いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『週刊SPA!』の松尾スズキさんと「こだま」さんの対談を読んだ。


今日(2017年1月24日)発売の『週刊SPA!』に、松尾スズキさんと「こだま」さんの対談が載っていました。
3ページほどのそんなに長くはない対談だったのですが、そのなかで、松尾さんの大ファンだという「こだま」さんが、こんなことを仰っていたのです。

こだま:でも、私はネットをやっていなかったら、ひたすら悲観してばかりの人生だったと思うんです。読む人が楽しんでくれると思って、悲惨な状況や不謹慎なこともおもしろがって書くクセがついちゃいました。


松尾スズキ原稿を書くときは、旦那にはなんて言って隠してるんですか?


こだま:家では、ヤフオクをやってるってことにしてます。


松尾:無理があるでしょ!


こだま:オークションだからずっと見てなきゃいけないと言い張って。


 こだまさんの『夫のちんぽが入らない』に対して、これは一体、どんなふうに読めばいいのだろう、と僕は途方に暮れてしまっていたのです。
 本人にとっては深刻な問題のはずだから、面白がったり、興味本位で読むのは失礼な気がするし、さりとて、「共感」できるかと言われると、イエスと答えるのはウソになる。もちろん、部分的にわかるような気がするところはあるけれど。
 本人にとって切実な問題なのだろうし、人はそれぞれ他者には理解困難な切実な問題を抱えているので、良いとか悪いとかじゃないんだけれど、僕はやっぱり、それを「じゃあ他所で解消してきていいよ」という相手と結婚生活を続けられないとは思う。
 

 でも、この対談を読んで、けっこう「不謹慎な」ツッコミを連発している松尾スズキさんと「読む人が楽しんでくれると思って、悲惨な状況や不謹慎なこともおもしろがって書くクセがついた」というこだまさんの話に、「ただ、面白がって興味本位に読む」というのは、けっして悪いことじゃないのだな、と思ったのです。
 むしろ、深刻になって「共感します!」って言うよりも、そのほうが相手も気楽だし、ある意味「救われる」ところがあるのかな、って。


 まあ、「救われる」とは何か、というのは難しい問題だし、自分の人生をネタとして差し出すことによって、それまでの自分にはできなかった「ジャンプ」ができてしまう人もいれば、ジャンプしたつもりなのに地面へ真っ逆さま、ということもたくさんあるのでしょうけど。
 結局のところ、どんなに他人に「わかってほしい!」って思って深刻に訴えても、「ネットで多くの人に読まれるのは、笑えるか役に立つもの」ですし。


 ちなみに、このインパクトがありすぎて、レジに持っていきづらいタイトルについて「あまり売れてほしくなくて。このタイトルにしたのも、下ネタが許されない厳格な家庭に育ったので、これなら親は絶対に手に取らないからバレないだろうという算段があったんです」と、こだまさんは仰っています。
 親っていうのは、自分がけっこうな年齢の大人になっても、やっぱり気になるものではありますよね。
 僕も父親が亡くなるまで、親の前ではお酒を飲めなかった(飲まなかった)ことを思い出しました。


夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

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