いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ベッキーさんと「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんの不倫騒動について、とりとめもなく語ってみる。

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昨日は、ベッキーさんと「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音さんの不倫騒動の話題でもちきりだった。
どちらのファンでもない僕にとっては、本来どうでもいい話ではある。
北朝鮮の水爆実験より、ベッキー不倫かよ、という声も少なからずあったのだが、自分に直接関係ない、どうでもいい話だからこそ、日常会話のネタにしやすい、というところもあるのだよね。
北朝鮮の水爆の話とかだと、「水爆怖いですね」「そうですね」で終わってしまうものなあ。
この「新婚にもかかわらず、長年サポートしてくれた糟糠の妻を捨てて、ベッキーと不倫イブ&実家訪問」についてどう思うか、というのは、ある意味その人の「倫理観」とか「恋愛観」を測るうえで、わかりやすい試験紙でもあるし。


fujipon.hatenadiary.com


「ずっと苦労してきた人が、成功した途端に、一緒に苦労してきた人に鬱陶しさを感じることがある」というのは、歴史的にも数多みられた話ではある。
僕の印象に残っているのは、司馬遷の『史記』で読んだ、陳勝という男の話だった。


陳勝 - Wikipedia

日雇い人夫時代の同僚が、陳勝が偉くなった様子を見に来たので城を見学させてやった。しかし、陳勝の威厳を損なう内容の昔語りを始めたため、手を焼いて殺してしまった。


「この陳勝も、昔は俺と同じような貧乏人だったのに、今ではすっかり偉くなっちまって……」
こういうのって、成り上がった人からすれば、「今の俺は変わったんだから、いつまでも『昔のお前は……』って言うな!」って感じなんだろうな、と。


一緒に苦労してきたはずなのに、売れたとたんに捨てた、というのは人倫に反する行為ではあるのだけれど、それなりの理由もあるのだとは思う。
新井さんは、結局、巡り巡ってカープに帰ってきたんだけどさ。


でもまあ、どちらかといえば、最初に「自分は結婚しています」という手札を見せずに、関係をつくってから、「実は結婚してるんだよね」と告白した男のほうが罪は重いと僕は考えている。
不倫だとわかった上で交際をはじめたのなら同罪だが、人って、一度「関係」ができあがってしまうと、それを断ちきるのはけっこう難しいことだと思うから。
初対面のときに「僕、結婚してるんですよね」と言えば、「ああ、ファンだけど、この人とは付き合えないな」と割り切れていた可能性が高いんじゃないかな。
ただ、ベッキーさんも被害者だ、とか言うつもりはなくて、どちらもこの件については加害者であり、どちらかというと責任が重いのは最初に情報を開示していなかった男のほうだろう、というだけのことなのだが。


そもそも、ふたりが「加害」しているのはゲスのボーカルの妻とベッキーさんが出演していた番組のスタッフやCMをやっていた企業であって、僕はむしろ、観客として楽しませていただいている、という立場でしかないのですけど。
ベッキーさんは、30年以上も「清潔キャラ」を演じてきたわけで、だからこそ、この不倫がこんな「大ネタ」になっているというのも事実だ。
30年かけて「仕込み」をやっているわけで、「苦肉の策」の周瑜黄蓋も裸足で逃げ出すくらいの下準備、ともいえる。
内田裕也が不倫したり、ISSAの新彼女ネタが出ても、「ああそう」というくらいなのだから、このベッキーさんの「渾身の一発」には、ロッキード事件の榎本美恵子さんの「蜂の一刺し」クラスの凄味すら感じるのだ。


既婚者としては、こういう不倫騒動をみると、やっぱり自分が不安になるところはある。
精神的な平穏のために、不倫なんて、したりされたりしない世の中であってほしい、とは思うのだけれど、その一方で、結婚した相手が、「人生でいちばん好きな人」かどうかというのは確率論的にいえば、そうでない場合のほうが多いだろうし、そうでなかった場合に、「それでも結婚という契約を優先する」のか、「そのときの自分のいちばんに従う」のかは、愛情というより、「レストランで定番メニューを頼む」か「新しいメニューがあったら、頼んでみずにはいられない」かの違いくらいしかないような気もするのだ。
ただ、僕の人生経験では、そうやって、短期間で付き合う相手を次々に変える人って、新しい相手が前の相手とものすごく似ていて、「こういう人が好きなんだなあ」「また同じことを繰り返すのだろうなあ」と感じることが多いのも事実だ。
どうせだったら、前と全く違うタイプの人にすればいいのに、と思うのだけれど、彼らは、同じことを繰り返す。


クリスマスイブは「一緒にいられるだけで幸せ」だったり、お正月は一緒に実家に行っていたにもかかわらず、同じことを、会見では「軽率な行為」と自分で言わなければならないというのは、なんだかなあ、とは思う。
それって、行為そのものを反省したわけではなくて、「バレた、しまった!」という以外の何ものでもあるまい。


www.cnn.co.jp


この話を思い出したのだが、ネットではとくに「顔が見えるほう、攻撃して反応が見えるほう」を責める人が多くなりがちだ。
これって、子連れ客の側が写真を掲載してfacebookで店を責めたら、客側が炎上していたのではなかろうか。
「正義の押しつけ」に、人々は反発する。
ベッキーさんは、あの会見で、記者へ「お集まりいただき」「みなさんにお時間をとらせて」などと配慮していたのだが、質疑応答は受け付けず、「台本どおりの謝罪」をしていたようにみえた。


ベッキーさんの今回の対応については、中途半端な会見をしてしまったがために、世の人々に「ツッコミどころ」を提供してしまったともいえる。
いっそのこと「好きになっちゃったんです。すみませんでした!」とか正面切って言われてしまうと、「うん……それはもう、当事者の問題、だしねえ……」みたいに腰が引けてしまう人も多いのではないかと思うのだが、「お友達です!」とか言い張っているのを、公開されているLINEの内容とか「お泊まり写真」を見比べると「盗人猛々しいとは、このことか!」と言いたくもなる。


「離婚届=卒論」は、実に面白いし、もう半年遅いか早いかだったら、流行語大賞にノミネートされたのに、と惜しくてたまらないのだけれども、恋愛初期の燃え上がっている人々のプライベートなやりとりっていうのは、大概ああいう傲慢さとかみっともなさを含有しているものであり、「奥様に対して、上から目線」だと批判するのもかわいそうではある。
付き合いはじめって、ヘンな隠語を共有したりしがちだし。
僕はもうそういうことから離れて何十年、ではありますが。
昔、中原誠名人が林葉直子さんと関係していたときの「突撃しま〜す」をみて以来、「恋愛は大人をバカに変えてしまうものだ」というのが、僕の心に焼き付けられているのだ。
あの「卒論」を批判している人のなかにも、恋愛中にしょうもないやりとりを大仰にやっていたことがある人は、多いのではなかろうか。


人が人を好きになる、というのはどうしようもないところはあるのはわかるが、結婚したばかりなのに他の女に手を出す男も、それに引っかかってしまう女も、誰かは知らないがあんなLINEを流出させてしまう人も、みんなバカだしゲスだ。
しかし、人間というのは大概バカでゲスなものであって、同じような話はゴロゴロしているし、結婚に向かない男と恋に溺れて自分の立場を見失ってしまった清潔イメージ女の転落劇、というのは、見世物としては最高だ。
この件で「不倫は許せない!」と言いながら、内心(俺も本当はしてるけど……)なんて人も、少なからずいるのだろうし。


基本的に、当事者とファンと事務所と企業の関係者以外、誰もたいして困ることはないし、だからこそ、ネタとして「強い」のだろうなこれは。
「どうでもいい」からこそ、価値がある。


こういうのを見せてくれるからこそ、「芸能界」ではあるよね。
不倫を応援するつもりはないし、身内の話だったら、めんどくさくてたまらないけどさ。


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