いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

インターネットと『デイリーポータルZ』と「老い」について


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デイリーポータルZ』の林雄司編集長へのインタビュー記事が、相次いで出ていて、これは上場でもするのだろうか、と思ったのですが、さすがにそんなことはないですよね。『デイリーポータルZ』に関する、なんらかの「テコ入れ」の一環なのだろうか。


この2つのインタビュー、似たようなことを林さんが話している部分もあるのですが、前者は「ネットでコンテンツを提供しつづけることを『老い』」が大きなテーマで、後者は「組織に所属しつづけることのメリット、デメリット」みたいなことが重点的に語られています。
「老い」っていうけど、林さん、僕と同世代なんだよなあ……
もちろん、ネットのなかではずっと殿上人だった林さんを、テキストサイト時代から眺めてきたのですが、インターネット黎明期に、ただ、「誰かに読んでもらいたい、少しでも反応があればうれしい」と書いていた時代のことを考えると、あれから20年も経ってしまったのかと感慨深いものがあります。
林さんは前者のインタビューのなかで、「考えてみると、こうやって表に出てくるネットメディアの人間で、僕がもう最年長くらいになっちゃったんですよね。同世代の人はほとんどみんな辞めちゃって、他はみんな若いですからね」と仰っていますが、ネットのコンテンツをつくっていくという仕事は、けっこうハードなんだな、とあらためて考えてしまいます。「これで(『デイリーポータルZ』のライターとして)30万円くらいは稼げないと」という話も出てくるのですが、正直、あれだけのクオリティの記事をコンスタントに書いていても「30万円くらいで御の字」という世界なのか……という切なさもあるのです。それは僕の世間知らずなところなのだろうけれども、あらためて考えてみると、ネットでずっと書き続けている人って、専業は少ないですよね。なんらかの仕事を持っていて、そのアピールの手段として書いていたり、収入は仕事、ネットで書くのは趣味、だったりというのがほとんどなのです。
ネットで名前が売れても、ずっとネットでやっていけるのは「まとめサイト」の人くらいです。ネットでものを書いて小さく稼ぐのは、それほどハードルが高くはなくても、それでちゃんと稼いで安定した収入を長年得ていく、というのはものすごく難しい。それに、ネットって、書けば書くほど「ネットを読んで、ネットについて書く」みたいになりがちで、どんどん自分の足を食っていくような内容になりやすい。それでいて、ネットというのは恐ろしいくらい、数字がクリアに出てくる世界なので、炎上するギリギリくらいのところをあえて狙い続けないとコンスタントにPV(ページビュー)を稼ぐのは難しい。いろいろ調べたり、考えたりして渾身のエントリを書くよりも、「『ワイドナショー』で松本人志さんがこう言った!」みたいな「ニュース」のほうがたくさん読まれる世界であり、「Yahooニュースではコソボは独立しなかった」なんて言われてしまうくらいだし。
とはいえ、僕自身も昔から新聞の世界情勢とかをちゃんと見てはいなかったんですけどね。
林が投資信託の話をされていましたが、僕も株をほんの少し買うようになって、ようやく興味を持つようになりました。
まあなんというか、人というのは、面白いことか、役に立つことか、自分にとって関係のあることじゃないと、興味を持つのは難しい。
そして「面白い」というのは長く続けていくのは本当に難しい。
漫画家のなかでも、ギャグマンガ家は短命だって言うじゃないですか。
ストーリーマンガみたいに「引き延ばす」のが困難だし。
ネットの最前線でPV競争をするのって、ものすごく消耗するのではなかろうか。ネットは自由だと信じていても、実際は「PVを稼がなくてはならないストレス」にさらされ続けるのって、かなりキツそうです。
ネットメディアで活躍していた人が、規制のメディア(新聞や雑誌など)に活動の場を移したり、出戻ったりするのには、それなりの理由があるのです、たぶん。
そんななかで、「ずっとネットメディアでありつづけている」という『デイリーポータルZ』はすごい。
でも、あんなに大きなメディアでも、そんなにものすごくお金がかかるような企画は避けているようにみえても「赤字」なのか。


「老い」というのは人間にとって永遠のテーマであるのと同時に、自分にそれが押し寄せてくるまでは、あまり実感がわかないものでもあります。
僕も最近、疲れやすさを感じたり、老眼になったりして、「こういうものなのか」と実感する日々なんですよ。
で、「老害」にはなりたくないのだけれども、正直、そういう「機能低下」を実感するようになると、「積極的に自己主張していかないと、自分は忘れられる、あるいはダメになってしまうのではないか」という、漠然とした不安みたいなものにとらわれることがあるのです。
つい、何か言いたくなってしまうんだよね。言わなくてもいいことを。
ネットって、言わなくてもいいことを、いかにうまく言うか、という世界でもある。
その一方で、神輿に乗せられて「自分ならここまで言える!」と調子に乗っていくと、ある日突然、神輿がスッと消えて谷底に真っ逆さま。
だから、林さんが「老害化」を意識してふるまっていることと、「組織というインフラに乗っかって仕事をすることのメリット」を話しておられるのには、同世代として、ものすごく参考になる処世術だなあ、と感心したのです。


僕が最近読んで、なるほど、と思った話があるんですよ。

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この本のなかの、池上彰さんと半藤一利さんの対談の一部です。

池上:半藤さん、いまパソコンが売れなくなったこと、ご存じですか?


半藤:えっ、売れなくなっているんですか。


池上:はい。みんなパソコンのかわりにスマホタブレット端末を使っているからです。いま新入社員でパソコンの使い方がわからないひとが増えているそうです。「ワード」とか「エクセル」が使えない。二年ほど前に、東大生がスマホで卒論を書いたと話題になったことがありましたが、もうそんな状態なのです。いまの40代のひとは、新入社員のときにパソコンが使えない先輩たちに使い方を教え、自分が40代になってみると、今度は20代の連中にまた、パソコンの使い方を教えているという笑い話があります。だから夏や冬のボーナス時期に、パソコンの新型機種が最近出ない。


半藤:そうでしたね、その昔は新聞の一ページを使ってパソコンの広告が出ていましたが、言われてみれば最近は見かけないねえ。


1990年代後半から2000年くらいにかけてのインターネット黎明期に20代半ばくらいの「自分のお金でネットができて、自分でHTMLを打ったり、『ホームページビルダー』とかでWEBサイトをつくっていた大人たちって、結果的に、いまの世の中では「インターネット文化の創成期から成長期、そして現在まで」をど真ん中で体験してきたのです。「いろんな人が立場や肩書き抜きで議論できて、内容の正しさだけで評価される世界」という理想があったことも知っています。
ひと世代上になると、「なんかネットってわけがわからない、怖い」から、時代の波に乗せられて使うようになった、という人が多いのでしょうし、ひと世代下になると生活のなかに、インターネットがあるのは当たり前で、「ネットだから」という偏見も身構える感じもありません。

おそらく、あと20年もすれば「ネットなんてわけがわからない」世代は退場し、さらにあと20年経てば「ネットの歴史を最初からみてきた」人たちもいなくなっていくはずです。

僕も20年間、何やっていたんだろう?と、最近あらためて思うことがあるんですよ。
初期の頃の「どんどん人が来てくれた、右肩上がりの時代」の心地よさを損切りできていないのかもしれない。
単調で生々しい日々を自分なりにネタにして、なんとかやりすごした面もあるし、自分が知ったこと、考えたことが、どこかで誰かの役にほんの少しでも立ってくれないか、と願ってもいる。
正直、なんだったんだろうなあ、とか、何もできなかったなあ、と思う。

世代論みたいなものに縛られずに、いつの時代にも、面白いことをやりたい人たちはいて、それを今の時代なりにやっているのが『デイリーポータルZ』なんだ、ということなのでしょう。
そして、「今、面白いこと」を続けることだけでなんらかの「意味」を生むこともある。
それは、受け手の身勝手な「解釈」なのかもしれないけれども。


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