いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「見た目の距離」と「愛情の強さ」について

もう30年くらい前に聴いた話なのだけれど。

月曜深夜の『オールナイトニッポン』でパーソナリティをつとめていた中島みゆきさんが、放送のなかで、こんな話をされていました。

 

 あたしのコンサートって、なぜか後ろのほうの席から売れていくのよねー

 

安くはないお金を払い、手間をかけてチケットを入手するくらいのファンであれば、「なるべく大好きなアーティストの近くで聴きたい」のが一般的だと思うんですよね。

でも、当時中学生で、みゆきさんの曲が好きだった僕は、その「ファン心理」が、なんとなくわかるような気がして。

いや、この話を苦笑混じりにしていたみゆきさんも、たぶん、わかってはいたのだと思うけれども。

 

 

番組の企画などで「大好きなアーティストが、あなたのためだけに歌ってくれる!」っていうのがあるじゃないですか。

僕はあれを観るたびに「自分があの観客の立場だったら、嬉しいけどつらいだろうな」って想像していたのです。

「独り占め」って、すごく羨ましい感じがするけれど、実際にああいう場に立たされたら、観客として、どう振る舞ったら良いのだろう?

ごく少人数なのに、ノリノリで体を揺らすのもヘンだろうし、だからといって、大ファンなのに直立不動というのもちょっと。

そもそも、アーティストにこちらも見られていると思うと、絶対に落ち着かないと思う。

じーっと愛情あふれるまなざしで見つめ続ける、なんてことを何十分も続けるのは、難しいと思う。

いや、3分間だって、まったく隙もみせずにやるのは、困難なのではなかろうか……

 

中島みゆきさんのコンサートで「後ろのほうから客席が埋まっていく」というのは、たぶん、「同じ空間でアーティストや他の観客と歌を共有したいけれど、あまり近づきすぎると、かえっていろいろ意識しすぎて楽しめなくなる」あるいは「自分のことを相手に意識してほしくない(なんだか気恥ずかしいから)」ということなのかな、と僕は想像しています。

そして、そういう観客が、最前列でノリノリの観客に比べて、アーティストへの愛情が薄いというわけではなく、それは、「自分の好きなものに対する、心地よい距離の違い」でしかないと思うのです。

 

 

僕は人と接する仕事をはじめて15年以上になるのですが、「いつも感謝してます!」「あなたじゃないとダメなんです!」って言う人は、ちょっと怖いんです。

誰かや何かを熱烈に愛したり、依存してくるタイプの人って、少しでも相手が「自分にとってのあるべき姿」から外れたら、強烈に失望したり、反発してきたりすることが多いから。

「あなたはそんなのではないはずだ!」って。

 

いやいやいや、「そんなの」なんですけどね、以前から。

 

 

僕は他者と深くコミットしたり、愛情表現を見せるのが苦手で、それは40年以上も生きてきて痛感している、自分のイヤなところのひとつでもあるのです。

でも、最近になって、「好きなもの」に対して、コンサートホールの後ろのほうで、相手からもよく見えないところで、のびのびと、そして確実に空間を共有するような付き合いかたも、「あり」だということが、わかってきたような気がします。

 

自分の家族に対しては、そんなに距離をとるわけにはいかないだろうけど、「見た目の距離が近いほうが、愛情が強い」わけじゃないんですよね。

もちろん、さまざまな面倒ごとを避けるためには「『好きであること』を他者にわかりやすいように、アピールしなければならない状況」というのも、世の中にはあるのだけれども。

 

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