VNI(バーチャルネットアイドル)か……
僕がネットで日記とか書き始めたころ、『ちゆ12歳』がテキストサイト界に『侍魂』『ろじっくぱらだいす』などとともに君臨していて、『ネットランナー』とかでもよく採り上げられていたのだよなあ(この時点で、「何その話?」と脱落している人が8割くらいか)。
このエントリを読んでいて、僕は、そういえば、VNIの前に、3DCGで描かれた「バーチャルアイドル・伊達杏子」っていう人(?)がいたなあ、と思い出したんですよ。
あのホリプロから、「次世代アイドル」として1996年にデビューし、当時のパソコン雑誌ではけっこう大きく採り上げられ、CDデビューしたり、インタビューが掲載されたりしたのですが、いつのまにかフェードアウトしてしまった伊達さん。
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デビュー当時から、「これ、誰得?」とおもい思いながらみていたのですが、最近、娘さん(という設定)の「伊達あやの」さんも登場してきて、お母さんの杏子さんは「なるべくリアルな造形」を目指していたのに、娘さんは「アニメの美少女っぽい絵」になっていることに時代の変化を感じます。
いまの技術であれば、伊達杏子さんの時代よりもずっと、「人間っぽくみえるCGキャラクター」も技術的にはつくれそうですけどね。AIでの会話もかなりできそうだし。
あれから20年余り経って、売る側の感覚としては、「リアル路線のバーチャルアイドルは売るのが難しい」ということになったのだと思われます。
杏子さんのときも、「それなら人間で良いんじゃない?」って思ったものなあ。
バーチャルアイドルのメリットというのは、
(1)年を取らない
(2)わがままを言わない
(3)スキャンダルの心配がない(意図的に制作側が仕掛けなければ)
(4)売れてもギャラで揉めることがない
(5)一度にたくさんの仕事を同時進行でこなせる
など、たくさんあるわけです。
テクノロジーは圧倒的に進化しているのだから、もっとリアルなキャラクターは作れるはず。
ファンも、スキャンダルや「知られざる暗黒面」で、裏切られる心配もしなくていい。
にもかかわらず、伊達杏子プロジェクトは、うまくいきませんでした。
では、バーチャルアイドルは全然ダメだったのか?というと、解釈によって違ってくるみたいです。
このWikipediaの定義をみていると、伊達杏子さんのように、「アイドルとして直接デビューしたキャラクター」は、うまくいかなかったけれど、「リン・ミンメイ」とか「芳賀ゆい」のような「フィクションの女性キャラクターで、アイドル的な人気を得た存在」も「バーチャルアイドル」に含まれるようです。僕は「芳賀ゆい」はバーチャルアイドルだけれど、リン・ミンメイは「アニメ作品という背景を含めてのキャラクター人気」だと感じるので、けっこう違和感があるのですが。
伊達杏子さんの失敗は、「普通の女性アイドルと同じような売り方をしようとしてしまったこと」にあるのではないか、と僕は思っています。
バーチャルアイドルというのは、前述したように「完璧なアイドル」になれる可能性を持っていたわけです。触れられない、という点を除いては。
最近、吉田豪さんの『吉田豪と15人の女たち』という対談本を読みました。
そのなかで、元SUPER☆GIRLSの前島亜美さんと吉田さんが、こんな話をされています。
吉田豪:卒業するとき、記者の人に恋愛の話を振られて、「私はいままでちゃんと守り通してきて」みたいに言っていたのも印象的でした。
前島亜美:そうですね。恋愛禁止って話題が出るたんびに議論になりますけど、私は破りたいと思ったこともなくて。活動に全力を注いでたので、遊びたいっていう感情もあんまりなくて。応援してくださってる方を裏切るっていうのもちょっとイメージが湧かなくて。それよりも叶えたい夢があったし、やりたいことがたくさんあったし。……っていう気持ちがありつつ、でも恋愛のほうが大事な子は周りにもたくさんいて。それに傷つくたびに自分はそうなっちゃいけないなって思ってたのもあって守り通したんですけど。よかったのか悪かったのかはわからないですが(笑)。
吉田:人間としてはそっちのほうが幸せだったのかもしれないけど、アイドルとしての責任をまっとうしたかったってことですかね。
前島:はい。渡辺麻友さんがおっしゃってた、「しっかりとアイドルとしてはルールを守ったけど、人間としては何か大切なものを失ったかもしれない」って言葉にハッ!と。
吉田:ダハハハハ! 「わかる!」っていう。
前島:たとえば学校帰りに友達と遊ぶ時間とか。デートなのか、青春のかたちっていろいろあると思うんですけど、自分にとっては応援してくださる方々と過ごしてきた日々が青春だなと思ってるので、ピッタリ10代を費やしてきて、いいかなって思ってます。
吉田:まゆゆも本当に信用できる人じゃないですか。きちんとルールを守り通して。でも、人間的な深みは指原さんのほうがありそうな気がするのが、難しい問題だと思います。
前島:うーん……皮肉ですよね、ホントに。だからいま、私もそこに悩んだりします。
アイドルに「恋愛禁止」「純潔」みたいなものを求めるのであれば、その点においては、バーチャルアイドルは無敵なわけです。
それこそ、トイレにも行かないのだから。
ところが、多くの人は「恋愛禁止」を破ったら、ひどく失望するにもかかわらず、「絶対に裏切らないバーチャルアイドル」には、なびいてくれない。
「そこをあえて我慢しているところが魅力なのだ」ということなのかもしれないけれど、我慢できない人がさんざんバッシングされるのであれば、最初からバーチャルアイドルにしておけば、お互いに傷つかずに済むのに。
そして、ここで吉田豪さんが仰っているように、われわれは、ルールを破った人を強く責める一方で、ずっとルールを守り通した人よりも、ルールを踏み越えてしまう人に「人間味」とかを感じてしまいがちなんですよね。
それも、「喫煙ベッド写真」とか「不倫LINE」とかのレベルになると、再起不能になってしまうわけで、観客側がどこまで許すのか、どこまでは「人間的な深み」として長い目でみたら評価されるのか、というのは、本当に難しいところです。
指原さんも、売れてからあのスキャンダルが出てきたら、また世間の反応も違ったはず。
いろんな不祥事で「なんでこの人はこのくらいのことで大バッシングで、この人は微笑ましいエピソードみたいになっているんだ?」と思うことって、けっこうありますよね。
僕はけっこう長い間、シルク・ドゥ・ソレイユのステージにはまっていて、ずっと公演を観ていたのです。
そのステージが映画化された際にも観に行きました。
素晴らしい映像作品なのですが、こうして公開されているからには、酷い失敗やアクシデントはないのだな、と思っていると、なんだか緊張感がないというか、ダレて眠くなってくるんですよ。
事故やトラブルを願っているわけではないのだけれど、「絶対に失敗しない」という状況は、正直、退屈でもあるのです。
「アイドルのルール破りは許されない」とは言うけれど、実際にちゃんと守っている人は、なんとなくスパイスが足りないような気がしてしまう。
人は、スキャンダルやトラブルやアクシデントが大嫌いで、そして、大好きでもある。
そういう意味では、「二次元のキャラクターを愛することへの違和感の喪失」は、「人間的な深み」という呪縛からの解放だとも言えるのかもしれませんね。わざわざ、めんどくさいことに突っ込んでいかなくても、「いいとこどり」で良いんじゃない?っていう。
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