いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

それでも、いや、だからこそ子どもたちは笑う。

東日本大震災から、2年。
なんだか、自分はこの2年間何をやってきたのだろうか、とかいろいろ考えていたら、「復興」とか「政府の対応」とか「不謹慎」だとか、あれこれ書くのはみんなウソだ、というような気持ちになってしまって、結局何も言えなかった。

ただ、昨日の朝、ラジオから流れてきた「海岸で撮影をしていて津波で流されたものの、潮溜まりのようなところに運良く流れ着いて救助されたカメラマンの話」が印象的だったので、書き留めておくことにする。

 あの震災のあと、これを写真に記録するのが生き残った自分の使命だと思って、いろんな場所で写真を撮りました。
 被災者にカメラを向けるのはとてもつらかったけれど、撮影した人に救われたり癒されたりしたことも何度もありました。


 ある避難所を訪れたとき、大人やおじいちゃん、おばあちゃんを、小さな子どもたちが一生懸命マッサージしている姿が目に入ったんです。
 別に頼まれてやっているというわけではなくて、打ちひしがれている大人たちに、自分たちが何かできることはないかって。
 その子どもたちを見ていたら、ああ、大人は、子どもたちのために、っていつも言っているけれど、実際は、大人のほうが、子どもによって救われている、癒されているんだなあ、って。
 それが、ぼくにとっては、いちばん記憶に残っています。


 このカメラマンの写真展を訪れると、最初の部屋に、壁一面に被災地の子どもたちの笑顔の写真が並んでいるそうです。



 震災から2年の区切りの日の翌日は、震災から3年目のはじまりの日でもあります。

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