いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

乙武洋匡さんと岡田斗司夫さんの「自己肯定感」という魔物

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160323-00506816-shincho-socizasshi.news.yahoo.co.jp

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000004-spnannex-ent


このニュース、最初に聞いたときには「あの乙武さんがねえ……」という、ちょっと信じられないような気持ちになったんですよね。
それは、乙武洋匡さんの人格への信頼というよりは、乙武さんの身体的なハンディキャップから考えると、5人もの女性とうまく不倫を続けていくというのは、ものすごいアクロバティックな行為だと思ったから。
いや、その「行為」そのものが、というわけじゃないんです。
乙武さんは移動も特殊な車いすを使用していて、移乗するのも自分ひとりでは難しい。
ある程度遠出するためには、介助者を必要とします。
世の中に不倫をしている男女というのは少なからず存在すると思うのですが、「2人でこっそり会って、あれこれあって、解散する」というのが自力でできれば、そう簡単には発覚しないはずです。
それなりの「注意深さ」があれば。

しかしながら、乙武さんの場合には、家から自分ひとりで出かけて、相手とふたりっきりになる」ことは不可能です。
そこにはなんらかの援助者が介在しているはずで、不倫とか密会って、第三者が介入すると、発覚するリスクはかなり大きいはず。そもそも、不倫をすると知っていて援助する人がいるのだろうか、とも思うし、その介助者が奥様に注進したり、乙武さんを諌めたりする可能性は高そうです。
目撃されれば、かなり多くの人が「あっ、乙武さんだ!」ってわかるだろうし。


僕はこれ、奥様も知っていて、「公認」あるいは「黙認」だったのではないか、と考えずにはいられないんですよ(すみません、まだ『週刊新潮』の記事は読んでないんです。近いうちに読みます)。


不倫してもいい、ということは絶対にないのだけれども、もう40歳を過ぎて、いろんな欲望が枯渇してきているのを実感しつつある僕としては、乙武さんの野心とか精力って、無尽蔵なんだろうか……と絶句してしまうのも事実です。


そもそも、「予想外に批判が多くて落ち込んでいる」という記事のほうが、僕にとっては「えっ?」って感じだったんですよ。どうしても我慢できない男、というのは、障害に関係なく存在しているし(先日話題になった宮崎議員とかもそういうタイプの人でしょう)、言いよられてなびく女性も脇が甘いだろう、とは思う。


でも、参議院選挙に出馬しようと考えている人が、この不倫疑惑にも世の中が温かく反応してくれる、と予想していたのでしょうか。
「障害者も不倫できると、勇気を与えてくれた」とでも?
ベッキーさんや宮崎議員の不倫への世間の強烈な反発という実例を、つい最近みていたはずなのに。
まあ、でもなんというか、乙武さんの人生っていうのは、「自分はハンディキャップに負けずに、こんなこともできるんだぞ」の証明の連続という面があって、「多くの女性にチヤホヤされる」っていうのは、その証明のひとつでしかなかったのかもしれません。
「本人に魅力があれば、障害なんて関係ないんだよ!」


……まあ、こういうマッチョな人に国会議員にはなってほしくないな。
見た目よりずっと「強者の論理」に従って生きている人みたいだから。
正直、ある種の「トリックスター」として貴重な存在だとは思うのだけど。


乙武さんの『自分を愛する力』という新書のなかに、奥様の話が出てきます。
僕はこれを読んでけっこう感動してしまったのですが、いま、読み返してみると、あれこれ考えさせられるところもあるんですよね。


fujipon.hatenadiary.com


 乙武さんは、この新書のなかで奥様のことを、こんなふうに紹介されています。

(奥様は早稲田大学に現役合格し、弁護士の資格をとるために勉強していた優秀な女性だったという話に続いて)


 しかし、そんな彼女にも弱点があった。小さな頃から、人づきあいが苦手だったのだ。小学生の頃はクラスメイトとウマが合わず、休み時間になると図書室にこもって本を読んだり、図鑑をながめたりしているのが唯一の楽しみだったという。中学時代も、おしゃべりする間柄の友人は何人かいたが、どこかで孤独を感じていたのだそうだ。高校生になって、「ようやく自分のことを理解してくれる友人に出会えた」そうだが、それでも彼女が自己肯定感を抱くまでには至らなかった。

 彼女が司法試験に向けて勉強に励んでいた理由も、「私のような人間が、結婚してだれかと暮らしていくことなど考えられない。長い人生、どうせひとりで生きていくことになるのだから、しっかりとした収入を得られる仕事につこう」というものだったというから、じつに興味深い。

 そんなところに、僕がひょっこり現れた。彼女とは、まるで正反対。手も足もないのに、なぜか自己肯定感に満ち満ちているーー。じつは、僕らが出会う前、彼女は一度だけ大学のキャンパス内で僕と目撃したことがあったという。もちろん、僕がまだ『五体不満足』で世に知られるずっと前のことだ。


「なんか友達にいっぱい囲まれてて、楽しそうに笑う人だなあって」


 奥様は日々の乙武さんの生活のサポートをしているのだけれども、それは「やらされている」のではない。
 自分がいままで得ることができなかった「自己肯定感」。
 それでいいんだ、できないことがあるのが人間なんだ、というおおらかさ。
 乙武さんと一緒にいることによって、それを常に身近に感じることができたのです。


 ただ、この乙武さんの「自己肯定感」は、あまりにも肥大しすぎてしまって、いつのまにか「自分のやりたいことをやるのが絶対的に正しいことなのだ」というのが、乙武さんの人生観になってしまったのではないか、と僕は考えています。
 そして、その「自己肯定感」に惹かれていた奥様(そして、周囲の人々)は、「この人がやりたいようにやらせてあげるのが『正しいこと』なのだ。障害があっても『挑戦』するのは良いことなのだ」という「信仰の対象」として、乙武さんを見ていたのではないかという気がするのです。


 3人の子供を持つ母親で、物理的には、オムツを替えることさえ、パートナーの援助を期待できない、そのパートナーに対しても援助が要る、という状況は、かなりキツいんじゃないかと思うんですよ。
 我が家だったら、「なんであなたは家事に非協力的なの!」と責められることになるでしょう。
 僕は「本人にやる気があれば、できるはず」だから。
 でも、乙武さんはそういう物理的なサポートが不可能であり、それを承知で結婚しているので、そこを詰問するわけにもいかない。
 もともと、自己肯定感が低い人であれば、「自分のやりたいことをやるのが正義」なパートナーの「じゃあ、僕は外で自分の性欲を解消してくるね。そのほうが合理的じゃない?」という提案を受け入れてしまう可能性もあるというか、「もうほんときついから、性欲を家庭に持ち込まないで」あるいは「今の自分ではあなたを満足させられないから、好きにしていいよ」というふうに考えるようになったのかもしれません。
 めちゃくちゃな話ではあるんだけれども、こういう夫婦関係って、実際に存在するんですよ。
 僕はそれが正しいとは全く思わないけれど、お互いが合意のもとにやっているのであれば、外からとやかく言うのも余計なお世話なのかな、と。
 こういう「自己肯定感が肥大しすぎて、プチ教祖みたいになってしまった人」って、「自己評価が低くて、自分の言いなりになってくれる人」をピンポイントで見つけるのがものすごく上手なことがあるんだよなあ。


この報道をみて、僕は岡田斗司夫さんのことを思い出しました。
www.nikkansports.com


これも岡田さんは「謝罪」しているのですが、本人は「反省」しているというより、「自分自身のモラルと世間の常識のズレに戸惑っていた」というふうに、外からは見えたんですよね。
バッシングされるまでは「オレならいいだろ」「バレなきゃいいだろ」あるいは「相手も合意の上なんだから、世間の常識なんかくそくらえ」だったのだと思います。
たしかに、岡田さんがやっていたことは、褒められるようなものじゃないと思うけれど、刑事責任を問われるようなことでもなかった。
そういえば、岡田さんもファンや支持者から会費を集めて収入を得る「信者ビジネス」みたいなものをやっておられました。
しかしながら、バッシングされてみると、自分にはあまり関係ないはずの「世間」からの圧力というのは、想像していたものよりも、はるかにキツいものだった。


「自分はすごい」というオーラを発散している人に惹きつけられる人は、少なからず世の中にいるのです。
僕自身も、そういう人に魅力を感じてしまうのです。
実際、乙武さんや岡田さんの著書を読んで、感心したことも一度や二度ではありません。


まあ、こういう「あまりにも肥大した自己肯定感」というのは、ある種のコンプレックスの裏返しなのかな、という感じもするんですけどね。
こういう、「あまりにも世の中の常識とズレてしまった人」をみると、快楽のためというより、何かに対する復讐のためではないか、というような解釈をしたくなってしまうところもありますし。


正直、僕はこの乙武さんの不倫の話をきいて、呆れるというか、圧倒されてしまったんですよ。
有名人であり、誰もがひと目で「乙武さん」とわかるくらい知られていて、教育関係の仕事やメディアでのコメンテーターとして活動しており、ましてや政治の世界で活動しようというのに、こんなリスキーなことをやり続けていたなんて、ありえないと思ったのです。
賢い人なのに、リスクがわからなかったのだろうか?
「強すぎる自己肯定感」が、判断力を鈍らせてしまったのだろうか?


人間というのは、大なり小なり「でも、オレはやってもいいだろ」って思いがちなものではあるのだけれど、それにしても、ここまでくるとねえ……


自分を愛する力 (講談社現代新書)

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