いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ドラえもん映画』と『ONE PIECE』の「王道」について

昨日、子供たちと『ドラえもん のび太の宇宙英雄記』を観に行ってきました。
人生で最初に映画館で観た映画が、ドラえもん映画の『のび太の恐竜』であった僕としては、ドラえもん映画が35周年で、自分の子供と一緒に観ているというのは、なんだかちょっと不思議な気分です。
日本全国には、僕と同じような親も少なからずいるのでしょうね。


ただ、今回の『宇宙英雄記』は、僕としてはやや物足りませんでした。
一昨年の『ひみつ道具博物館』、昨年の『新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊』は大人の僕からみても面白かったのですけど。
ドラえもんのび太、しずか、ジャイアンスネ夫、の「5人組」が、異世界からのSOSに応じて立ち上がり、ひみつ道具の力と勇気&友情パワーで問題を解決する、というパターンは、去年の『ペコと5人の探検隊』と全く同じパターン。最近テレビで放映されていた『ペコ』を観ていたので、なおさら「焼き直し感」が大きかったのです。
そもそもこの「5人組が異世界で問題を解決する」というのは、ドラえもん映画の王道中の王道で、その中でも今回は敵に魅力がない(&弱い)、味方の「ポックル星人の保安官アロン」も、単に「いいやつ」で、敵の陰謀もなんだかわからないようなものだし。そもそも、最後の問題解決の手段が、「それだったら何でもアリだろ」と言いたくなるようなものでした。

藤子・F・不二雄先生が亡くなられてから、そのアイディアノートみたいなものからずっと続けられてきたという『ドラえもん』が、「F先生らしさ」みたいなものの呪縛から逃れようもないのかな、と感じたのも事実で。
F先生本人が生きておられたら、「らしくないもの」「新しいもの」を自ら生み出そうとすることができたのだろうけれど、他人がやるからこそ、冒険しにくい、というのもあるのだろうなあ。


一緒に行った子供たち(9歳と6歳)は、それなりに楽しんでいたようだけれど。
大人と子供とは時間の経ち方や、これまで観てきたコンテンツの記憶が異なるので、「またこのパターンか……」って思うのは大人だけで、子供はけっこう新鮮な気持ちで観ることができたのかな。


そもそも、子供向けのコンテンツを、大人目線で語ることには、あまり意味がないのかもしれないし。
これを書きながら、何年か前に読んだ、尾田栄一郎さんのインタビューを思い出しました。


『マンガ脳の鍛えかた』(取材・文:門倉紫麻/集英社)に収録されていた『ONE PIECE』の尾田栄一郎さんへのインタビューの一部です。「」内は尾田さんの発言)

ONE PIECE」は、自身が言うように”王道”の少年マンガだ。
 主人公・ルフィは、子供ならではの快活さにあふれ、脇を固める大人たちは、しっかりと大人の領分を守る。ありそうで中々見られない、そんな美しい関係性も魅力のひとつだ。

 「それが僕の理想なんだと思う。『子どもはもっと子どもらしくしなさい、大人はもっとしっかりしなさい』と思っているのかもしれない。僕はすごく普通のことを描いていると思いますけどね。昔ながらの”少年マンガ”ってそういうものでしょう。今の社会では、大人が子どもっぽくなってきているから、僕のマンガが珍しく感じられるだけなんじゃないですかね」
 尾田は一貫して「少年たちに向けて”少年マンガ”を描き続ける」と言い続けてきた。

 「今もそう思っています。長くやっていて一番思うのが、読者はどんどん成長していくものだ、ということ。でもそれに作者が流されないことが大切なんです。読者に合わせていくと、マンガもどんどん大人っぽいものになっていくでしょう。そうしたら、次の少年たち――”新入生”が入れなくなっちゃうじゃないですか。固定ファンだけが喜ぶようなマンガになってしまう。読者は、循環していいんです。僕は、”少年マンガ”の読者は大人になって出ていくものだと思っているから、常に今入ってきた少年たちが喜べるかどうかを考えている。その照準がブレなければ、”少年マンガ”は大丈夫だと思いますけどね。これは、長くやってきて、いろんな時期を経験し壁にもぶつかって、反省も踏まえて出てきた答えなんですよ」

 尾田自身も、描いていて「新入生が入って来なくなった」と思った時期があったのだという。

 「これはいかん、と思って『とにかく少年たちに向けて描くんだ』という意識に立ち返ったんです。大体5年周期くらいで読者は入れ替わる気がしますね。だから『ONE PIECE』はこれから第3期生ぐらいをお迎えする頃じゃないかな(笑)」

 これから先、マンガはどうなっていくと思うか、という問いに、「”少年マンガ”と区切っていいのなら」と前置きして、こう答えた。

 「何も変わらないと思います。少年がゾクゾクするものって、昔からまったく変わっていない。子どもの頃の僕がこれを読んでも喜ぶはずだ、と思えるものを提出すれば、間違いなく今の子どもたちもおもしろいと思ってくれる。たしかに、マンガ界の傾向が変わってきていることは感じたりはしますけど……うん、でもやっぱり変わっちゃだめなんですよ。変わらないというと、古いものを描き続けるイメージかもしれないですが、僕が言っているのは、そういうことではない。むしろ”斬新な”ものは、必要なんです」

 変わらない、けれど、斬新であり続ける。一見相反するもののようだが……。

 「うーん、具体的に言うと、僕が”海賊マンガ”という今までにない斬新なものを世に送り出して読者が食いついてくれたあの瞬間――『ONE PIECE』を送り出そうと思ってがむしゃらに新しいことをやっていたあの瞬間の必死な状態を、ずっと変わらずに続けていかなければいけない、ということです。時代が変わっても、少年たちが”少年マンガ”に斬新なものを求める状態は変わらない。だから作家も、常に斬新でおもしろいものを作り続ける状態を保っていなければならない――いわば”保持”していなければならないんです」

 つまり、保持していくためには「常に”前進”し続けていなければいけない」ということ。

 「それなのに、一度人気が出たら惰性でそのままの状態を続けていけばいい、と錯覚してしまう人もいるかもしれない。でもそうなった時点で、それはもう保持ではなくて”後退”なんです。同じものを出すということは、古いものを出すのと、同じことです」


「少年たちに向けて”少年マンガ”を描き続ける」ことの難しさ。
 いま、生きていない偉大な作家の作品を「らしさ」と「斬新さ」を両立させながら続けていかなければならない『ドラえもん』の制作者たちは、けっこう大変なのではないかなあ、と思うのです。
 実際、「いまのドラえもんを実際につくっている人たちは誰か?」って問われても答えられないし。
 結果として、同じような「異世界冒険もの」とか「リメイク」の繰り返しになってしまう。
 それでも、対象となる「子供たち」はどんどん入れ替わっていくから、それで良いのかもしれないけれど。


 先日、昔のドラえもんの映画やテレビをレンタルで借りてきて観たのですが、同じキャラクターでありながら、話のテンポとか演出が全然違うんですよね。
 当時のドラえもんを今の子供たちが観たら、なんかちょっと違う、と感じたようです。


 大人になってみると、『ドラえもん』というのは、けっこうつくるのが大変だろうな、と思うんですよ。
 のび太たちが直面している問題の大部分は「ドラえもんのあの道具をうまく使えば、解決できるはずのもの」なわけです。
 それを観ながら、「なんでそんな非効率的な道具を使うんだ!」とか、つい考えてしまう。
 そもそも、問題の大部分は、タイムマシンを使えば、解決できるのではないか。
 そんな中で、観ている側を、適度にもどかしく、ハラハラさせつつも、最後は大団円を迎えるような「道具の使い方」を決めるのは、そんなに簡単じゃない。


 とはいえ、やっぱり、「あまりにも同じパターンばかり」というのも、ちょっとキツいよなあ、とは思うんですよね。
 もちろん、冒険しすぎて「『ドラえもん』はもうダメ」になってしまうのも困るのだけれども。


マンガ脳の鍛えかた 週刊少年ジャンプ40周年記念出版 (愛蔵版コミックス)

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