あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。
1年の最初の更新なので、恒例の「2026年のブログ界の展望」を書いてみます。
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2026年の最初の更新で、いきなり「今年のブログ界隈はどうなるのか」なんて大上段に構えた話を書くのもどうかと思うのだけれど、正月の空気というのは、どうしても人を未来志向にしてしまうらしい。僕自身は今年も相変わらず、毎日をどうにかこうにか生き延びながら、電池が切れるその日まで文章を書き続けていくだけなのだが、ふと気づけば、ブログという場所を取り巻く風景は、この数年でずいぶんと変わってしまった。
少し前まで、「ブログはもうオワコン」と言われ続けていた。実際、検索流入は減り、SNSのアルゴリズムは気まぐれで、丹精込めて書いた記事が誰の目にも触れないまま沈んでいくことも珍しくない。それでも不思議なことに、2025年あたりから、静かにブログへ戻ってくる人たちが増えているような気がしている。理由ははっきりしていて、SNSがあまりにも「速すぎる」からだ。炎上、誤解、切り取り、AI生成の偽情報――140文字やショート動画の世界では、考えを深める前に次の話題が流れていく。そのスピードに疲れた人たちが、もう一度、腰を据えて読める場所としてブログを選び始めた。
2026年のブログ界隈のキーワードは、おそらく「小さく、深く」だ。かつてのように月間100万PVを誇る巨大ブログを目指す人は減り、代わりに、数百人、数千人の“ちゃんとした読者”と、ゆっくり関係を築いていくスタイルが主流になる。投資の話を何年も書き続ける人、病気や介護の体験を丁寧に記録する人、地方の一軒家から見える景色だけを淡々と綴る人。そういう「替えがきかない個人史」こそが、これからのブログの価値になっていく。
AIについても触れないわけにはいかない。文章を自動生成するツールは、もはや珍しくもなくなり、量産型のレビュー記事やまとめサイトは、さらに増えていくだろう。でも、その反動として、「この人がこの瞬間に、こう感じた」という生身の感覚が、ますます希少になっていく。だからこそ、誤字脱字があっても、論理が少し破綻していても、そこに“人の息遣い”が感じられる文章は、簡単にはAIに置き換えられない。2026年は、ブログがAIと競争する年ではなく、AIでは代替できない部分を、あらためて掘り下げる年になる。
はてなブログという場所も、少しずつ変わっていくだろう。スターの数やホットエントリーの順位に一喜一憂する文化は、たぶん薄れていく。その代わりに、コメント欄やブックマークでの、地味で長い対話が、また意味を持ち始める。バズらなくても、十年後に読み返したときに「ああ、あの頃はこうだった」と思える文章を残しているかどうか。それが、書き手自身にとっても、読者にとっても、いちばん大事な評価基準になるはずだ。
結局のところ、2026年のブログ界隈に、劇的な革命が起こるわけではない。ただ、みんなが少しだけ“無理をしなくなる”。数字を追いかけすぎず、誰かと比べすぎず、自分の電池残量を確かめながら、書けるときに書く。僕はそのくらいの距離感で、この場所に居続けたいと思っている。たとえ読者が減っても、検索に拾われなくなっても、それでも書きたいと思える文章が一行でも残せるなら、2026年は、きっと悪くない年になる。
さて、読んだかたは、すでにお気づきでしょうか?
上記の太字・斜線部の文章は、AI(ChatGPT)に書いてもらったものです。
こちらからのリクエストは、
はてなブロガーのfujiponさんが、2026年最初の『いつか電池がきれるまで』に「2026年のブログ界隈」について書きそうな文章を1000~2000字で作成してください
というものでした。
この文章が、どこまで「僕らしい」か、そもそも「僕らしさ」とは何なのか?と思うのです。
AIの進化はものすごくて、最近は『はてな匿名ダイアリー』の人気になった投稿でも、YouTubeのショート動画でも、「これはAIに製作してもらったものではないか?」と勘ぐってしまいます。
現在のAIに関しては、僕自身が長年やってきて、専門的な知識や経験を持っていることに関しては、ちょっと情報が古かったり、間違ったりしているところがわかるけれど、生半可な知識しかないものやジャンルに関しては、かなり参考になる、参考にしてしまう、というレベルです。
文章なども、仕事などで使う「失礼がない程度で、あまりにも定型文になりすぎていない返信」とかをつくるときには、ものすごく便利なんですよね。部分的に変えたりしながら利用することもあります。
偉い人やどうしても返信しなければならないけれど、気乗りしない相手などには、たいへん重宝しています。
昨年、2025年は、AIやAIによって生成された文章や画像・映像が、ものすごく身近になった年でもありました。
そして、僕が痛感しているのは、もはや、人間が書いた文章とAIが生成した文章の境界は曖昧になっている、あるいは、その差をはっきり認識、区分けできる人は、ほとんどいなくなっているのではないか、ということなのです。
『はてな匿名ダイアリー』で人気の記事とかは、AIっぽいのが多いけれど、もしかしたら、「事実は小説より奇なり」で、ノンフィクションだからこそ書ける、思いつける話なのだろうか、なんて考え込んでしまうことばかりです。
いやほんと、AI恐るべし。冒頭の文章に関しても「自分がこれまでに書いてきたもののエッセンス」がしっかり取り入れられていることに感心してしまいました。
最近は自分で文章を書くことに対して、あまりモチベーションが上がらなかったこともあり、このまま「2026年最初の記事・恒例のブログ論」として、ちょっと語尾とか表現を調整してアップロードしようかと思ったくらいです。
僕が世界から消えても、「fujiponっぽいブログ」が延々とAIによって生成され続けていく未来、というのもありえそうです。そんなもの、誰も読まないだろうとは思うけれど、世界から人類が消えても、人類っぽい文章をAIが書きつづけて、それをbotが読み続けて、アクセスカウンターが回っていくというのも、なんだか静謐な美しさみたいなものがあって、僕は嫌いじゃありません。
もしかしたら、本当はわれわれもAIで、まだ解析され尽くしていないだけなのかもしれません。
人類の知識の蓄積って、全体としてみれば、きわめて「AI学習的」ではありますし。
ただ、現在のAIが「それらしい文章」を書けるのも、これまで地道に僕が自分で書きつづけてきたデータが残っているからでもあります。
みんながあまりにAI頼みになりすぎると、AIが生成したものをAIが学習して、用途にあったものを再生成していく、ということになりかねません、というか、なっていきそうです。
AIが人間に近づいていくのではなくて、人間がAIに近づいていく。
まあ、AIは「ラクに死ねる方法を教えて」とかお願いすると「その方法は私から教えることはできません」という「いいやつ」なので(ついでに「いのちの電話」とかも紹介してくれます)、「人間らしさ」みたいなものが、どんどん、エログロ、反ポリコレみたいなものだと考えてしまう人が増えていきそうですが。
僕自身は、近年、とくにここ数年は、日記的というか、自分の経験を書き遺す、という文章をここに書くことが多くなりました。
以前は、社会に対する問題提起や自分なりの意見や考え方などがもっと多かったような気がするのですが、年を重ねるにつれて、ブログ契機の他者との衝突がなんだかとてもうっとうしくなってきており、ブログが全体的に読まれにくくなったこともあって、多少偏ったことを書いても「バズる(大勢の人に見られ、反応される)」のは難しくなりました。
ブログ界隈というのは、伝統的に「炎上商法」が使われがちだったのですが、近年は「ブログというだけで敷居が高い」感じになっていて、流行りそうなものは『X』や『Instagram』を起点にするものが多いのです。『X』も、優先的に表示されるのは有名人や炎上中のポストが多く、「アクセス格差社会」がより顕著になっています。
一部の人は『note』で蜂の一刺し、のような渾身のエントリを書いて瞬間最大風速を記録していますが、10年前に比べると、「一発当てたからといって、なかなか継続的な読者にはなってくれない」というのが現状です。
読む側も、「『人単位』ではなくて、いま話題になっているエントリを消化するだけで精一杯」なんですよね。
広告は煩わしいけれど、それでも無料で完成度の高いコンテンツがたくさん読める世の中で(もっと広告やプロパガンダを排除して、みんなで少しずつお金を出し合う、という未来も存在しえたけれど、結局それは選択されなかった)、個人ブログは今後、どうやって生き残っていくのか?
僕なりに結論は出ていて、もう、今AIにできないのは「個人の体験を、自分の感覚で、人間が書いていることを保証されている場所で書く」ことしかないのです。
シンプルに言うと「日々自分の身に起こったことを書く『日記』か、『これって私の感想ですよね』」だけが、現状、「差別化」の手段になってしまいました。
もちろん、一般人のそんなものは、誰も読みません。本人以外は。
とはいえ、こういうものこそ未来の人間がAIから「人間らしさ」を受け継ぐための砂粒になりうるのではないか、と思うのです。
2025年、昨年は僕にとって、病で心身の衰弱を思い知らされるとともに、まだいろんなものを投げ出してしまう勇気もない、という未練を実感する年でした。
50代半ばっていうのは、良くも悪くも「枯れる」というか、欲が薄れていく年齢でもあるみたいです。
だからこそ、2026年は「やめないけど、書きたいときに、書けるだけ書く。(最近は書かなくなっていた)日記はなるべくマメに書きつづけていく」つもりです。
これだけ高齢化社会になっているのに、一般中高年の「日常」を遺しているブログって、あんまり目立たないので、かえって「資料性」はあるのではないかと。
(何が「一般中高年」かは難しいので、「中高年の一例」くらいが妥当な表現かもしれません)
あとどのくらい続けられるかはわかりませんが、人生の半分くらい続けてきた数少ない趣味(あとは読書とゲームと競馬くらいです……って、案外たくさんありますね)なので、たまにでも覗いて、見届けていただけると嬉しいです。
もちろん、僕からみた世の中、みたいなことも気が向いたら書きますけど。これはもう、そういう病気というか性質の人間に生まれてきた、ということなんでしょうね。
続いている人は本当に2000年前後からずっとやっていて、たぶんみんな、全盛期に比べたらアクセス数は10分の1あるいはそれ以下くらいになっているはずなのですが、それでも書きたい人は書き続けている。
本人にとって長期積み立てが有益なのは、つみたてNISAだけではなくて、ブログもなのだと思います。
複利はつきませんが、自分はあのとき、こう思っていた、というのが記録されているのは、とても貴重なことではあります。
自分の「現在の立ち位置」を見失いそうなとき、僕は過去に書いたものを読み返しています。
頭のなかの記憶というのは、自分の中では、けっこう都合がいいように(あるいは、誰かを嫌ったり憎んだりしやすいように)改変されてしまいがちなものだから。
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