いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

闘う君の歌を 闘わない奴らが笑うだろう

参考リンク:TSUTAYAにゲーム新古品を売りに行ったら警察を呼ばれた | sososo activity

まずはこのエントリとコメント欄を読んでみてください。
こちらのブックマークコメントも。
うーむ、僕も「クレーマー」みたいな人、「自分の正義」を振りかざして現場の状況を理解してくれない人に辟易することは少なくないので、2時間も付き合わされた店員さん、警察官はかわいそうだな、と思います。
だって、この人たちには、もともと「TSUTAYA本社が決めた買い取りのルール」を変更する権限なんて無いのだから。
この買い取りのルールは、店内にも明示してあるものですし。


でも、僕は「こんなルールっておかしい!」と声をあげた著者の気持ちもわかります。
「未開封品はダメだし、この場で開封してもダメだけど、同じゲームを見えないところで開封して明日持ってきてくれれば買い取ります」っていうのは、ヘンじゃないのか?とも思う。
その一方で、盗品を買い取った疑いがあるとして行政処分を受けたことがあるTSUTAYAとしては、なんらかの「線引き」をしないわけにはいかなかったはずです。
本来は、「問題がないとわかっているものなら買い取りたい」のでしょうけど。


僕が同じ立場だったら、「わざわざ売りにきたのに、めんどくさい話だな」とボヤキながら、他所で売るか、近くに買い取りをやってくれる店がない(あるいは、この店の買い取り条件が格別にすぐれている)ならば、後日出直してくると思います。
警察沙汰になったら、いろいろとめんどくさいし、末端で文句を言っても、しょうがないし。


とはいえ、このエントリのコメント欄とか「はてなブックマークコメント」を読むと、「ルールだからしょうがないだろ」という人が多いことに、ちょっと驚いてしまいます。
この著者は「気持ちはわかるが、めんどくさい人だなあ」とは思う。
この社会で生きていくには、いろんなところで衝突して大変だろうなあ、とか心配もしてしまう。
でも、TSUTAYAがここで掲げているルールが「おかしい」という意見に対しては、賛成です。
このルールに疑問を呈した結果として、よりいっそう「買い取りルールの厳格化」が進む可能性があるとしても。


おかしなルールでも「それがルールなんだから守らないとしょうがない」のは社会のなかで生きていくうえで、仕方が無い面はある。
でもさ、そういうルールに対して、「それ、おかしいんじゃない?」って声をあげることができるのが、ネットという場所であってほしい。
逆に、ネットでさえ、どんなルールに対しても「ルールに対して疑問を持った人間は排除する」「そういう人を見つけ出して、『ルールを守れよ。守らないヤツは人間失格!』と炎上させるのが当然」になったら、それこそ「究極の相互監視社会」になってしまいそう。


「あなたの疑問はわかるが、それは個々の店舗の末端の人間にではなく、TSUTAYAのカスタマーサービスに訊ねるなり、メールしてみるほうが効果的ではないのか(それはそれで「クレーマー認定」されそうですが)」
 バッシングしたり、「クレーマー」とレッテルを貼るのではなく、そういう「疑問をぶつける場所が間違っている」という指摘こそ、重要なのではないかと思うのです。


「おかしなルールでも、ルールなんだから守れよ」
そうやって、他人を「炎上」させるのは、もしかしたら楽しいのかもしれない。
でも、その「おかしなルール」が、もっと切実な形で自分を押しつぶそうとすることだって、ありえるのです。
そんなとき、周囲の人が「うるさい。それがルールなんだから守れよ。守れないのならお前はクレーマーだ」と決めつけてきたら?


個人的な損得でいえば、こういう場面は「引いたほうがダメージが少ない」のに、それでも言わずにはいられない人がいる。
こういう「絶対に自分が納得できないことをウヤムヤにできない人」の存在や行動によって、世の中の「ルール」というのは、少しずつ変化してきている面もあるんですよね。
いろんな「おかしなルール」に対して、デモを起こしたり、陳情しに行くのは、普通の市民にはけっこうハードルが高い。
だからこそ、ネットでは「世の中のおかしいと思うものをおかしいと言うこと」に対して、少しくらい寛容であってほしい。


こういう人に「バカ」「クレーマー」というレッテルを貼って、「叩く」「炎上させる」のは、長い目でみれば、自分たちの首を絞めることにしかならないのではないか。
僕は、そう思うのです。

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