いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

家入さんの選挙ボランティアと「ナポレオンの参謀長」の話

参考リンク(1):家入さんの選挙ボランティアに参加して感じた3つの違和感。 - 「正しさ」ではなく「楽しさ」で振り切れ - - 1985. ~最高な人生を送ろう~


参考リンク(2):上記エントリへのブックマークコメント


僕は東京都民ではないので、都知事選に投票はできませんが、都知事選をめぐるさまざまな話題には、けっこう目を通しています。
ああ、それにしても、自民党候補と共産党候補の「いちおう一騎打ち」ばかりの僕の地元に比べたら、都知事選は面白そう(失礼!)ですね。


この参考リンク(1)の記事、家入さんの出馬には驚きつつも、こういう有権者との双方向性を意識した選挙を試みる人が出てきたことをけっこう面白がっている僕にとっては、とても興味深い記事でした。
家入さんのような候補者でも、実際に選挙活動をやるとなると、ある種の「型」みたいなものからはみ出すのは、なかなか難しいものなのだなあ、というのと、このエントリを書いた人の「家入さんの個性を活かせていないのがもったいない」っていうのは、よくわかるなあ、というのと。
参考リンク(2)のブックマークコメントをみると、選挙というのはいろいろと厳格なルールがあって、よくわからない人達が暴走するとすぐ選挙違反になってしまうから、どこかで「線引き」をする選挙プロみたいな人も必要なんでしょうね、うーむ。
まあ、そうなると、結局のところ、「誰が神輿の上に乗っても、あんまり変わらない」という話になってしまいそうなんですが。
個性を生みだそうとすると、勝手に北朝鮮を訪問するとか、そういうのしかなくなってしまうのかもしれません。


で、このエントリとブックマークコメントの話を読んでいて、僕はある人物のことを思いだしていたのです。
その人の名は、ルイ・アレクサンドル・ベルティエ。
彼は、長年ナポレオンの参謀長を務めた人物でした。


「ナポレオンに選ばれた男たち~勝者の決断に学ぶ」(藤本ひとみ著・新潮社)より。

 情報の収集から決定、実行までの速さに、ベルティエは目を見張った。まるで下士官のような身軽さだった。様々な軍隊の司令部に所属してきたベルティエは、せっかく情報を提供しても、それを生かしきれない将軍をたくさん見ていた。決断力がないのである。今動かなければチャンスを失うと言う大事な局面で動けない。参謀としてははがゆくもあったし、自分のそれまでの努力が無になるむなしさをかみしめることもたびたびだった。
 だが、この司令官は違う。もしかして彼なら、現状を何とかしてくれるかも知れない。希望を持ったベルティエはナポレオンと2人になる機会をとらえ、自分の調査結果を報告した。
「よく言ってくれた」
 ナポレオンは、ベルティエの肩をたたいて激励した。
「参謀長のあなたは、私の片腕だ。あなたの力なくして私は何もできないだろう。これからも大いに活躍してくれ。期待している。もちろん、それなりの名誉も報酬も用意するつもりだ。よろしく頼む」
 それまでベルティエは、司令部の将官として、実戦に関わる将官たちから無言の差別を受けてきた。司令官からもである。
「参謀なんて、しょせん事務屋だからな」
 そう言われたこともあった。軍隊においては、銃弾の飛び交う戦場で活躍してこそ名前を認められ、名誉や報奨金を手にすることができる。司令部が情報を収集し、兵站を管理し、統括しなければ軍は戦えないのだが、それを理解する司令官は少なかった。
 参謀は陰の存在となり、身分制度がしっかりとしていた革命以前ならともかく、革命後の実力主義の軍内では報いられなかった。
 ベルティエは、それを不当だと思いながらも甘んじてきた。声を上げても、取り合ってくれる人間がいなかったのである。だが今ここに、参謀を片腕とまで言ってくれる司令官が現れたのだった。ベルティエは、ナポレオンについて行こうと決心した。自分を評価してくれる人間のために働きたいと思ったのだった。
 以来ベルティエは、ナポレオンのかたわらで働き続けた。地図を読み解き、錯綜する情報を整理し、なまりの強いナポレオンの言葉を正確にとらえて文書化し、各部隊に伝達した。
 ナポレオンは、ベルティエのペンが追いつけないほどの速さでしゃべり、時には文書化できないほどの俗語を交え、またエルバ島をエルブ島と言い、イタリアのオゾホをイゾープと言い、スペインのサラマンカをスモンレスクと言った。人名も平気で間違え、タレイランのことは終生タイユランと呼び続けていた。
 さらに始終話を飛躍させ、一つの作戦を命令している途中に他の命令を思いつき、それを話している間に別の命令を混ぜ、いつの間にか最初の命令に戻っているといった調子だった。
 整理の好きなベルティエにとって、混乱は情熱をかきたてるものだった。努力を重ねてベルティエは、ナポレオンについていった。
 このため、1日の労働時間が13時間を超えることもまれではなかった。ナポレオンが休んだり眠ったりしている間に、ベルティエは命令書の清書をしたり、補足をしたりしてそれを完璧なものにしなければならなかった。そして休もうとすると、ナポレオンが起きてきて次の仕事が始まるのだった。
 四六時中ナポレオンに寄り添ううちに、ベルティエは、ナポレオンの思索を読み取れるようになった。たとえナポレオンが言い間違えても、ベルティエの命令書には、本来ナポレオンが言うはずだったことがきちんと書かれる。ナポレオンはベルティエを絶賛した。
「不可欠の協力者、理想の参謀長だ」
 これを面白くなく思ったのは、戦場を活躍の場としている将官たちだった。彼らは事あるごとにベルティエの神経質な性格や、爪をかむ癖などを皮肉った。
 ベルティエはたいそう傷ついたが、どうやって対抗すればいいのかわからなかった。口下手だったし、相手は大勢で、しかもりっぱな体格をした戦いのプロだった。ベルティエはじっと我慢をし、ただ働き続けた。

 皇帝ナポレオンの名前を知らない人はいなくても、ナポレオンを支え続けた参謀長ベルティエの名前は、知っている人のほうが少ないくらいではないでしょうか。僕も、某シミュレーションゲームをやるまでは、こういう人がいたことを全く知りませんでした。
 もし、この有能な参謀長がいなければ、ナポレオンはあそこまでの成功を収めることができたのかどうか?

 ナポレオンがどんなに素晴らしいアイディアを持っていたとしても、あちらこちらに飛躍している話を、「普通の人間」である他の将軍たちや兵士たちに伝わるように「翻訳」する人がいなければ、たぶんそのアイディアは、「机上の空論」に終わっていたはずなのです。
「3時間しか眠らずに仕事をしていた」と言われるナポレオンの傍にずっといて、しかも、ナポレオンが休んでいるときも仕事をしていたというのですから、それはまさに「激務」としか言い様がないものだったと思われます。
 しかしながら、ナポレオンとベルティエの関係も、変貌していくのです。

 緻密で正確かつ迅速な仕事のできるベルティエは、ナポレオンにとって必要な存在だった。だがあまりにも地味で神経質、幅の狭いその人柄に、ナポレオンは、人間的魅力を感じなくなっていった。

 そして、「緻密な仕事以外には、無価値な男」として、冷遇されるようになってしまいます。
 のちに皇帝に復位してワーテルローの戦いに臨むナポレオンの周囲の将軍たちは、ナポレオンの招きに応じなかった参謀長・ベルティエの不在を最も嘆いたそうです。彼がいないとナポレオンの軍隊は機能しない、と。
 歴史というのは、ひとりの英雄によって象徴されがちなものですが、実際は、この参謀長・ベルティエのような「英雄を支える人々」の力こそ、歴史を動かしていたのかもしれません。
 もちろん、ベルティエだってナポレオンに出会うことがなければ、こういう形で歴史に名前を残すこともなく、ただの「几帳面なだけのつまらない人間」として生涯を終えていたのかもしれませんし、こういう人を「片腕」として評価したナポレオンの見識こそが成功をもたらしたもの事実なのでしょう。


 家入さんとナポレオンを比較することそのものにはあまり意味はないのかもしれません。
 ただ、この参考リンク(1)のエントリを読んでいて、「強烈な個性を持った人が、それを活かすためには、その人の魅力を理解した上で、『翻訳』してくれる参謀が必要なんだよなあ」と痛感したんですよね。
 家入さんがやろうとしていたことには、たしかに「新しさ」があったと思うし、期待した人も(当選レベルには程遠いとしても)少なからずいたはずです。
 でも、その両者をうまくつなぐためのノウハウができておらず、結局、既存のシステムに頼らざるをえなかった。
 こういうのは、よくある話で、市民運動として盛り上がっていたものが、規模が大きくなるにつれて、組織の運用が素人には難しくなり、「プロ活動家」に乗っ取られていくのは、珍しいことではありません。


 矛盾した話のようではあるのですが、家入さんが、「らしさ」を活かしながらやっていくためには、きっと、ベルティエみたいな「緻密で正確な人」のサポートが必要なのだろうな、と思います。
 メルマガの締め切りも、ビシビシと守らせる、あるいは本人の発言をまとめて、勝手に発行しちゃうくらいの。


 そういう人がいるのなら、そっちの人が都知事になったほうが良いのでは?
 まあ、それもそうか……

アクセスカウンター