いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『M-1グランプリ 2018』の審査についての騒動をみていて思い出した、本当に面白い「芸人の本」10冊


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M-1グランプリ2018』での審査員、とくに、立川志らくさんと上沼恵美子さんの審査について、ネットではかなり批判が目立っていて、その上沼さんを泥酔して批判したとろサーモンの久保田さんとスーパーマラドーナの武智さんも「大先輩に失礼」と大炎上しているのです。
僕はコメンテーター・立川志らくは好きじゃないのですが、落語家としては好きですし、今回の審査についても「新しいことをやろうとしている人を積極的に評価するスタンスの審査員」として、少なくともブレてはいないとは感じました。
上沼美恵子さんについては、以前からこんな人ではあるし、好き嫌いでコメントしているようにみえるけれど、実際につけている点数はそんなに全体的な評価と乖離していないし、こういう他の審査員とはやや属性が異なる人は必要なのかもしれないと思うのです。
誰か「絶対的に正しい評価ができる審査員」というのが存在するのであれば、その人だけに審査してもらえばいいのですが、そんな人がいるわけないので、「審査する人の多様性」を求めているのでしょうし。
ただ、こういうのって、結局のところ、僕がお笑いにそんなに思い入れがないから、そういう距離を置いた見方をしてしまうだけのことで、出場者の誰かやお笑いそのものに強い思い入れがある人にとっては、「あまりにも好き勝手にやっている(ように見える)審査員」に物申したくなるのもわかります。
僕だって、プロ野球で応援しているチームからFA移籍した選手に「銭ゲバ」とか「裏切り者」とか思わずにいられないわけで、野球や個々のチームに興味がない人にとっては、ああいうのって、「同じ野球をやるのなら、お金をたくさんもらえるほうに行くのは当然じゃない?」って話なのだろうなあ。
僕が志らくさんに「ああいうスタンスもありじゃない?」って思うのは、志らくさんに好感を抱いているからだ、とも言えるわけで。
いつも言っているのですが、僕は自分が「他者の発言や行動を、その内容ではなく、その人のことを好きかどうかで判断する傾向がある」人間であることを認識せざるをえませんでした。
行為そのものに対する是非以前に、好きな人がやることなら許せる理由を探すし、嫌いなヤツの言葉にはツッコミどころを見つけようとしてしまう。
「好きな人でも、良いことばかりを言ったりやったりするわけではないし、逆もまた真なり」なのは、頭では理解できているつもりなのだけれど。


前置きが長くなってしまいましたが、「芸人」について書かれた本を、僕はけっこうたくさん読んできました。
芸人自身が書いたものもあれば、取材者や周囲の人が書いたものもあります。
(「芸人自身が書いた」体裁でも、聞き書きでまとめられたものも少なからずあるはず)
総じていえば、芸人についての本というのは、かなり、面白い率が高いのです。
これは、僕自身が、自分にはできない生き方に憧れているから、なのかもしれないけれど。


そこで、今回は、「芸人」について書かれたおすすめの本を10冊、紹介してみます。
彼らの生きざまと「芸」というのは深く結びついているし、その背景を知っていると、「なぜ、立川志らくさんは、ああいうスタンスで審査をしたのか」も考えやすくなると思うので。



(1)敗者復活

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この本のなかで、僕がいちばん心を動かされたのは、サンドウィッチマンが敗者復活で勝ち上がっていったときの、他の芸人たちの姿でした。彼らはライバルなのだけれど、その一方で、同じ目標を持ってがんばっている「仲間」であり、お笑い界の「主流派」である吉本興業以外の芸人たちは、とくにM−1の舞台では、「マイノリティとしての矜持」を共有しているのでしょう。みんな悔しいだろうし、「敗者復活」していったサンドウィッチマンが妬ましい気持ちもあるはずなのに。

(伊達さんの記述)
 サンドウィッチマンが敗者復活してから、大井競馬場は大変なことになってたらしい。
 残った56組の芸人たちのほとんどが帰らずに、決勝放送中のモニター前から動かない。
 これはM−1では異例のことだったらしい。何かが起こる予感を、みんな感じていたんだろうか?
 局側の本スタッフが、大井競馬場の撮影隊に「こっちに戻って来い」と言ったけど、「いま大井大変なんです!」って、モニター前の様子をカメラで撮り続けていたと聞いた。敗者復活会場に撮影隊が残ったのも、異例だったそうだ。
 芸人それぞれ、パイプ椅子に座ったり地べたに座りこんで、食い入るように決勝の様子を見てた。M−1グランプリのDVD特典映像のドキュメントでは、そのときの様子が詳しく記録されている。
 モニターを見る芸人たちの最前列、ど真ん中の一番いいポジションに、二郎さんが座ってた。そのすぐ横に、後輩のタイムマシーン3号・関と、超新塾のドラゴンもいる。
 二郎さんの顔がまた……たまらないんだ。兄貴みたいな、父親みたいな顔で、サンドウィッチマンの出番を見守ってくれている。
 あの人はそれまで、準決勝で負けたら「なんで僕らを選ばないんだよ!」ってすごい剣幕で怒って、帰っちゃっていた。特に2005年の敗者復活では、どうみても東京ダイナマイトが一番ウケてたのに、勝ちあがれなくて。あのときの悔しがり方は、忘れられない。
 その二郎さんが、会場に残り、モニターの前に陣取って、満面の笑みで僕らの漫才を見てくれている。「頑張れよ、伊達ちゃん!」っていう、心の声まで聞こえてきそうだった。
 何度見ても、このシーンは涙がこぼれそうになる。



(2)赤めだか

赤めだか (扶桑社BOOKS文庫)

赤めだか (扶桑社BOOKS文庫)

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 立川談春さんが中学時代に「落語を聴きに行く」という学校行事で、同級生たちと寄席に行った際、談志さんはこんなことを云っていたそうです。

「落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもついつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない、八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろうう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな」


 まさにこの「頭ではわかっていても、『正しいこと』ができない人間の業」を体現しているのが、立川談志なのではないかな、と。



(3)藝人春秋

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以前、「と学会」の本で、会員になった占い師に対する「バードウォッチングの会に入ってきた鳥」だというたとえがあったのを記憶しているのですが、水道橋博士は、その逆で、「バードウォッチングに夢中になりすぎて、鳥になってしまったバードウォッチャー」のように僕には感じられます。
本質的には「観察者」なんじゃないかな、と。

この本の後半に、北野武さんと松本人志さんの話が出てきます。
1994年に、松本さんがナンシー関さんとの対談で、ビートたけしさんと比較された松本さんが「僕が一番だと思っている」と発言したことについて、ずっと心に引っかかっていた博士は、2006年に松本さんと『すべらない話』で共演したあとの打ち上げで、はじめて言葉を交わした際、こんなやりとりをしたそうです。

「あの時、ナンシー関に聞かれて、どうして『自分が一番』って言い切れたんですか?」と訊くと、「博士ぇ、俺もアホちゃうから発言の意味は分かっとるよ。でもあの時は、ああ言わんと目の前の大きい壁を崩して前へ進めへんやろう。あれば、あの時言うて正解やったわ〜」と振り返った。



(4)有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか

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 この新書のなかで、僕がいちばん好きだったのは、書き下ろしの有吉弘行さんの章でした。
 僕も「自意識過剰な子供」だったので、有吉さんの子供時代に、自分の姿を少し重ねてみたりして。
 たぶん、この新書のなかに出てくる芸人の誰かに、自分を重ねて読む人は、多いのではないかと思うのです。
 彼らは人気者であり、超人である一方で、「どうしようもなく、人間」でもあります。

「(インドとかに行って)人生観変わったとか言うヤツは、日本でたいした人生送ってないんですよ」(『アナザースカイ(2010/4/16)』)
「自意識」が崩壊するような過酷な旅をしてきたからこそ説得力がある言葉だ。「自分」なんて本当はない。「他人から見た自分」こそが「本当の自分」なのだ。だとしたら自分が思っている「本音」だって、それが本当に「自分の本音」なのかは疑わしい。だから有吉は「自分」や「本音」を捨て、「リアクション芸」をするかのように、その場に応じて変わる「本音っぽい」毒舌や批評を相手にぶつけるのだ。



(5)人生、成り行き―談志一代記

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)

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この本では、談志師匠による「半生記」が語られています。
5代目柳家小さん師匠への入門、真打ちへの昇進、テレビで人気者となり、国会議員にも当選したこと。
そして、「落語教会分裂騒動」を巻き起こしたのち、「立川流」を創設。
読んでいると、ものすごく面白いのですが、その一方で、あまりに奔放な語り口に、「これはどこまでが事実で、どこまでがネタなんだろう?」と考えてしまうのも事実です。
いやほんと、プロレスでいえば猪木さんみたいなもので、「人生そのものがネタになっている人」なんですよね談志師匠って。


この本のなかで、僕がいちばん興味深かったのは、談志師匠が、「落語」あるいは「芸」について語っているところでした。
参議院議員時代に自民党を離党し、政務次官を辞任したあとの、こんな話もありました。

 浅草演芸ホールに行くと、おれがそばにいるのに、呼び込みの野郎、見事なもんだよ、「さあさあ、いらっしゃい、いらしゃい、政務次官をしくじったやつがこれから出ますよー」って平気でやってるんだ。でも、それで正解なんだね。この時、芸に対してーーこの言葉をここで使ってもいいと思いますが――<開眼>したナ。
 もうおれが高座に出るだけで客の反応が凄いんだ、ウワーッって二階の天井が抜けるみたいでした。「やっと最下位で当選して政務次官になったと思ったら、やられたーっ」ドカーンってね。沖縄開発庁長官で、おれが問題になったとたんに手のひら返すみたいなことをした植木(光教)って議員がいましたがネ、選挙区が京都だったかな、「あの莫迦、ただおかねェ。今度はあいつの選挙区で共産党から出て落っことしてやる」ウエーッ。「おれはな、イデオロギーより恨みを優先させる人間だからな!」大拍手大喝采ですヨ。
 ここで、<芸>はうまい/まずい、面白い/面白くない、などではなくて、その演者の人間性、パーソナリティ、存在をいかに出すかなんだと気がついた。少なくとも、それが現代における芸、だと思ったんです。いや、現代と言わずとも、パーソナリティに作品は負けるんです。それが証拠の(明治の四天王の一人で、ステテコの三遊亭)円遊であり、(大正から昭和初期にかけての柳家金語楼でありという<爆笑王>の系譜ではなかったか。その一方、彼らのパーソナリティに負けちゃうんで、<落語研究会>といった作品を守る牙城ができたんじゃないのか。もう少し考えを進めると、演者の人間性を、非常識な、不明確な、ワケのわからない部分まで含めて、丸ごとさらけ出すことこそが現代の芸かもしれませんナ。
 ただ、あたしには<うまい芸>への郷愁はあります。「うまくないとイヤだ」という部分が残っていて、そこにギャップはあります。志の輔なんかも、このギャップにはどこかで気づいてるんじゃないかな。


「うまい芸」か「パーソナリティ」か?
もちろん、どちらか一方だけで成り立つものではなくて、それぞれが混じり合って、「芸人」が成り立っているのでしょうけど、どんな「うまい芸」も、演じる人間の人間性(というか、キャラクターの力、というべきでしょうか)には勝てない面があるのでしょう。


 立川志らくさんが敬愛してやまない師匠・立川談志のこういう言葉を知ると、志らくさんの『M-1』での審査基準やコメントの意味も理解できるような気がするのです。



(6)社会人大学人見知り学部 卒業見込

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若林さんの「自意識過剰っぷり」には、「自意識過剰派」の僕も、「これは負けたかも……」と思いました。まあ、そんなの勝っても何も良いことはないのだけれども。

 物心ついた頃から「考え過ぎだよ」とよく言われる。
 最近では、付き合いが長い人に「何度も言われてるとは思うけどさ」と前置きのジャブが入ってから「考え過ぎだよ」と言われるようになっている。避けれない。
 考え過ぎて良いことと悪いことがある。ぼくの場合は考え過ぎて悪い方向に行っている。ということだろう。
 みんなはなんで考え過ぎないで済むんだろう? どうすれば考え過ぎなくなれるのか? と、今度は考え過ぎない方法を考え過ぎていた。



(7)笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶論(新潮新書)

笑福亭鶴瓶論(新潮新書)

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 この新書では、著者が、鶴瓶さんに関する、さまざまなエピソード(の中でも、信ぴょう性が高いもの)を集めてきています。
 そういう事実の積み重ねこそが、「笑福亭鶴瓶という不思議な芸人の全体像、みたいなものを浮かび上がらせてくるような気がしてくるのです。
 著者も、鶴瓶さんの場合は、誰かが主観をこめて論評すればするほど、そこから、するりと逃げてしまうように感じていたのではないでしょうか。

 鶴瓶は基本的にサインを断らない。
「言うとくけど、俺、日本で一番サインしてるよ。二千円札より俺の方が多いわ(笑)」
 と鶴瓶はうそぶく。
 映画の撮影などで長期間同じ場所に滞在すると、最後には1世帯につき2~3枚以上のサインを書くことも少なくないという。
 一度、変わった名前の人にサインを書いた。普通の名字の前に『コ』という一文字がつくのだ。
 漢字を聞き返すと「故」だという。
「一家に一つ、誰々さん、誰々さんで、死んだ人にまでサインを書いたんですよ」
 もう家族みんなにサインをもらったのであろう。既に亡くなった故人へのサインまで頼まれたのだ。映画撮影期間、ロケ地周辺の文房具屋から色紙が消えたという。
 求められたら拒まない。サインには積極的に応じ、声をかけられれば家にも上がり、トイレはおろか風呂まで借りることさえある。
 映画『ディア・ドクター』(2009年公開)の撮影時には、こうした鶴瓶の態度によって、「市が一つになった」とロケ先の市長が評したほどだ。


 そんな「ファンサービス伝説」が語られる一方で、こんな話も著者は紹介しています。
 鶴瓶さんは、明石家さんまさんとさんまさんがデビューしてからすぐの頃からの付き合いだそうなのですが、二人がまだ若かりし頃、こんなことがあったそうです。

 まだ二人が大阪に住んでいた頃、鶴瓶が前述の『ミッドナイト東海』出演で名古屋に、さんまが東京に、同じくラジオの仕事に行く新幹線で鉢合わせになることが多かった。
 駅のホームにはファンが集まっていた。そのファンに向かって鶴瓶は会釈をし、愛嬌を振り撒いていた。
 さらに鶴瓶は、そんなファンから差し入れにおにぎりをもらった。新幹線が発車するまでの間に、鶴瓶はそのおにぎりを頬張った。
 ファンからもらった食べ物は食べられない、と訝しむさんまに向かって鶴瓶は言った。
「たしかに何か変なものが入ってるかもしれんしな。俺も怖いよ。でもな、俺はファンを信じてこれを食べんねん。見てるとこで食べると喜んでくれるやろ。芸人は喜んでもらってなんぼや。俺はファンを大事にしたいねん」
 新幹線が発車し、ファンが見えなくなると、食べかけのままそのおにぎりをしまった。「もう食べないのか」と問うさんまに鶴瓶は当たり前のように言って笑った。
「見てないところで食べてもしゃあないがな。俺は今、あんまり腹空いてないねん」
 そんな鶴瓶の言動にさんまは呆気にとられるとともに、感心したという。



(8)もうひとつの浅草キッド

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漫才ブームも下火となり、司会業やタレントとしての仕事などが増えていった相方と、きよしさんは疎遠になっていきます。

「お前らってさ、凄いよな」
「何が凄いんですか?」
「お互いに相方の悪口も言わないし。普通のコンビだったら悪口言うのに、言わないよね、お前たちは」
 お互い別々のピンでの仕事が増えた頃、いろんな人からそう言われた。
 コンビで別々の仕事が増えてくると、よくあるのが相方の悪口を言うこと。特に一方が売れっ子になって、もう一方は仕事が少なかったりすると、相手を僻んだり妬んだりして文句を言ったりするようになる。
 その点、ウチらは一切そういうことはなかった。

 この本のなかに、ツービートの「最後の営業」のときに、きよしさんがたけしさんと二人きりで食事をしたときのことが書かれています。
 僕は電車の中でこの本を読んでいたのですが、この場面を読んでいて、涙が止まらなくなってしまいました。



(9)芸人迷子

芸人迷子

芸人迷子

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 書店で見かけて、「おお、これはリアル『火花』(又吉直樹さんの芥川賞受賞作)だな」と思いつつ購入。帰ってさっそく一気読みしました。
 軽い気持ちで読み始めたのですが、読んでいるうちに、寝転がって読むのが申し訳なくなってきて。
 こんなにヒリヒリする本は、そんなに無いと思います。

 漫才に思い入れがあって、テレビでのMCのような仕事よりも、「とにかく劇場で客にいちばんウケる」ことに誇りを持っていたユウキロックさん。
 第1回の「M−1グランプリ」で準優勝し、『爆笑オンエアバトル』でも大活躍。
 いまも、お笑いの第一線で活躍していてもおかしくないはずなのに、ユウキさんは、自分たちのネタに、相方のお笑いに対する姿勢に我慢ができなかったのです。
 読んでいるだけで、ユウキさんのものすごい自信と、その自信と羞恥心がゆえに、ほんの少し妥協すれば手に入ったはずの栄光を手放してしまう姿に、なんだか圧倒されてしまいます。
 これは『リアル山月記』だ……

 ネタを作り続け、単独ライブにこだわり、ボケとツッコミも変更。「ハリガネロック」で起こるすべてのことを俺主導で行ってきたが、結果が出せなくなりアイデンティティも失った。俺が本物の漫才師として生きていくためには、それが間違いだったと認めて、俺自身で全否定するしかない。だから極端で身勝手かもしれないが、俺にやれることはもうこれしか残されていないと思った。それは「動かない」ということ。「何もやらない」ということ。そして、相方からの呼びかけをひたすら待ち続ける。動きを止めた俺を見て「ハリガネロック」再興へと動き出す相方を待つ。そこには深い意味がある。相方の自我が目覚めるからだ。俺に言われてネタ作りに参加するのではない。自分からネタ作りの場を作ろうとする。そこに責任感が生まれる。その時、五分と五分の「ハリガネロック」が産声を上げる。自我と自我がぶつかる「ハリガネロック」が誕生するのだ。そう信じて待ち続けると決めた。時間は2013年1月まで。それまでに呼びかけがなければ3月31日、芸歴20年を終えるこの日に解散する。俺は決断した。



(10)天才はあきらめた

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

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 僕は南海キャンディーズの不仲説って、ありがちな「ビジネス不仲」なんだろう、と解釈していたのですが、本当にこんなに仲が悪かった(というか、山里さんがしずちゃんに嫉妬し、厳しくあたっていた)ということを知って驚きました。
 いやほんと、この本、山里亮太という「お笑いの超秀才」であり、「独裁者」の黒歴史でもあるんですよ。読んでいて、「これはひどい……」と何度も呟かずにはいられませんでした。


 2004年、南海キャンディーズM-1に出場したときのM-1対策について。

 やっと獲得した定期的な舞台では、お客さんの非難を浴びながらも同じネタをやりまくった。M-1には決勝に行くまでに必要なネタは極端な話、2本あればよかった。1回戦のネタをもう一度やることも別にルールとしては駄目ではない。なので、決勝に行ったときのことを考えると、決勝と最終決戦用の2本があればいい。なので僕は2本のネタひたすらやることにした。
 ただ全く同じものをやるのではなく、いろいろなマイナーチェンジを加えた。一つのくだりに、単純にボケの候補を50個作ってすべて試して、一番ウケたやつを残すという入れ替え戦のような形でやっていたり、ツッコミのフレーズもいろいろ試したり、ある程度ウケるものが固まってきたら、ネタ内容は全く一緒だが、ボケを言ってからツッコむまでの時間を長くしてみるという細かいことまでした。
 ノートのなかのネタの横には、ツッコむまでの秒数とそれのウケの量を書いていた。毎回、ライブが終わるたびに取捨選択の作業、そしてそれをノートに書く。そのとき思いついたボケは次の舞台で入れてみる。そして反応を見てそれを固定化する。その繰り返しだった。
 こういうノート、この前数えたら前のコンビからのものを入れて100冊近くあった。最終的に僕たちが初めて出たM-1のときの医者ネタ
50回以上書いてると思う。接続詞の一つまで気にするようになったのも、このノートのおかげだ。
 このノートがいろいろな緊張から助けてくれた。
「これだけ頑張ってるんだから」という気持ちにしてくれるお守りになっていた。


 山里さんは、これだけのことを「目標を成し遂げるためには、やり続ける人」でもあったのです。
 相方にとっての山里さんは、要求してくるものが高すぎたり、嫉妬されたりで、「すごいんだけど、ついていけない人」だったのだとしても。



 以上、これまで読んできたもののなかでも、印象に残っている「芸人の本」10冊でした。
 どれを読んでも、掛け値なしの面白さであり、人間の向上心と執念と業みたいなものを感じさせてくれます。
 笑いには、文脈も好みもあるのだけれど、「絶対的な正解」は、たぶん、存在しない。
 M-1で、あらためて「漫才」に興味を持った人に、ぜひ一冊でも、手にとっていただきたいと思います。


一発屋芸人列伝

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