いろんなことを考えたり考えなかったり、考えているふりをしていたり。
このリリー・フランキーさんの話を読んでいて、なんだかスッキリしなかったんですよね。
そもそも、これは「金もコネも将来への展望もない若者にありがちな鬱屈と貧乏生活」でしかなくて、対人恐怖とかに基づく病的な要因が強い「引きこもり」とは違うのではないか、とも思ったんですよ。
ある種の「生存者バイアス」のようにも感じました。
まあ、リリーさんのそのあたりの状況というのは『東京タワー』を読めばいい、って話なんですけどね。あれだけの大ベストセラーなのに、僕はすっかり存在を忘れていました。この作品はほんと、本屋大賞らしい受賞作だったな。
あらためて考えてみると、リリー・フランキーさんはこの話のなかで、「自分はいかにして引きこもり状態から離脱したのか」を語っていないんですよね。
観念ではなく具体的な出来事によって突き動かされように外へ出ていくはずです。なので、いまはムリをして焦る時期じゃありません。
という言葉があるだけです。
芸能人や作家には、「引きこもり体験」を語っている人がいます。
今をときめくマツコ・デラックスさんも、20代後半に、雑誌編集者をやめたあと、実家で2年間引きこもっていたそうです。
髭男爵の山田ルイ53世さんも、超有名進学校の中学生から、引きこもり生活になってしまったことを書いておられます。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本家、岡田麿里さんにも、自らの「引きこもり体験」についての著書があるのです。
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この方たちはみんな、現在は世に出て、人前で仕事をしているわけですから(それなりのプレッシャーはあるとしても)、「引きこもり」ではないでしょう。
冒頭のリリー・フランキーさんも含めて「引きこもりから『社会復帰』した人たち」(とはいっても、4人だけなのですが)の話を読んで僕が感じたのは、「結局のところ、人は、自分の力で引きこもりを脱することは難しいのではないか」ということでした。
マツコ・デラックスさんは、中村うさぎさんの対談相手に指名されたのがきっかけでブレイクした、というのが知られていますが、あとの人たちは、引きこもりをやえることができた「きっかけ」とか「理由」について、言及していないんですよね。
岡田麿里さんの本、「引きこもり、不登校体験記」として読むと、なんだかとてもヘンな感じなんですよ。
その違和感の理由をずっと考えていたのです。
岡田麿里さんは、自分の身に起こったことをディテールも含めてけっこう丁寧に描写しているのだけれど、「こうして私は引きこもりや生きづらさから脱出した!」というノウハウ的な記述は、ほとんどないんですよね。
劇的な理由や努力はないのに、なんだか唐突に、岡田さんは、生き方のレールを乗り換えることができている。
こういう本には「先人の知恵」みたいなものを求める人が多いのではないかと思うのです。
でも、本当のところは、「そこから抜けた本人でさえ、なぜ、『社会復帰(とされているもの)』ができたのか、よくわからない。いつのまにか、なんとなくそうなっていた」ということが、多いのかもしれません。
それとも、岡田さんは、あえて、「それを書かなかった」のだろうか?
もしかしたら、不登校や引きこもりと現在の自分は「地続き」でしかなくて、「脱出した」という感覚を持っているわけじゃないのかな。
僕は最近、なんだかものすごく底が浅いかもしれない「運命論」にとらわれているのです。
それは、結局のところ、「救われるべき人は、本人の努力とかは関係なく、なんらかの方法で、あるいはいつのまにか救われるし、そうでない人は、どうあがいても救われないのではないか」という感覚なのです。
これってカルヴァン派の「予定説」の影響もあるのかもしれません。
僕はキリスト教徒ではないし、佐藤優さんの宗教についての話を読むたびに、「自分が救われるかどうか、あらかじめ神によって決められている」なんて言われたら、もう自分からは何もしなくなるのではないか、と思っていたんですよ。
でも、歴史的な解釈では、この「予定説」が、勤労や蓄財を尊ぶことにつながっていったのだよなあ。
そもそも、今の世の中において、引きこもりを脱することが「救われる」とイコールなのか、とも思うんですよね。
現在の一般的な価値観としては「引きこもりは本人にとってつらいし、周囲も困る」のは間違いないのでしょうけど、ベーシックインカムが受け入れられるような社会になれば、働くのに向いていない人は、引きこもってもいいし、パソコンの前で自分なりの「創造的な仕事」をしていてもいい、というふうに変わっていく可能性もある。
世の中にたくさんある「成功体験」の多くが、誰にでもできるものではないように、引きこもり状態を脱した人の話よりも、「引きこもり続けざるをえない人の話」のほうが、本当は役に立つのではないか、とも思うのです。でも、そういう人たちの声は、なかなか届かない(あるいは、発せられることがない)のですよね。
とはいえ、本人がまったく努力や気持ちの切り替えをしなければ、やっぱりどうにもならないだろうな、という気はするのです。
薬物療法が必要な精神的なトラブル、という場合もあるだろうし。
そういうところに気づいてあげられる人がいるかどうかもまた「運命」なのだろうか。
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