いまは当時の分を取り戻すくらい、肉も魚も食べているんですけど)
「あまりに正確な食べものの由来」を突き詰めていくと、いつか『海亀のスープ』みたいな悲劇に直面するかもしれません。
「細かいことはよくわからないけれど、おいしいね、これ」くらいがいちばん幸せな領域なのかもしれないな、なんて、思ったりもするんですよね。
一度気になりはじめたら、もう、後戻りはできないだろうけど。
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