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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

エンターテインメントと「お約束」

http://oymz56.hatenablog.com/entry/2015/11/25/100645oymz56.hatenablog.com


ああ、僕もこんなふうに声を張り上げて「アンコール!」ってやってるのを、周りの観客(しかも、同じアーティストのファンのはずの人)に嘲笑されたらイヤだろうなあ、と思いながら読みました。
ただ、ゴールデンボンバーというアーティストのこれまでのセルフプロデュースの方法をみていると、この「最初から録音したアンコールの声が流れてきて、メンバーが『まるで音声のような綺麗すぎるアンコールありがとう!』って出てくるまでが、ひとつの『お約束』なんじゃないかな」という気がします。
「アンコールがあるのが当たり前」になってしまったアーティストと観客の「ヌルい関係」みたいなのをチクリとやりつつ、自虐ネタ的なものもまじえて笑いをとる、という流れの。

Wアンコールの計測器も、そんな深刻に「ファンの愛情を測っている」のではなくて、「ネタとして笑い飛ばして良い」のではないかと思うのです。
むしろ、計測器が出てきても、客席は静まり返っていて、メンバーが「おいおいおい」って出てきて観客大爆笑、みたいなのもアリなんじゃないか、とか。


ただ、こういうのって、本当に千差万別です。
ゴールデンボンバーはけっこう「批評的」というか、「自分たちが『ゴールデンボンバー』であるにもかかわらず、『ゴールデンボンバー』という存在を斜に構えて観察していたり、それで遊んでみたりしている」ところがある。
しかしながら、観客すべてに、これを「ネタ」だとわかってくれ、というのもおかしな話だし、彼らだって、そんなことは考えていないと思われます。
わかる人だけ、笑ってくれれば、喜んでくれればいい。
そして、このネタが「笑い」を生むためには、本気でアンコールのために大声をあげてくれたり、携帯電話をいじっている人に憤ったりしてくれる人の存在も必要なのです。
みんなが「お約束」を認識していたら、それはそれで、面白くない。
「ネタにマジレス」する人がいないと、成り立たない演出なんですよね。


元エントリの人は、この演出についても、周囲で笑っていた人に対しても、そんなに深刻に考えないほうが良いのではなかろうか。
そもそも、笑った(ようにみえた)人も、そんなに悪意はなかったと思います。
そういう「コイツは『お約束』がわかってねーな」という反応って、それを知らない人にとっては、けっこう腹が立つというのもわかるんだけど。


僕もコンサートで、そんなに盛り上がってもいないのに、アーティストが「まあ、これも仕事だからね」って感じで、よっこらしょ、っとアンコールでステージに出てくるのを観ると、ちょっと寂しくなります。
中には、時間の都合があるのか、アンコールの声が温まる前から、すぐに出てくるアーティストもいるし。
みんなが聴きたいであろう、盛り上がる曲が、アンコールに入っていることも多いし。
「アンコール前提」でセットリストがつくられているのなら、厳密にいえば「本編」の一部をアンコール風にしているだけです。


そういえば、最近の映画とかで「エンドロールのあとにも特典映像があります。お楽しみに!」なんてアナウンスされているものがけっこうありますよね。
あれって、「観なくて損した」とクレームをつけられないために、観客にとっての「予想外の楽しみ」を奪ってしまっているような気もするのです。
僕はどっちにしてもエンドロールの最後まで観る派なので、アナウンスの有無は関係ないのですけど。


海外アーティストには、潔いくらい「アンコール無し!」っていう人も少なからずいます。
それが来日公演だからなのか、もともと「そういうもの」だったのかはわからないけれど、「アンコールなんて、無くてもいいんじゃない?」と言いつつも、実際に「無い」のを体験してみると、なんだかとても拍子抜けしてしまう。
定時に帰りやがって!という、ブラック企業の先輩社員のような気分になったりもするわけです。


www.oricon.co.jp
www.huffingtonpost.jp


このさだまさしさんの話、本当に「正論」だと思うんですよ。
本来のアンコールって、こういうもんだろう、と。


でも、観客が少ない地方公演とかは不利なんじゃないかな、とか(小学生の頃観に行ったプロレスの試合で、メインの試合が数分で両者リングアウト決着になってしまい、本当に悲しかった)、声の大きさが、そのアーティストへの忠誠心に比例するのか、と思ったりもします。


中島みゆきさんが『オールナイトニッポン』で、「普通のコンサートって、前のほうの席から売れていくのだけれど、あたしのコンサートは、ホールの後ろのほうから売れていく」って仰っていたのを思い出します。


以前、シルク・ドゥ・ソレイユのステージに行ったとき、「終演後にスタンディングオベーションをすると、パフォーマーたちはすごく喜びます」という掲示がされていたんですよ(最新の公演には行っていないのですが)。
これって、パフォーマーたちが「スタンディングオベーションしてくれない日本の観客」に戸惑っているのだろうな、と思うのだけれど、観る前から、こういうのを「推奨」されると、ちょっと萎えるし、東京とかではみんなやるのかもしれませんが、福岡では「みんな大拍手なんだけど、立ち上がる人はパラパラ」くらいです。
スタンディングオベーションって、みんながやっていれば座っているほうが落ち着かないのだけれど、誰かがやってくれないと、なかなか率先してはやりにくい。たぶんみんな、そんな感じなんだろうと思います。


もう15年くらい前、ラスベガスのホテルで行われているさまざまなショーを観に行ったことがあるのですが、そこで驚いたのは、『O(オー)』というショーが始まる前に、カメラが回ってきて、観客を舐め回すようにひとりひとり、ゆっくりとステージ上の大きなスクリーンに映していくことでした。
そこでスクリーンに映った人は、なんらかのポーズをしたり、手を振ったり、一発芸みたいなものをやったり。
日本のステージって、「観客は、あくまでも観客」じゃないですか。
それが、いきなり「パフォーマンス」を求められて、それを当然のこととしてやってしまうアメリカ人たちに、僕は心底驚いてしまいました。
アメリカのエンターテインメントこわい。
僕はそんな面白いことなんてできないし、カメラこっち来るな!って、念じまくっていました。


例のごとく、何の話だかわからなくなってきてしまったのですが(元エントリの方すみません)、良質のエンターテインメントを支えているのは、「本気で楽しんでくれる観客」であることは、間違いありません。
今回は、周りに相性の悪い人がいて不快な思いをされたかもしれませんが、たくさん観ていくうちに、「生きててよかった!」とつぶやきたくなるようなこともあるはず。
ある意味、「気合いを入れてアンコールして、笑われちゃう経験」というのも、それはそれで「面白い」と考えることだってできます。どうせ相手は、赤の他人なんだし。
エンターテインメントにおける「勝ち組」は、「お約束を知っている人」じゃなくて、「より楽しんだ人」なんですよ。
それだけは、どんなステージでも、同じだと思うのです。


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