いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

春日部共栄高校の「おにぎりマネージャー」への感慨

参考リンク:春日部共栄のおにぎりマネ・三宅さん引退「やってきたことに後悔なし」 (withnews) - Yahoo!ニュース


高校時代は男子校で運動では悪いほうに目立った経験しかない僕にとっては、あまりにも眩しくて「ぐぬぬ」とか言いたくもなった、春日部共栄高校の「おにぎりマネージャー」の話。
残念ながら、春日部共栄高校は敗退してしまい、これは、その引退後に地元の記者が三宅さんにインタビューしたものです。


「マネージャーの仕事はおにぎり作りが中心?」なんて記者の質問には、ちょっと苦笑してしまいましたが、まあ、こういうのって、記者本人の疑問というよりは、「マネージャーの仕事について、読者に説明してもらうための呼び水」みたいな感じなんでしょうね。


ちょっと驚いたのは、おにぎりは、直接手で握っていたわけではなくて、「型抜き」で作っていた、というところでした。
いや、驚いたというか、「そうだよね、じゃないと、やってられないよな!」と、読んでいて、僕としては妙に納得してしまいました。
あとは、「これまでの伝統的な味つけから、何種類か新味を三宅さんの代で加えた」という話。
こういうのって、簡単なことのようにみえるけど、「慣例を変える」って、けっこう大変なことなんですよね。


僕自身は、大学の部活で、「マネージャー希望」の新入生女子に「マネージャーよりも、一緒に練習して試合に出ようよ。せっかく、誰でもやればできるのだから」と「説教」したくらい(ちなみに「弓道部」)、マネージャーという存在に偏見を持っていました。
サッカー部とか野球部とかのマネージャーに対して、「ケッ、どうせ彼氏とかつくるためにマネージャーやるんだろ?」とかいうドロドロした感情も持っていたんですよね。


まだ20歳そこそこだったとはいえ、思い出すだけでも恥ずかしくなります。
プレイヤーにもさまざまなレベルがあるのと同じように、マネージャーにもいろんな人がいて、「プレイヤーが実力を発揮するための環境を整えるエキスパート」としての価値は、プレイヤーに劣るものではないんですよね。
(とはいえ、僕が知るかぎりでも、大学の部活やサークルでは、揉め事の種になる女子マネージャーというのが存在したのも事実のようです)


で、いま、40歳を越えて、この三宅さんのエピソードを聞いたとき「この人は、きっと、人生をうまく乗りこなすことができるんじゃないかな」と思ったんですよ。


「おにぎり作りのために、進学クラスから、自らランクを落とした」という話を聞いたときは、「そこまでやらなくても……」とは感じたのですけどね。


でも、「そこまでやれるというのは、すごいことだな」と。


僕は医療の世界で仕事をしてきて、「デキる人」たちが自分の横を通り過ぎて駆け上がっていくのを、ずっと見てきました。
中には、「目的のためには、手段を選ばない優秀な人」も居たのですが、彼ら「手段を選ばない人」の大部分は、どこかで、些細なつまづきからドロップアウトしていったのです。


その一方で、大学時代にそんなに熱心に勉強もしておらず、留年ギリギリの状態だった、でも、部活やボランティアなどを一生懸命やっていた人たちが、医者になってから、どんどん立派に、頼もしくなっていったんですよね。


同級生や周囲の人の半生をみてきて思うのは、人生をうまく乗り切っていくためには、2つの条件があるんじゃないかな、ということです。
ひとつめは、その対象が何であっても、「自分がやりたいと思った物事に対して、一生懸命に立ち向かっていける」、ふたつめは、「自分がきついときにも、ユーモアと他者への気配りを忘れない」。


「勉強ができたから、周囲のすすめで医学部に入った」とか「あるていど要領がよくて、単位は落とさなかったけど、なんとなく学生時代を過ごしていた(僕とか、こんな感じです)」というような人は、どこかで、踏ん張りがきかなくなるんですよ。


仕事をしていて、「この人はすごいな」という人って、「この人は、医学の世界に入らずに、他の仕事や研究をしていても、きっと成功していたにちがいない」と感じさせるものを持っています。


三宅さんが、これから、「マネージャーとしての仕事を全うした熱意」を勉強のほうに向ければ、さらに実力をつけていくのではないかなあ。
彼女は、それができる人だと思う。
偏差値を上げるためには、少し回り道だったのかもしれないけれども、長い目でみれば、こうしてやり遂げた自信と実績は、絶対に、これからの人生の支えになるはずです。
本人も「やれるだけのことはやったので、これからは自分の夢のためにがんばります!」って、ちゃんと切り替えているみたいだし。


周りが心配するまでもなく、三宅さんは、きっと、人生の最良の選択をしたんだと思うんですよ。
というか、これからも、自分の選択を後悔せずに、生きていける人なんじゃないかな。
もちろん、生きていればいろんなことがありますが、彼女の未来は明るい、と信じたい。


そして、彼女だけじゃなくて、他のマネージャーも、ベンチに入れなかった選手たちも、甲子園に出られなかった高校球児たちも、みんな、「自分がやり遂げたこと」に自信と誇りを持ってくれればいいなあ、と願っています。


甲子園に出られたり、プロのスカウトに注目されているわけでもないのに、きつい練習をして、やり遂げるって、ある意味、「才能がある選手が、甲子園に出て活躍すること」以上に大変で、すごいことだから。