参考リンク:この世に完全なるオリジナルは存在しない - (チェコ好き)の日記
素晴らしい記事なので、なんだかこの後書く矮小な話の前に紹介するのも気が引けるのですけど。
仕事の一環として、論文を書くということが(僕の場合はごくまれに)あります。
で、そういうときに、思いついたアイディアを検索してみると、大概のことは、もう誰かがやっちゃってるんですよね。
一昔前は、データを集めたり統計をとるのが大変だったので、とにかく時間と手間ひまかければ、なんとかなっていたところもあるのですが(何十年前の話?って言われそうですけど)、今はもう、コンピュータの普及で、ものすごいデータが集められていたり、メタ解析といって、「過去の解析結果を集めて、その大量のデータをさらに切り口を変えて解析する」なんていう方法も一般的です。
便利すぎて、それはそれで「新しいこと」を探すのが大変になっています。
とにかく「発想」が必要な時代になっているのです。
ネットでいろいろ書いたり読んだりしていて「あっ、これ自分が前に同じようなこと、書いていたはずなのに……」って、思うことがありませんか?
僕もネットに触れはじめた頃は、「もしかして、自分の書いた文章を読んで、パクったんじゃないか?」なんて思いこんだりしていたものです。
でも、長いあいだやっていると、「自分オリジナル」というか「自信をもって、自分が最初に書いた言えること」なんて、ひとつもないのかもしれない、と思うようになってきました。
ネットを使っている人の数と、それぞれの人が、考えていること。
たぶんね、パクっているとか、真似しているとかいうのではなくて、「同じ時期に、同じようなことを考えている人」って、たくさんいるんですよね。
そのなかで、運がよかったり、地盤が強い人がネットに出したものが、広まるケースが多いだけのことで。
だから、ネット上のコンテンツ、とくに個人ブログレベルのエントリにおいて「私の○○というエントリのおかげで……」みたいな物言いをする人を見かけると、「なんだかよくわからんが、とにかくすごい自信だ……(by『キン肉マン』)」という気分になります。
100ある人気エントリのうち、99くらいは「書いた人が真似をしたり、コピーしたのではなくても、同じようなものが先行してどこかに存在していたもの」だと思うのです。
ただ、ネットという世界の広大さを考えると、「そういうもの」だと割り切ったほうがいいところもあるし、「オリジナリティ」に縛られすぎないほうが良い場合もあるのです。
ナイツのちょっと古いネタのなかに『家政婦のミタ』というドラマについて、
「すごいですよね、『家政婦のミタ』! 視聴率40%ですよ!」
「へえー、10人のうち6人は観ていなかった、ってことですね」
っていうやりとりがあるのです。
ネットで何かを書くと「それ既出!」っていうツッコミが来ることが、少なくありません。
もちろん、他者のエントリをわざと盗むようなことは論外なのですが、それが「とりあえず自分で考えた」ものの場合、「既出かどうかに、あまりこだわりすぎる必要はない」と思うのですよ。
それこそ、「10人に9人が知っている話でも、残りの知らなかった1人にとって、すごく役に立つ話」っていうのも、あるのだから。
むしろ、「半分の人から『既出』!って言われるような話」は、「まだ半分の人にとって、知らない話なのだ」と考えたほうが良いのではないかと。
自分の「オリジナリティ」を過信してはいけない。
でも、あまりにハードルを上げすぎると、何もできなくなってしまう。
個人的には「コピーやパクリじゃなければ、とりあえず書いてみていいし、もし心配なら、アップロードする前に一度Googleで検索してみればいい」くらいで良いのかな、と思っています。
Googleで検索すると、大概「ああ、世の中には、同じことを思いつく人って、本当にたくさんいるのだな……」って溜息をつくことになる場合が、ほとんどなんですけどね。
とりあえず、「意図的なパクリ」でさえなければ、思いついたことは、世の中に出してみて、良いんじゃないかな(あまりにも反社会的なことや誹謗中傷は別です)。
わざとじゃないのに、まったくオリジナリティが無いことを言うのも、難しいのだし。
同じことを言おうとしていても、言い回しや具体例の示し方によって、受けとられやすさが違うことも多いですから。