沢田研二さんのコンサートドタキャン問題については、さまざまな意見(というか、プロとしてはいかがなものか、というものが多い)が出ているようです。
現在の僕は沢田さんのファンでもアンチでもないものの、子どもの頃に『ザ・ベストテン』で、『ダーリング』や『TOKIO』を歌っている沢田さんを毎週のようにみていたので、沢田さんがもう70歳になるのか、そりゃ僕もこんな年齢になるはずだな、とか、70歳でも現役の歌手として大ホールでのコンサートをこなしているのか、と感心していたんですよね。
さすがにさいたまスーパーアリーナはキャパ的に会場設定が強気すぎたのだろうな、とか(何年ぶりかの復活で、単発公演とかなら十分埋められた可能性はありますが、60回以上のツアーのひとつ、でもあったそうですし)、9000人と言われていたのが7000人だったというのは、700人ならわかるけど微妙だよなあ、とは思いましたが、中止することによる4000~5000万円といわれる損害や世間での評判の低下を考えると、「なんでそんな火中の栗を拾うようなことをあえてやったのか?」と疑問でもありました。本人はステージに賭けているのかもしれないけれど、まあ、それなりに2時間くらい歌って解散にすれば、波風は立たないわけですし。
世の中では、反原発の署名をやろうとして揉めた、などという話も一時出ていましたが、本人・事務所側も会場側もこれは否定しています。
メディアや芸能人、そしてネットで多くの人がが沢田さんの「ドタキャン」を批判しているなかで、僕は「ファン、とくに会場でドタキャンされたファンの人たちは、どう思っているのだろう?」と興味があったのです。
わざわざお金と時間を使って駆け付けた、楽しみにしていたコンサートがドタキャンされたら、そりゃみんな怒って、「ファン辞める!」って思うだろうなあ。
ところが、冒頭の記事に出てくるファンの反応は、僕の予想とは異なるものでした。
客席では多くのファンが涙を流して沢田の思いを聞き入った。「ジュリー大丈夫よ~っ」「また応援するよ」などの声が飛んだ。
公演後半にもMCを設け、来年1月5日、2月7日に埼玉・大宮ソニックシティで代替公演を行うとも話したという。全18曲を歌い終えた後には、デビュー当時からファン歴51年という60代女性が「今まで見たことがない」と感動していた投げキスでステージを後にした。
奈良から来た62歳と60歳の女性ファンは、中止公演に行っていたといい「早くジュリーの曲を聞きたかった」。騒動については「逆に、さいたまに行っておいて良かった」「ジュリーと私たちの問題」と理解を示す声も聞かれた。約1200人収容の同会場はチケットが完売。
芸能人でも、実際にさいたまスーパーアリーナに足を運んでいたというダイヤモンド☆ユカイさんは、こう仰っています。
news.infoseek.co.jp
実際にひどい目にあわされたのは、あなたたちなんですよ!
こんなの「彼、殴ったあとは、私に優しくしてくれるの!」っていうDVカップルと同じだろ!
と、説得したい気分に駆られるのですが、それこそ「外野のおせっかい」というものなのでしょう。
こうして振り回されることで、ファンは、「それでも応援しつづけるわたしたち」の信仰を深めていくのかもしれません。
今回の騒動をみていて、僕は『戦略がすべて』という本に書かれていた、この話を思い出したのです。
ところが、実は有料課金型でも、「炎上」型コンテンツは有効である。
たとえば個人が用意する有料コンテンツ、たとえば会員制ブログは、その質・量に比べて料金が割高であることが少なくない。実際、ネット上でもっと質の高いコンテンツを無料で見つけることは可能だし、既存メディア系の有料コンテンツなら質・量はずっと上だ。
そんな個人の有料コンテンツを買う人間というのは、極めて少数の「信者」に近い読者だ。彼らは「炎上」するような過激なコンテンツをむしろ好ましいと考える。このような「特殊」な読者のコミットメントによって有料コンテンツは支えられている。
電話での振り込め詐欺やネットの詐欺メールなどでは、話があまりにも不自然だったり、文章が少しおかしかったりすることが多い。しかし、こうした犯罪に詳しい人によると、実は普通の人が騙されないような文章を送ることは、「騙されやすい普通じゃない人」を抽出するための手段だという。もし、詐欺の途中でこれはおかしいと気付かれ、警察に届けられたりすると、詐欺師としては不都合だ。むしろ、最後まで騙し続けられる「カモ」を探すには、最初の段階で明らかにおかしいものを提示し、それでもおかしいと思わない人を選び出す必要がある。
これと同じように、競合優位性がないコンテンツにお金を払う人を見つけるためには、最初の段階で明らかに「炎上」するようなコンテンツを提供し、それを批判するのではなくむしろ呼応するような読者だけを、効率的に探し出す必要がある。
そして、そのような読者にとっては、多くの人の批判されても自分の意見を曲げない筆者はある種「殉教者」であるから、逆に信仰の対象となるのだ。かくして、「炎上」を好む読者は、有料課金型のコンテンツビジネスにとって、良い潜在顧客になるのである。
沢田さんの歌が炎上プロブロガーのコンテンツと等価だ、と言うつもりはないけれど(少なくとも僕にとっては)、沢田さんのコアなファン(=信者)は、今回の騒動でビクともしていないというか、こうしてバッシングされているのをみて、「自分が応援しなくては」「ドタキャンに遭ったのが自分でよかった」と、かえって信仰心を高めているようにさえみえます。
周りが叩けば叩くほど、信者にとっては、「自分の信念に殉じた人」が、崇高な存在になっていくのです。
コンサートに全公演駆けつける、なんていうのはけっこうな支出になると思うのですが、若者が新興宗教にハマってサリンを散布させられたり、仮想通貨を買って借金まみれになったりするよりは、ずっとマシではありますよね。
「信者ビジネス」ではあるかもしれないけれど、沢田さんのおかげで高齢者が楽しく余生を過ごせるのであれば、比較的良質な依存先ではなかろうか。
僕は自分自身も含めて、人間というのは、結局、何かに依存していないと生きていくのが難しい存在であり、大事なのは「何に、どのていど依存するか」だと考えています。
今回の件、沢田さんはそういうことを狙ってドタキャンしたわけじゃないとは思います。
ただ、大バッシングされているようにみえるけれど、結果的にはファンの信仰心を高め、ヤフーニュースのトップに「沢田研二」の名前が頻繁に出てくることにより、5000万円以上のプロモーション効果はあがっているはずです。
今回のニュースで、「沢田研二の再発見」をした人は僕だけではないはずだし、「そんなに自信があるのなら、あるいは、もう70歳ということはあと何回、生のステージを観ることができるのかわからないから、一度観てみたいものだ」と感じた人も少なくないはず。
「みんなにそこそこの好感度はあるけれど、コンサートに行くほどではない」アーティストよりも、「1億人のアンチがいても、100万人に熱狂的に支持されている」ほうが、食べていきやすいはずですし。
ところで、今回の騒動の副産物として、さまざまなアーティストが「観客が少ない公演でみせてくれた素晴らしいパフォーマンス」を知ることができました。
どちらも感動的なエピソードで、武雄という街をけっこう知っている僕は、「あんな田舎で(ごめんね)誠心誠意のパフォーマンスをみせてくれた(それも、SNSで拡散されるなんてこともない時代に)RCサクセションかっこいい!」って涙ぐみながら読みました。
いち観客としては、こういう「神対応」のほうが嬉しいですよね。
それでも、こうして目の前の少ないファンに精一杯サービスすることが、口コミで自分たちの存在を多くの人に広めることになるかもしれない、という意識はあったのではないでしょうか。
ただし、言葉として純粋に考えると「神はきわめて勝手に振る舞う存在であり、信者はそれに従うしかない」という点では、沢田研二さんのほうがむしろ「神対応」であり、そんな我儘なジュリーに黙って従うことが、ファンにとっては快感でもあるのです。
今回の騒動で、沢田さんのファンは、「もっと頑張って会場を埋めなきゃ!」と思っているのではなかろうか。
両極端なファンに対する姿勢のようで、結果的には、どちらも「プロモーション」になっている、という点では、正しいとも言える。
何かを「信じる」というのは、かくも微妙で、複雑なものなのです。
一度何かの「信者」になると、それをやめるのは「信じていた自分自身を否定すること」でもあるので、なかなか難しいのです。
「なんであんなものを信じているんだよ、バカじゃないの?」という外野からの言葉は、かえって逆効果になるばかりなんですよね。
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