いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ゲームセンターCX 有野の挑戦 in さいたまスーパーアリーナ 20周年大感謝祭』に参加して、生き返った気がする。


yoikoarinoshinya.hateblo.jp


 眠れなかった夜に、地上波で深夜に放送されていた『プリンス・オブ・ペルシャ』の回を観て以来、僕はこの番組と有野課長の大ファンなのです。

 「有野課長」こと、よゐこ有野晋哉さんが、レトロゲームのエンディング画面に到達することを目指して、何時間、ときには何十時間もプレイし続けるこの番組、いまやYouTubeでは定番となっている「ゲーム実況」の祖とも言われています。20年前と言っても、最初は有名ゲームクリエイターへのインタビューがメインの番組で、番組内の1コーナーだった「有野の挑戦」が主役になるのは、番組がはじまってしばらく経ってからのことでした。

 それにしても、20年か……僕と有野課長は、ほぼ同級生であり、課長やスタッフ、ADさんたちが自分と一緒に歳を重ねていく姿には感慨深いものがあるのです。番組の3代目AD、浦川さんに有野さんが「がんばれよ」って言葉をかけているのをみて、この20年に僕自身と浦川さんに訪れた様々な春秋を思い出さずにはいられませんでした。有野課長も僕も老眼に悩まされているし、番組開始の頃に「最新ゲームハード」だったものが、どんどん「レトロゲーム」になっていく。20年前だったら、プレイステーションセガサターンのゲームは、まだ「ちょっと懐かしい」レベルで、「レトロゲーム」とは言い難かったのに。

 僕は長年、気分が落ち込んだときや一人の隙間時間を楽しみたい時に、『ゲームセンターCX』を観続けてきました。
 そんな親の影響を受けて、子どもたちもこの番組が大好きになりました。

 現在、『ゲームセンターCX』が主戦場としてきたCS放送の現状は、かなり厳しいものになってきているとも感じています。
 Amazon PrimeVideoやNetflixで多彩な番組が定額で見たいだけ好きな時間に楽しめ、地上波TV番組も、軒並み視聴率や影響力が下がっている時代に、有料のCS放送が斜陽になってくるのは致し方ない。
 僕も『ゲームセンターCX』を観るためだけに、いまだにスカパーに加入し続けているのです。


 そんななかで、『ゲームセンターCX』もYouTubeチャンネルを開設し、動画配信へ舵を切ろうとしているようにも見えます。

 フジテレビも、スポーツ、コンサート中継と並ぶ、CS最後の砦ともいえるこの番組を『フジテレビFOD』で配信していくようです。
 今回の、埼玉スーパーアリーナでの『20周年大感謝祭』も、期間限定で有料配信されることが決定しています。

www.famitsu.com


 前置きが長くなったのですが、今回のさいたまスーパーアリーナの「有野の挑戦」、僕は会場に着くまで心配だったんですよ。
 この動画配信サービス時代、ゲーム実況動画も濫立しているなかで、番組の「勢い」も昔ほどではないと感じるなかで、前回、5年前の幕張メッセの1万人よりもキャパシティが大きい、さいたまスーパーアリーナに人が集まるのだろうか?


fujipon.hatenablog.com


 5年前の幕張メッセでの生挑戦があまりにも楽しかったゆえに、今回は、「GCCXの斜陽」を痛感させられるイベントになるのではないか……

 
 朝10時半、物販に並んでいる人の数を見て、驚きました。えっ?開場14時なのに、こんな時間から、グッズを買うために、こんなに大勢の人が並んでいるの?
 結局、僕が買いたかったグッズは2種類くらい、11時にはすでに完売になっていて買えなかったのですが、人が集まるのだろうか、というのは僕の杞憂でした。
 子供から大人まで、本当にたくさんの人が、さいたまスーパーアリーナに、ひとりの「ふつうの上手さのゲーマー」のプレイを観るために集まった。
 その数、1万5000人。

 20年前、「友達でもない、他人がゲームをやっているところを見るだけなんて、何が面白いんだろう?」と僕は思っていました。
 でも、その後の世の中には「観ることを楽しむ人たち」が増えていったのです。それは、テレビゲームに限らず。

 有野課長ソーダ・ポピンスキーの因縁の対決、昔、サポートADにクリアしてもらった超高難易度のステージへの自身での再挑戦。
 そして、菅剛史プロデューサーが「こんなに大勢の人の前で、このゲームがこんなに長時間プレイされることは二度とないはず」と仰っていた『東京バス案内』。
 緊張と緩和、落胆と歓喜の連続。有野課長のコメント力、スタッフへの絶妙なイジり。


 5年前、幕張メッセのときも驚いたのです。

 テレビで放送されている『ゲームセンターCX』のイベントって、面白いところだけを上手く編集しているんだろうな、これはもう編集力だよなあ、と僕は思い込んでいました。
 でも、現場にいると、本当に編集でカットされる場面がないんですよ。休憩時間とか以外は、ほとんど編集なしで見せても、ダレるところがない。
 もちろんそれは、僕自身がこの番組の長年の大ファンで、歴代ADたちの現在の姿や課長とのやりとりを見ている、聞いているだけで嬉しくなる、というバイアスがあるのだとは思います。
 昔のADさん、東島さんや笹野さん、浦川さんが歳を重ねながら、いろんな人生を送りながらも、今、この瞬間に、長年の視聴者たちと同じ空間にいるのは、「同窓会ってこんな感じなのかな」と、リアルの同窓会には全く出席したことがない僕にも感慨深いものがありました。
 人と人とは、お互いを知りすぎていないから、袖擦り合わせるくらいの縁だから、その存在を素直に受け入れられ、幸せを願えることがあるのかもしれませんね。


 挑戦の結果や詳しい内容については、配信が予定されているということで固く口止めされており、ここでは書きません。
 書かないけれど、この番組のことが好きで、今回のさいたまスーパーアリーナには行けなかった、という人がこれを読んでいれば、ぜひ、FOD(フジテレビオンデマンド)で、ノーカット配信を観てほしい。3000円かかるけど、長年のファンにはそれだけの価値はあるはずです。

 コロナ禍の影響で、5年前のような客席とのやり取りは少なめでしたし、「有野課長が難関ゲームに挑戦し、それを一喜一憂しながらみんなで見守っている状況」を体験するという「原点回帰」を意識したステージだったと感じました。
 他人がゲームをプレイするのを見ているだけ、のはずなのに、なんでこんなに面白いのか、そして、見ているほうも緊張してしまうのか。4時間があっという間に過ぎてしまうのか。

 主役はもちろん有野課長なのだけれど、同好の士・1万5000人と歓声や溜息を共有できるのって、こんなに感動的なのか。
 ああ、人が集まるって、それだけですごいことなんだな。
 僕は、とりあえず、声出しができる世界に、還ってきた。



 5年後も、みんな元気で、また会えるといいなあ。
 そんな温かい感情と同時に、この5年間でいなくなってしまった人たち、テレビゲームどころではない人たちのことも、思い出しました。
 そして、そんな世界、人生だからこそ、「娯楽」は必要なんだよね。


 今回、4年ぶりに旅に出て外泊し、このイベントに参加したのです。
 5年前の幕張メッセでの有野課長との「次はさいたまスーパーアリーナで会いましょう」という約束を果たすために。

 イベントが終わって、ホテルの部屋でチューハイを飲みながら、僕はなんだか心がほどけていくような気分になりました。
「楽しい」と思う気持ちが、まだ自分にはあるんだ。楽しいことに、お金を使ってもいいんだ。

 新型コロナの感染が拡大して、ステイホーム生活がはじまり、外出もできなくなり、マスクをつけているのが当たり前になりました。
 僕の場合は医療が仕事なので、感染予防、感染拡大防止のために細心の注意を払ってきたのです(とはいっても、僕も感染して10日くらい休んだこともあったんですけどね)。

 もともとインドア派でもあり、野外活動や飲み会を堂々とスキップできるなんて、かえってストレスフリー!と自分では思っていましたし、どうせなら極力お金も使わず、投資とかもして、貯蓄に励もう、無駄遣い厳禁!と自らに緊縮財政を求め続けてもいたのです。

 自分は、そういう「仕事・貯蓄優先で日々を過ごすだけのインドア生活」で、けっこう満たされていると思っていました。

 でも、今回、久しぶりに旅をして、さいたまスーパーアリーナで『ゲームセンターCX』のイベントに参加してみて、ようやく、この4年間で疲れはてていて、生きている実感を失いつつあり、「50過ぎれば人生なんて消化試合なのが当たり前なのだ」と自分に言い聞かせてきたことに気がつきました。

 僕は、楽しく生きようとすることを、自分からやめようとしていた。


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 この本のなかで、著者はこう述べています。

 ぜひ思い浮かべてみてください。あなたは、コンサートホールにすわって、大好きなシンフォニーの大好きな小節が耳に響き渡っているところです。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれているとします。そこで、想像していただきたいのです。心理学的には不可能でも、思考実験は可能だとおもいます――その瞬間にだれかがあなたに「人生には意味があるでしょうか」とたずねるのです。そのときたった一つの答えしかありえない、それは「この瞬間のためだけにこれまで生きてきたのだとしても、それだけの甲斐はありましたよ」といった答えだと私が主張しても、みなさんは反対されないと思います。
 けれどもまた、芸術ではなく自然を体験した人にしても、おなじことでしょうし、ひとりの人間を体験した人にしてもおなじことなのです、ある特定の人を目の前にして心を捉えるあの感情、言葉で表現すると、「こんな人がいるだけでも、この世界は意味をもつし、この世界のなかで生きている意味がある」とでもいいたくなるような感情は、だれもがよく知っています。


 「ずっと幸せ」ではなくて、「ほんの一瞬」かもしれないけれど、「楽しい」とか「美しい」とか「良かった」と思える少しでも時間があれば、そのために生きるのも「あり」ではなかろうか。むしろ、その楽しみを見出すのが、生きる、ということなのかもしれません。


 もっと、自分を、生きていることを楽しんでもいいんじゃないかな。どうで死ぬ身の一踊り。


 まあ、3日くらいしたら、「やっぱり仕事めんどくさいなあ……」とか言っているんですけどね、まちがいなく。



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