いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『づぼらや』の思い出


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 僕がまだ小学生の頃、家族で大阪に旅行したことがあった。
 大阪城とか通天閣を観たあと、「じゃあ、ご飯食べに行こうか」と連れていかれたのが、この『づぼらや』だったのを覚えている。
 このふぐの看板は、当時の僕にはすごくインパクトが強いものだった。
 僕は当時、「その店で食べられる対象が看板になっている」のを見るのがものすごく苦手だったのだ。
 焼肉屋で、「モーたまらん旨さ!」とか牛の絵についたふきだしに書かれているのを見ると、「いまから食われようって状況で、そんなこと言うわけないだろう……」と、持ち前の過剰な想像力を駆使して、つらい気分になっていたものだ。まあ、焼肉みたいに原型を想像しにくい形で提供されれば、食べられるんだけれども。


 話が逸れた。
お客さんがものすごくたくさんいて、賑やかな『づぼらや』に家族を連れてきた父親は、なんだか普段より機嫌がよさそうで、ビールを飲み、ふぐを注文した。子どもたちの前にふぐ刺しを並べて、「このくらい薄く切ってあるのがいいんだ」と述べ、「白子って、ふぐのどこか知っているかい?」と言って母親に嫌な顔をされ、「ふぐは、ちゃんとした料理人がいるところじゃないと、毒があって危ないからな。でも、このちょっとピリッとするくらいが美味いんだ」と、子ども心に「オイオイ」と突っ込みたくなるようなことをほろ酔いでしゃべっていた。
 父親は僕が学生時代に亡くなったので、一緒にふぐを食べたことはないけれど(『づぼらや』では、ふぐは万が一のことがあるから、と、子どもたちはふぐを食べさせてもらえなかったのだ。当時の僕は、食べたいとも思わなかったが)、なんだか、あの「ふぐの看板の店」での食事のことは、今でも鮮明に覚えている。
 「ふぐ」という、毒のある、死ぬかもしれないものを嬉しそうに食べる人の不思議さと、大阪という街のにぎやかさに乗せられたように、普段より上機嫌でよくしゃべった父親のこと。


 僕の父親は、以前、奈良で何年間か働いていたことがあるらしく(僕はその頃の記憶はまったくないのだが)、そのときに、何度か『づぼらや』に来たことがあったのかもしれない。
 何年後かに、また大阪に行ったときにも、やはり、父親は『づぼらや』に家族を連れていった(なぜか、二度目のことは「行ったこと」くらいしか記憶にない)。
 『づぼらや』が大好きだったのか、他の店をよく知らなかったのか。
 もともと、同じ店に通いがちな人だったから、後者だったのではないかと僕は想像しているのだけれど、『づぼらや』で家族に「ふぐ」について語っていた姿は、なんだかとても幸せそうだったな、と思う。


 思えば、一生のうちに、2回しか行ったことがない、しかも子どもの頃に親に連れられていった記憶しかない僕が、100年以上続いた老舗の閉店を悲しむ資格なんて無いのかもしれないけれど。

 自分の親が残した「痕跡」みたいなものが、またひとつこの世界から失われていく。
 それが、すごく寂しい。


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