読み終えて、良かったねえ、と思いつつ涙しました。
ああ、こういう何気ないひとことで、誰かを救うことができるのが「ヒーロー」なんだな。
でも、考えてみると、ヒーローである、あり続けるというのは、とても大変なことなのです。
以前、ファンへの「神対応」で知られる、あるプロ野球選手が、こんな話をしていました(選手名は失念してしまいました。申し訳ない)。
「子供のころ、憧れていたプロ野球選手を街で見かけて、思い切って声をかけたんです。その選手は、テレビではいつもニコニコしていて明るかったんだけど、急いでいたのか、機嫌が悪かったのか、「プライベートだから、今はダメ!」と僕を睨んで、足早に去ってしまいました。いろいろ事情はあったのかもしれないけれど、とても悲しくて、寂しかった。その経験があるので、僕はファン、とくに子供には、どんなときにもキチンと接するように心がけているんです」
冒頭のエントリでのプロサッカー選手の対応って、イベントに半ばファンサービスという仕事で出席しているのだから、当然といえば当然なんですよね。
増田さん(冒頭のエントリを書いた人)に、そんなに特別な対応をしてあげたわけじゃない。
日本ではサッカーをやっている女の子が珍しくて、声をかけてみた、という感じだったのかもしれません。
でも、その「普通の対応」だったことが、増田さんにとっては救いになったのです。
このプロサッカー選手にとっては、ごくあたりまえのことをやっただけであり、美談として扱われるのも不本意なのではなかろうか。
読む側としては、その選手の名前を知って、「日本でのマイノリティとしての苦悩」みたいなものを重ね合わせてしまうところもあります。
正直、僕はこれを読んで、後ろめたい気分にもなったんですよ。
自分は、ひとりの大人として、いつもちゃんと子供に向き合ってきただろうか?
もちろんそれは、自分の子供に限らず。
僕は有名人ではないし、ヒーローにはほど遠い。
でも、ひとりの大人として、子供たちを含め、周りのいろんな人から「見られている」のです。
僕はふだん、自分の機嫌やコンディションで、他人をぞんざいにあしらってしまうことがあります。
苛立ちをぶつけてしまうこともあります。
自分にとっては「我慢できない」「このくらいなら良いだろう」とみなしていることでも、相手にとっては、必ずしもそうとは限らない。
いつも周りの人や子供たちには、真摯に、丁寧に。
そう思うけれど、実際にそれをやり続けるのは、けっこうキツイ。
あの暴言議員のニュースを見るたびに、「自分も置かれる環境によっては、こんな事件を起こしていたのではないか」と、怖くなるのです。
子供のころって、大人は黙って辛抱できるものだ、と思っていました。
だって、「大人」なんだから。
でも、大人になってみると、僕は、子供のころに比べて、イライラしたり、我慢するのが難しくなったりしている自分というものに、毎日辟易しているのです。
子供は「これから」のために、我慢できる(ことがある)。
ところが、大人になってみると「もう、これを逃したら、自分に良いことは無いかもしれない」とか、「こんなオッサンのこと、誰も気にしていないだろう」とか自分に言い訳をして、つい「ズル」をしてしまう。
我慢することを、投げ出してしまう。
信頼を得るには長い時間がかかるけど、失うのは一瞬です。
もちろん、すべての大人がそういうわけじゃないのは知っています。
ただ、大人が大人らしくふるまうっていうのは、そんなに簡単なことじゃない。
むしろ、子供のほうが、大人らしくふるまっているようにさえ思うのです。
いまは、ちょっと変なことをする大人は、SNSで拡散されることもあるので、有名人じゃなくても、人前でひどいことをやるのはリスクが高いんですけどね。
僕は冒頭のエントリを読んで、もうちょっと普段から背筋を伸ばして生きなくては、と自分に言い聞かせました。
ほんと、苛立ちや憂鬱やめんどくささとの闘いなんですよ、僕の日常って。更年期なのかな。
あたりまえのことを、あたりまえにやるだけで、誰かを救えるかもしれない。
ちょっと機嫌が悪かったり、めんどくさがったりして、やってしまった軽率な行動で、誰かを致命的に傷つけてしまうかもしれない。
いつ、誰に見られていても、恥ずかしくないように生きていければ、と思う。
ただ、そういう「ちゃんとしなきゃ」というのが、プレッシャーになることもあるのだよなあ。
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