いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「なぜパチンコ店に若者がいなくなったのか?」を考える


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 僕自身、ものすごくパチンコにハマっていた時期があったのです。


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 最近も、ひとりの空き時間ができると、つい立ち寄ってしまうこともあるし、行こうかな、いやそれなら映画のほうがお金もかからないし、ブログのネタにもなるし……と逡巡することもあります。


 たしかに、若い人はいなくなりましたよね、パチンコ屋。
 ひと昔前は中高年はパチンコ、若者はスロットという棲み分けもされていたのですが、今はスロットが6号機という、あまり評判がよろしくない(僕はスロットはやらないのでよくわからないのだけれど、「あまり出ないし、面白くない」と言われているようです)機種が多くなっていることもあり、パチンコ・スロットの遊戯人口は激減しています。


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 2020年は新型コロナウイルスによる閉店期間の影響があったとしても、上記のデータをみると、2001年には2000万人いた遊戯人口が、いまや800万人台。半分以下に減ってしまっているのです。
 
 これを読んでいる人の7~8割くらいは「それの何が悪いの?むしろ『良いこと』じゃないか」と思っていらっしゃるでしょうし、僕も他人に薦めたい娯楽というわけではないので、致し方ないかな、とは思っているんですよ。

 まあしかし、これだけの「産業」が斜陽になり、まだ続けている人(依存症の人たちも含めて)から、業界の利益を維持するために、どんどん一人当たりの負け額を増やすような状況になっていくのは、けっこう怖くもあるのです。
 もうこれは、早く足を洗ったもの勝ち、だとしか言いようがない。


 最近のパチンコの人気機種は、ツボにはまれば連続で大当たりが引けて、ものすごい玉が出るのですが、そのツボに至るまでのハードルがものすごく高くて、1玉4円で打って1時間1回も当たらなければ(そんなに珍しいことではありません)、1万5000円くらい失われます。
 せっかく当たっても、それで万々歳、とはいかない。
 当たりの振り分けの、良い方の50%の当たりなら、運が良ければ大連チャンで1万発、2万発も期待できますが、悪いほうの50%を引いてしまうと、500発くらい出ておしまい、という台も多いのです。

 そういう「のるかそるか」のギャンブル台で短時間勝負をする人か、1玉1円のコーナーで『海物語』の前でおまじないを繰り返す高齢者しかいなくなっている、というのがいまのパチンコ店なのです。

 そういえば、僕がパチンコにはじめて接したのは、大学に入って間もない頃で、部活の遠征先で先輩に連れられて、『ファインプレー』という台を打ったのを覚えています。そのときは負けたのですが、もともと「ゲーム一般」が好きだったのと、「ひとりでいられて、それでいて周りには人の気配がある」というのはなんとなく居心地がよくて(当時はけっこう勝つこともありましたし)、頻回に行くようになったのです。
 当時は、「最初に付き合いで行ったときにビギナーズラックで大勝ちして、それでハマってしまった」という人も多かったし、大学の先輩後輩にも、「ちょっとした悪所通い」みたいなスリルを求めて(中には、パチプロレベルの猛者もいたのですが)、パチンコ屋に行く人が大勢いました。
 「酒とタバコとギャンブルは男の通過儀礼」みたいな時代だったんですよね、いまから20~30年前くらいは。
 それを考えると、世の中はだいぶ変わって、それでいて、自分は変われていないなあ、なんて思うこともあるのです。

 ネットで「セクハラ男」のエピソードをみるたびに、「ひどいやつだ」「常識をわきまえていない」と感じるのと同時に、そういう人たちは、結局のところ、「自分の感性や振る舞いをアップデートできないまま、生きてきてしまったのだろうな」とも思うですよ。

 最近、ラーメン店でのセクハラ行為やオヤジ文体で話題になったライターがいましたが、僕はあの文章を読んで、「ああ、こういう文章って、今でも『週刊プレイボーイ』とか『週刊大衆』ではよく見かけるんだけどなあ……」と思ったんですよ。
 プロフィールをみたら、まさに、そういう「中高年男性がメインターゲットの雑誌に長年書いている人」で、苦笑してしまいました。

 それが良いとか悪いとかじゃなくて、人というのは、自分が生きてきた時代や環境をどうしても引きずってしまうところがある。
 そして、悪気はなくても、時代によるアップデートを怠ることによって、外界から取り残されてしまう。
 個人的には、きちんとゾーニングされていれば、そういう昔の価値観や個人の趣味をひっそり楽しむ人たちがいてもいいのではないか、とは思っているんですけどね。
 あの人が感覚を時代に合わせようとしていたら、ライターとしては「うちの雑誌には不向き」と連載を打ち切られていたかもしれないし。
 かくして、「意識改革」は進まない。むしろ、それを進めないほうが居心地の良い場所がつくられてしまう。

 「政治的に正しいデラべっぴん』」とか(もうとっくの昔に廃刊になりましたが)、扱いに困るよね。
 僕は、男という立場から「男を顔やかっこよさ、センスのよさで値踏みすることに躊躇しない女性誌文化」を嫌悪していましたし。

 冒頭のエントリでは、若者のパチンコ人口が減った大きな原因のひとつとして「若者にお金がなくなったこと」「スマートフォンソーシャルゲームなどの娯楽の多様化」が挙げられています。
 パチンコは「ひとりでできて、あまり人と関わったり、気をつかったりしなくてすむ娯楽」だったのですが、それならソーシャルゲームやネットフリックスのほうがいいや、という若者が増えたのでしょう。家から出る必要さえないわけだし。
 そもそも、「家でひとりで過ごすこと」は、20年前よりも、ずっと快適になりましたし、「ちょっとは外に出てきたら」なんていうプレッシャーも減ってきました。
 あと、パチンコって、一度当たるまでやるとしたら、だいたい2~3時間は必要になるのですが、「当たるまで台の前でボーっとしている」ことに若者は耐えられないのではないか、と思うんですよ。最近はみんなスマホで動画をみたり、ソーシャルゲームをやったりしながら台に向かっているのです。
 それならもう、パチンコやらなくても良いんじゃないか、と気づきますよね。大概負けてお金もなくなるし。
 「ひと勝負に数時間」という「時間感覚」がもう、今の時代には合わなくなってきているようにも思います。


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2014年に出た本なので、少し前の話になりますが、この本では、実際に”ユーチューバー”として稼いでいる人たちへのインタビューや、著者の「YouTubeで再生してもらうための工夫」が紹介されています。
著者は、通勤電車などで、実際にリサーチを行い、ある仮説を導きだしました。

 こういったことを何度か繰り返してふと考えついたのが、「通勤中にiPodで見る動画コンテンツに最適な尺はおよそ90秒」だということです。私自身の体験から得た仮説でしたが、のちにYouTubeや視聴時間の解析などからも裏打ちされ、定説となりました。
 ただ最近では、テレビ代わりにYouTubeを見ている若年視聴者も増えており、90秒では物足りないらしく、「どうしてこんなに短いんですか?」と聞かれることもあります。
 当然のことながら、単純に時間を90秒程度に収めるだけでは見てもらえません。90分の長編映画なら最初の10分で観客を引き込まなければいけないというセオリーがあります。いわゆる「つかみ」です。これが90秒のYouTube動画の場合だと最初の10秒が勝負。動画の冒頭、アバンタイトル(オープニング前に流れるシーンのこと)の段階で、ちらっとオチを匂わせるくらいの勢いが必要です。
 では、90秒を超える尺ではいけないかというと、そんなことはありません。90秒で視聴者が離脱するということであれば、60秒から90秒にかけて起承転結の「転」をあてて、その後が気になるような構成で回避することも可能です。長編映画にしろテレビドラマにしろ、飽きずに最後まで注目できる作品は、それぞれのシーンや話の区切りのなかで山場がちゃんとあるものです。


 「90秒」って、かなり短いような気がしますよね。
 でも、これが「YouTubeで多くの人に観てもらうための最適時間」なのです。
 しかも、「90秒くらいなら、必ず最後まで観てくれる」というわけでもない。
 90秒の動画なら、最初の10秒で、観つづけるかどうか、決められてしまうのです。
 30分のものを90秒ずつ細切れにするような感覚ではダメだ、ということなんですね。


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 TikTokは基本的に短い動画ばかりですし、YouTubeもショート版が流行りつつあります。
 「人の気配があるところで、時間を潰したい」という中高年層には、パチンコ屋は居心地が良い場所でも、インターネットネイティブの世代にとっては、当たるまでに1時間以上もかかることもある(そして大金を失うリスクもある)パチンコ店の時間の流れは、「まだるっこしい」「何が面白いのかわからない」のだと思います。
 とはいえ、「1万円入れて、3秒で結果がわかる丁半バクチ」みたいなシステムのパチンコ・スロット機は今の法律上不可能ですから、「パチンコが今のパチンコから劇的に変化しないかぎり、先細りになっていくのは必定」なのでしょう。
 まあ、劇的に変化させてまで生き残るべきものでもなさそうですし。

 とりあえず、これからは「遊戯人口の減少を、お客一人あたりからの利益を増やすことでカバーしようとする」流れが加速してくるのは間違いないので、老若男女問わず、やめられる人はやめた方がいいし、若い人はとくに、関わらないほうがいいですよ。なんのかんのいっても、けっこう「依存性」はあるから、興味本位でさわったら、やめられなくなっちゃうかもしれないし。

 「若者のパチンコ離れ」というのは、悪いことじゃないし、みんなもっと時間を有効に使ったほうがいいと思う。若いうちはなおさら。
 パチンコという娯楽そのものが、もう、時代に、今の若者のスピード感に合わなくなってきている。

 ただ、個人的には、居場所がなくなった人たちが困らない程度には、緩やかに衰退していってほしい、とも思うのです。
 「もっとマシな居場所を探せよ」って言いたくなるのはわかるけど、年を重ねると、新しい居場所を探すって、そんなに簡単なことじゃないから。
 そういえば、コロナ禍で、パチンコ店も感染をおそれて高齢のお客さんがだいぶ減ったと聞きました。あの人たちは、パチンコ店から解放されて、いま、どうしているのだろうか。


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