いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ブログの「性差」

「はてな女子」というのがあるのですが、そのなかで、「『はてな』は、どうやって男女を見分けているのか?」というのが、ちょっと話題になっていました。


プロフィールとかアイコンの写真とか、書かれている内容とか……
そういうのを読んでいると、どうも「人力」で判定されているようなのです。
「はてな」の人たちは、けっこう、「はてなブログ」の登録サイトを読んでいるのだなあ、なんて、ちょっと感心してみたりもして。


私はいま、『善き書店員』という、木村俊介さんのインタビュー本を読んでいます。
この本、「カリスマ書店員」として業界で有名、というほどではないけれど、有能かつ厳しい書店業界で長年がんばっている男女の書店員さんたちの「ナマの声」が収録されていて、なかなか興味深いものです。


そのなかで、広島の書店の店員さんのインタビューを読みながら、私はずっと考えていたのです。
「この人は、男性なのだろうか、女性なのだろうか?」


そんなこと、話し方や、話す内容を読んでいれば、すぐにわかるんじゃない?
私もそう思っていたのですが、それが、この書店員「藤森真琴」さんの項を読んでいても、なかなか判別できません。
藤森さんは40歳くらい(私と同世代くらいです)で、独身。
インタビューの内容は、書店での仕事のことと、ふだんの生活の様子など。


結局、私がこの藤森さんを「女性」だと判断したのは、藤森さんが、

「ともだちなんかを見ていると、保育園で子どもをあずけて仕事にとか、やっぱりたいへんそうですからね。ほかにも、親の介護がとかだけでなく、夜に出ていかなければならない仕事、命をあずかる仕事などときびしい現場におられるかたは、いくらでもいて」

と仰っているのを読んで、でした。
「保育園に子どもをあずけてはたらくのも、介護も、女性だけじゃないだろ!」と思われるかもしれませんが、男性の場合は、こういう話をするとき「女友達」のことが、最初に出てくるというのは、考えにくいだろうな、と。


藤森さんのこのインタビューでの一人称は「私」で、名前は「真琴(まこと)」。
「私」は「オレ」とか「僕」とか「あたし」などの「性別と結びつけやすい一人称」ではありませんし、「真琴」も、男女どちらでもありうる名前です。
「書店員」であり、「店長」であるという職業に関しても、性別を判定する決め手にはなりません。


私はこれまで、けっこうたくさんの人が書いたものや話したことに触れてきました。
でも、「その場に書かれているもの(内容や文体だけ)で、男女を判別するのは、案外難しい」と最近あらためて感じるようになりました。


「典型的な男性名、女性名」ではなく、「性別と結びつけやすい一人称」が使われておらず、「文章のなかに『彼氏』『彼女』などの恋愛関係の話」などが含まれていない場合には、すごく判別が難しい。
「男性は理屈っぽい、女性は感情的」なんてことを言う人もいるのですが、私にはむしろ「女性のほうが理知的」に感じられます。
少なくとも、「男女差」って、そんなに無いような気がします。
もしかしたら(というかたぶん)、私が日頃接しているネットの範囲が「感情の赴くままに書き散らかしている人々が生息しているエリア」とは遠いところにあるからなのかもしれませんが……


そういえば、トピシュさんのことも、ずっと男性だと思っていたんですよね。
女性だと知ったときには、ちょっと驚きました。
私のなかにも「ああいう理詰めで結論を導いていくような人は、男性ではないか」という先入観があったのです。


人間の顔って、髪と体毛を添って、化粧を無くしてしまえば、男女を見分けるのは、けっこう難しい、という話があります。
「男子」「女子」って、「文章の書き方でわかる」ように思われがちだけれど、実際は、プロフィールとか、一人称とか、書いている個人的な情報で「判別」されている面が大きいのではないでしょうか。
文体や考え方の「性差」って、そんなに大きなものではありません。
昔のネットでは、「ネカマ」のほうが「女性っぽい文章」を書いている、なんていうのは、よくある話でしたし。


善き書店員

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