いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

宇多田ヒカル「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」と嵐の活動休止


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 昨夜、BSスカパー!で、宇多田ヒカルさんの12年ぶりのツアーの最終公演が放送されていた。
 宇多田さんのコンサートといえば、もう20年近く前の最初のツアーのときに、奇跡的にチケットを2枚取れたのだが、ちょうどその日が認定医試験と重なっていて行けなかったのだ。そのチケットで行った人は、「人生で今まで観たコンサートのなかで、確実にベスト3に入る。1位かもしれない」と言っていた。今から考えると、試験をサボってでも行くべきだったかもしれない。まあ、当時の僕は、そんな優先順位のつけかたは、想像すらできなかったのだが。


 アンコールのステージに上がった宇多田さんは、彼女にとって久しぶりのツアーの最終日ということもあってか、いつもより長くしゃべっていた(本人曰く)。
 アンコールの2曲目は”Automatic"で、宇多田さんは、この曲がリリースされたとき、同級生とCDショップに行って、「本当に出てる!」とはしゃいだ(主に同級生のほうが)ことや、”Automatic"が、ずっと(売上)2位で、とても悔しかった、ということを話していた。
「当時は、『だんご3兄弟』が、ずっと1位で。まあ、あっちは『社会現象』だったからしょうがないんだけど」
 ”Automatic"が世に出たのが1998年12月9日。もう20年も前になるのだ。


 宇多田ヒカル、という存在も、社会現象ではあったのだが。当時は、浜崎あゆみさんや倉木麻衣さんと併せて語られることも多かったのを思い出す。
 そうそう、歌いだしは「7回目のベルで受話器を取った君」だったんだよなあ。今だったら、「ベル」とか「受話器」なんて言わないよね、と思ったのだが、20年前でもちょっと懐かしい響きだった記憶がある。


 当時の僕は、まだ20代半ばくらいのやさぐれた男で、宇多田ヒカルさんのアルバムは、パチンコの景品で取ったのだ。今日はけっこう勝ったから、最近話題らしいこのCDを聴いてみようか、という感じで。


 正直、ずっと大ファン、というわけではないけれど、新譜が出れば買うし、画面の向こうで歌っていれば、やっぱり、引き込まれてしまう、というのが、僕にとっての20年間の宇多田さんだったように思う。
 それでも、”Automatic"の歌詞がすらすらと自分の口から出てくるということに、けっこう驚いてしまった。


 宇多田さんは、いま、あれから20年経って、”Automatic"を、どんな気持ちで歌っているのだろう。
 彼女にとっては、数多いヒット曲のなかのひとつ、なのかもしれないが、自分のCDが出るということに高揚していた10代半ばの女の子にも、その後の20年、いろんなことがあった。
 宇多田さん自身の出会いや別れ、子どものこと。
 お母さんのこと。
 海外での生活。

 宇多田さんは、「自分は人とのコミュニケーションが苦手で、音楽は好きだったけれど、引っ込み思案で、こうして人前でパフォーマンスをするような人間じゃなかった」「自分を生んでくれた両親に感謝します」と語っていた。そして、「ややこしい手続きを乗り越えて、いま、ここにいてくれるファンにも」。

 "Automatic"は、そんなに感傷的な曲ではない。少なくとも歌詞の内容や曲調は。
 にもかかわらず、この曲を聴きながら、僕は、20年前の自分のことや、この20年間に自分に起こったことを思い出して、ここにいる人、いない人、すっかり棺桶に腰までつかってしまった自分自身のことを考えずにはいられなかったのだ。
 誰にでも、時間は流れる。
 そして、同じ曲は、ここにある。
 美しい話ばかりじゃない。
 あの宇多田ヒカルでさえ、「だんご3兄弟に負けて悔しい!」とか思っていたのだ。
 もしかしたら、そういう負けず嫌いの心みたいなものが、彼女をここまで連れてきたのかもしれない。
 宇多田さんも僕もこの20年間にいろんなことがあったけれど、それをまっすぐ言葉にすることが難しい。
 ただ、”Automatic”という曲はずっとここにあって、口ずさむ僕の心の声を聴いていた。


 昨日は、嵐の活動休止発表も行われた。
 僕はスマートフォンで速報を見たのだが、「嵐って、どの嵐?」と戸惑った。
 世代的にも思い入れ的にも、嵐よりはSMAPだった僕には、彼らの決断をあれこれ言う資格も意思もない。
 僕も活動休止して、1年くらい「嵐」のような大スターをやってみたかったな……とか、ちょっと思ったけれど、ずっと他者の目にさらされる人生というのは、そんなに簡単なものじゃないんだろうというのも、少しは像がつく。駐車違反や泥酔して醜態をさらす行為が、全国ネットのニュースで大々的に取り上げられるなんて、きついよねそれは。
 ただ、嵐がこうして「綺麗な活動休止」を選んだのは、その後のためにはありがたい話なのではなかろうか。人間のイメージというのは、きわめて上書きされやすくて、どんなに素晴らしい時代があったとしても、その後に何か問題が生じると、「でも、この人たち、結局うまくいかなくなって解散しちゃったんだよなあ」って、ふと考えてしまうものだから。
 SMAPとか、昔のみんなで楽しそうにステージに立っている映像すら、使いづらいような雰囲気になっている。人と人との関係が変わっていくのは仕方がないことなのだが、やっぱり、「さびしいなあ」という気はする。
 でも、今回の嵐の活動休止を伝える会見をみた人たちは、活動休止後も、嵐の曲を聴き、DVDを心地よく観ることができるのではなかろうか。なんのかんの言っても、彼らは、SMAPの解散の経緯から、多くを学び、考えたはずだ。少なくとも、嵐は現時点では、その遺産を守ることには成功している。


 ただ、SMAPがあれほどの国民的なグループであったにもかかわらず、あんなふうに、感情のもつれを露わにして解散したのは凄いことだった、とも感じており、「どんなに長年の親友や付き合いのある人でも、こじれるときはこじれるし、損得勘定や打算ではどうしようもないときもある」ということを世の中に示してくれたことに少し救われた思いもあるのだ。
 

 ある程度、生きるとか、生き続けるとかいうことでしか感じられないものが世の中にはある、ということを、宇多田さんと嵐にあらためて教えられた一日だった。
 良い事ばかりではないけど、悪い事ばかりでもない。


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Automatic

Automatic

Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1

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