いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「有給バトル」と「評価が知らないうちに拡散されてしまう社会」の歩き方

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このエントリを読みながら考えていました。
増田さん(この「はてな匿名ダイアリー」のエントリの著者)の主張は正しい。
会社側は、次の担当者への申し送りのための有給休暇中の出勤を依頼するのであれば、せめてその分の対価を払うべきでしょう。
僕自身も毎年有給休暇を余らせているのですが、だからと言ってそれを買い取ってもらったことはないし、そういう仕組みが存在しない企業も多いのかもしれません。

まあ、病院勤めだと、患者さんの申し送りをせずに退職すると、「職業規範に反している(ひらたく言うと「それでも医者か!」)」とみなされるし、そんなに広い世界ではないので、業界内での評判が悪くなるリスクはあります。
大概の仕事に、大なり小なり、そういう慣習はあると思う。

増田さんの場合は転職する、ということで、どういう経路での転職かはわからないけれど、個人的にアドバイスを求められたら、「ムカつく話ではあるけれど、会社側となるべく穏やかに相談して、次の担当者への申し送りは最低限終えてから次の職場に行ったほうがいいよ」と僕なら言います。


僕はもう50歳を過ぎているし、今の若者とは転職や休みに対する意識が異なるのは間違いない。
現状を変えてやろう、という野心よりも、今の場所でうまくやり過ごしたい、とも考えがちです。

その一方で、現状、人事権をある程度握っているのは僕くらいの世代ではあるのです。それが良いことかどうかはさておき。

採用する側になってみると、その人の前の職場での仕事ぶりや評判というのは、やはり、気になるものです。
もちろん、ほとんどの企業はAppleGoogleマッキンゼー三菱商事ではないので、比の打ちどころがない人物や超有能な特殊能力保持者を求めているわけではありません。

でも、「一緒に働きやすい人」に来てほしい、というのは、どこも同じではなかろうか。
(逆に、超一流企業のほうが、「人間性より特殊能力」という面もあるかもしれない)

いまの世の中は、数十年前に比べて、一般的には休みは取りやすくなったし、残業も減りました。
新型コロナの影響もあって、仕事の延長のような飲み会は激減し、人や職種によってはリモートで仕事を完結できます。

対人関係が苦手な僕にとっては「ネット社会万歳!」と叫びたいくらい。

SNSや転職支援会社の普及もあって、人の「評判」は簡単に調べられるし、採用する側は、そういうところを判断材料にもしています。
面接で「うまくやった」と思っていても、それは戦力外になった選手がプロ野球のシーズンオフのトライアウトで大活躍するようなもので、ある程度、トライアウトの前に採否は決められていると考えたほうがいい。


先日読んだ本に、こんな話が出てきました。

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この本の中で、森永康平さんは「マクロとミクロの混同」についての話をされています。

 財政政策や金融政策を論じる際には、「できる限り多くの国民を救おう」とか、「社会的弱者に福祉を提供しよう」といった国全体を俯瞰した「マクロ」の視点が必要になってくる。
 一方、「ミクロ」の議論はまた別だ。業績不振に苦しむ企業が社員をリストラしたり、不採算事業から撤退する、というのはミクロなら正しい。
 国家における「マクロ」の政策論では弱者を救う方策を考えるべきだが、企業や個人といった「ミクロ」の世界では資金力や物量の制約の下で、無駄を削減したり、競争を肯定したりするほうがうまくいくわけだ。
 日本ではマクロとミクロが混同されがちだ。「マクロ」を担う政治家や官僚たちほど「弱肉強食」を肯定する一方、本来「ミクロ」の企業経営者が、競争を避けぬるま湯の労働環境を維持している。
 ミクロでは合理化を追求するが、マクロでは弱者にセーフティネットを提供する。
と、こうした社会ならみな安心して競争できるので、経済全体も順調に成長していくだろう。
 ただ、なぜか日本の政治家はマクロとミクロを混同してしまう。いい例が、ビジネスにおいて成功した企業経営者たちを政府の有識者会議に呼び、マクロ経済政策を議論させていることだ。
 もちろん、国全体の経済政策を議論する上で、経営者の知見やアイディアも傾聴すべきだが、彼らはあくまで「ミクロ」の世界における成功者だ。本来、マクロ政策を論じるには不適任だろう。時としてミクロの観点からは正解の行動が、マクロの観点からは不正解になるなど、逆転現象が起きることがある。これを「合成の誤謬」と呼ぶ。


 有給休暇の期間に申し送りをさせよう、なんていう企業は「間違っている」。
 偉い人に直訴したり、公的機関に相談したりすれば、増田さんの主張は通り、有給休暇中の申し送りは無くなるか、何らかの手当が出ることになる可能性が高いでしょう。
 しかしながら、その人の「評判」みたいなものが検索・拡散されやすい今の世の中で「退職時の有給休暇中の引き継ぎに際して、揉め事を起こしたヤツ」とみなされることは、転職先で持たれるイメージや、今後また転職する可能性を考えると、人生トータルでは、マイナスのほうが大きい。


 本当は、ちゃんと有給も消化させてくれない会社や世の中やこの国が間違っているのです。それこそ「マクロ」でみれば、そういう社会こそ変わるべきだと思う。
 ただ、現実問題として、いま、ひとりの労働者として生活していて、今後もしばらくはそうせざるをえない立場の人間としては、辞める職場に「正論」をぶつけるよりも、不満を呑み込んで、なるべく良い(あるいは悪くない)印象を残して去ったほうがいい。記憶にも、(職歴の)記録にも。

 僕自身もずっとモヤモヤしながら生きてきたのだけれど、社会というマクロにとっての正しさと、個人というミクロの単位での正解は、必ずしも一致しない。あるいは、一致するとは思えない。

 子どもが「お受験」をして、小学校や中学校から偏差値が高い学校に行くなんて、なんか感じ悪いですよね。
 それこそ「親ガチャ」に成功しないと、不利になる世界の象徴みたい。
 
 僕だってそう思うのだけれど、だからといって、自分の子どもにその機会と本人にもそれなりの意欲もあるのに「社会的な平等のため」に受験をさせない、という選択をする勇気はありませんでした。

 日本は少子化で大変だ、と、みんな言っているけれど、夫婦や家族の幸せのために子どもを作ろうという人はいても、「社会のために産もう」と考える人は、現実には存在しない。


 社会(マクロ)の正しさと、個人(ミクロ)としての生き方の正しさは、お互いの立場を考えれば、どちらも間違っているわけではないのに、衝突してしまう。

 そして、インターネットのなかでは、「マクロの正義」を振りかざして、「ミクロの処世術」をたやすく批判できてしまう。

 現代は「評判」が蓄積していく世界だから。
 そして、一度貼られたレッテルを剥がすのは、すごく難しいから。

 50年生きてきて痛切に感じるのは、他人に恨まれたり嫌われたりするのは、自分で思っている以上に危険だ、ということなのです。
 だいたい、傷つけたほうは傷つけられた側ほど覚えていないし、無自覚なことも多い。
 さらに、こっちはそんなつもりじゃなかったことを、相手に「解釈」されて、負の感情を持たれてしまいます。
 そして、思いもよらぬ方法やタイミングで「お返し」をされてしまうことがあるのです。

 いまの会社があまりにもひどくて、復讐込みで辞めるつもりなら仕方ないけれど(それでも、「ミクロ」でいえば、怒りを抑えて淡々と引き継ぎをやったほうがいいとは思うが)、僕の経験上、「辞めるからこそ、ちゃんと引き継いでおく」という人のほうが、その後もうまくやれている気がします。
 僕自身は「逃げるように去ってしまった職場」もあるので、偉そうなことは言えないけれど。


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