いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「永川劇場」の閉幕に、永川勝浩投手の野球人生を思う。


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 永川勝浩投手、17年間、本当にお疲れ様でした。
 カープでは数少なくなった「広島市民球場時代を知る選手」であり、球団最多の165セーブをあげた「守護神」だったのですが、カープファンにとっては「9回にランナーを出して、『永川さん、お願いですから、今日も『四凡』お願いします!」と祈るような気持ちでピンチを見守っていた記憶ばかりのような気がします。
 けっして強いとは言えなかった時期のカープで、これだけのセーブをあげてきたというのは、すごいことなんですけどね。
 今年のカープのリリーフ陣の打たれっぷり、球はあんなに速いのにマウンドに上がるたびに同点に追いつかれるフランスアや精彩を欠いている中崎をみるたびに、「クローザーっていうのは、本当に大変な仕事なんだなあ」とあらためて思い知らされました。
 (本当かどうかはわからないのですが)遠征先での試合終了後は、いつもひとりで自分の部屋でコンビニ弁当を食べている、という永川さんの話をきいて、「クローザーの孤独」みたいなものについて考えずにはいられくなったのを思い出します。

 それにしても、今日の試合、なんとか会澤さんのサヨナラタイムリーで勝ったから良いようなものの、1対1から8回の裏に長野さんの押出四球と松山選手のタイムリーで2点勝ち越し、さすがに今日はすっきり締めて永川さんのセレモニーだな、と思っていたら9回表にフランスアビシエド選手に同点2ランを被弾ですからね……フランスア、リードで出てきたら、同点にしなきゃいけない契約になっているのでしょうか、なぜか同点になってからは抑える試合が多いんだけど、遅いよ……

 チームのポジションとしては、壮絶なCS争いの真っただ中にいるわけで、引退試合のムードに付き合わせてしまった中日ドラゴンズにも、ちょっと申し訳なかったような気もします。本来なら、永川さんを最後に登板させられるような状況であってほしかった。

 永川さんといえば、長年カープのクローザーとして活躍されていたのですが、個人的には、怪我や不調などもあって、クローザーとして起用されなくなってからの苦闘が、すごく印象に残っているのです。


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 これをみると、永川さんがクローザーとして活躍していたのは2009年までで、それ以降は、クローザーから降りて、中継ぎ陣のひとりとして、10年間も現役を続けているのです。
 クローザーとして活躍していた時期を覚えている僕としては、明らかに全盛期より力も成績も落ち、フォークボールは落ちなくなってスライダーに頼ったり、サイドスローへの転向を試みたりしながら現役にこだわっていた永川さんは、正直、ちょっと未練がましくも思えていたのです。
 クローザーとして大車輪の活躍をしていた人なのに、ときには敗戦処理みたいなポジションを与えられて、悔しくなかったのだろうか、と。
 もちろん、本意ではなかったと思うんですよ。
 でも、永川さんは淡々と投げ続け、自分に与えられたところで仕事をしてきた。
 FA権も得たけれど、行使することはなかった(これはもちろん相手の都合もあるのでしょうけど)。
 もう今年はダメなんじゃないか、と思っていると、夏場に1軍に上がってきて、疲れ切っているリリーフ陣を支えるような活躍をして、涼しくなるころには調子を落とし、ファームに行く年もたくさんありました。
 
 それでも、永川さんがずっと続けていることが、僕はだんだん、嬉しくなっていったのです。
 
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 この試合、思い出すなあ……2011年だったのか……
 シーズン初登板だった永川さんに、「ソフトバンク打線相手に永川さん……ああ……」と投げやりな気持ちで瞑目していた僕は、その圧巻のピッチングに大興奮したものです。
 
 去年、2年ぶりに永川さんが1軍に戻ってきた夜のことを思い出します。
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 近年、永川さんが登場してきたときにカープファンから送られる声援は、どんどん大きくなっていったように感じました。
 クローザー失格となり、力が落ちても「現役」にこだわっている永川さんを、未練がましい、と思っていたはずだったのに、それでも少しでも自分にできることをやろうとし、与えられたポジションで全力を尽くして胸を張っている姿に、強く惹きつけられるようになっていったのです。
 僕にとっては、そういう「苦闘しながらもプロ野球選手であり続けた永川さん」のほうが、今となっては、クローザー時代よりも印象に残っています。
 今年も、夏場、リリーフ陣が疲れ切っているときに、何気なく1軍に上がってきてくれるのではないか、と、思っていたのだけれど。

 正直、今年のチームの戦いぶりには、苛立つことばかりではあります。
 それでも、エルドレッド選手や赤松選手、永川選手のような、チームとファンを愛してくれた選手たちのことを思うと、「自分が応援しているのは、エルさんがこんなにも愛してくれたチームなんだ」と思い直すことができるのです。
 苛立ち、思い直し、けっこう長い間悔しさを噛みしめ、楽しい時期は、そんなには続かない。
 なんでこんなふうに、何かを応援してしまうのだろう、と、この年になっても思うのです。
 その一方で、自分以外のものに興味がない人生は、平板すぎるかもしれないな、という気もします。


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 永川さん、本当に、お疲れ様でした。
 「永川劇場」がもう観られないのは寂しいけれど、あの時代、ずっとずっとBクラスだった頃にクローザーとして君臨し、近年の栄光の時代には中継ぎとしてチームを支えたあなたの姿と生きざまは、これからも忘れません。
 永川さんなら、これから、どこに行っても、何をやっても、きっと、誰かから必要とされると思います。
 もちろん、カープに関わってくれたら、こんなにうれしいことはありません。

 17年間、ありがとうございました。


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三省堂国語辞典 第七版 広島東洋カープ仕様

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