映画『ドラゴン・タトゥーの女』のなかで、とても印象的なセリフがありました。
主人公と2人きりになった、ある登場人物が、こう言ったのです。
「人間というのはおかしなものだ。怖いという感情を抱いていても、他人の機嫌を損ねないように行動してしまう」
伊集院静さんが、『大人の流儀』というエッセイ集のなかで、こんな話をされています。
当人がどれだけ注意していても災難の大半は向こうからやってくる。交通事故と同じだ。
スイスの登山鉄道、ユタ州の自動車事故と楽しいはずの海外旅行での悲劇が続いた。
自動車事故の方は原因がまだはっきりしないが、運転手の過労による運転が取り沙汰されている。同業者の弁で、何度か車が右に左にゆれるように走ったと言う。
このことが事実だとしたら、なぜ誰かがその場ですぐに運転手に注意しなかったのか、それが私には解せない。
時々、私は遠出のときやゴルフで車を手配されることがある。『その折、運転が危険だったり妙に思えると即座に運転手に訊く、
「君、疲れているのかね」
「い、いいえ」
それで運転が直らなければ高速道路だろうが、山の中であろうが、
「君、車を止めなさい」
と言って下車し、タクシーなり別の交通手段を選ぶ。これがもう三、四度あり、口では言わないが、その車を手配した会社とはなるたけ仕事をすまいと決めている。
一人旅より、団体旅行の方が事故が多いのは、旅に危険はつきものだという根本を忘れがちになるからだろう。
よく旅慣れているのでという年輩者がいるが、それは団体旅行で慣れているのが大半で、危険が近づいていることにすら気付かないで来た人がほとんどだ。
この話を読んだとき、
「そうだよなあ、めんどくさがって、自分をムダに危険にさらすようなことはないよなあ」
と頷いたものでした。
「めんどくさい」は、敵だ。
でも、何かちょっと違和感があったのです。
それって、「めんどくさい」だけが理由なのだろうか?
『ドラゴン・タトゥーの女』のこの場面を観て、僕はわかったような気がしました。
ああ、そういう場面で、僕がタクシーを降りられないのは、「見ず知らずで、今後一生会う機会もない、しかも運転手と乗客という関係である人でさえ、 「相手の機嫌を損ねるのが怖い」のだな、って。
僕たちは、ずっと教えられてきました。
「相手の身になって考えましょう」
「人には優しく、誠実に接しましょう」
それは、すごく正しいことなのだと思います。
しかしながら、その積み重ねが「他人を失望させることへの恐怖」になってしまっていて、危険回避能力を低下させているのかもしれません。
「相手に嫌われることになっても、断ったり、逃げたりしなければならない場合がある」
世の中には、「他人の機嫌を損ねたくない人」の中途半端な優しさを利用して、言いなりにさせようとする人間がいる。 それは、知っておくべきことです。
「嫌われる勇気」の有無が、あなたの生死を分けることもあるのだから。