僕自身もギャンブル依存的なところがあり、読んでいて、なんだか悲しくなってきました。
以前、こんなエントリを書いたこともあります。
まあ、パチンコ・パチスロって、やっている人たちも、自虐的に「俺ってパチンカスだよなあ……」なんて思いつつもやめられないものではあるんですけどね。
個人的には、パチンコはけっして良いものではない、いや「悪いもの」だというのが僕の認識です。
人生で大事なものって、大きくわけて3つあって、ひとつは人間関係、ふたつめはお金、みっつめが時間です。
パチンコは、少なくともその2つのうちのお金と時間を激しく浪費するし、地道に何かを積み重ねて成果を挙げなくても、大当たりや連チャンで得られる快楽にハマってしまう。
普通に生きていると、「大当たりの瞬間」って、ほとんどないので。
韓国みたいに、無くせるものなら無くしてほしいし、せめて営業時間は短縮すべきだと思います。
でも、僕自身好きか嫌いかと言われたら、パチンコは「好き」ではあるし、もしあの場所がなくなったら、あそこで『海物語』をずっと打っている高齢者はどこに行くのだろう、とも考えるんですよね。
そりゃ、みんなが登山やゲートボールや読書に至上の喜びを見いだせれは良いのだろうけどさ。
そうじゃない人にとっての「ゆるやかなコミュニティ」として機能している面もある。
だから免罪しろ、とは言えないけど、コミュニケーションが苦手な高齢者って、どんどん行き場所が無くなっている世の中ではある。
以前、あるテレビ番組で、有名な探偵に、失踪した夫を探してもらう、という企画があったんですよ。
心当たりはひととおり探してみたのですけど……と言われた探偵は、家の近くのパチンコ店をしらみつぶしにあたっていくのです。
「うーん、夫がパチンコをやっているところなんて見たこともないし、興味もないと思います……」と妻は首をひねっていたのですが、何軒目かで、その夫は発見されました。
「行く場所がなくて、なんとなく……」
パチンコ屋って、「そういう場所」でもあるのです。とくに地方では。
時間を無駄にするなんてもったいない、という人がいる一方で、時間が過ぎるのが遅くて、なんとかこの時間をやりすごしたい、という人も少なからずいる。
ひとりの人間でも、状況によって、1分1秒でも惜しい、ということもあれば、悩みや憂鬱にとりつかれて、身動きがとれなくなってしまうこともある。
せめて、何か、他のことに依存することで、代替できれば良いのだろうけど。
実際、いまの世の中では、ネットやソーシャルゲーム、テレビゲームなど、代替物が増えてきたこともあって、パチンコをやる人は、かなり減ってきてはいるんですよね。
上記のデータを参照してみると、10年前は30兆円産業だったのが、2018年は22兆円、遊戯人口も2009年の1720万人をピークに、2016年は940万人にまで減ってきています。
その分、ひとりあたりの行く回数が増えていて、各人の負け額を大きくすることによって、なんとか業界を維持している、というのが現状なのです。
このペースでいけば、そんなに遠くないうちに絶滅する業界なのかもしれません。
僕がこのエントリを書こうと思ったいちばんの理由は、「パチンカス」という言葉の是非よりも、「ギャンブル依存」について、少しでも知ってもらいたかったから、なんですよ。
ギャンブルにハマるのは「特別な、心が弱い人」だと思われがちなのですが、現実は必ずしもそうではありません。
この本の前半部の「ギャンブル依存症の人たちの体験告白」を読むと、どこにでもいる「普通の人」が、ちょっとしたきっかけからパチンコやパチスロを知って、いつのまにかギャンブル依存になり、消費者金融から借金を重ね、身内に迷惑をかけ続けている「ギャンブル依存症患者」になっていくことがよくわかります。
わたしが始めてパチンコ店に行ったのは、短大のときです。一年生の夏休みに、三歳年上の兄が連れて行ってくれました。店の中は騒音でやかましく、タバコの煙が充満していて、こんな所に何時間もいたら病気になると思いました。
わたしは40代半ばまでは、ごく普通の主婦でした。高校を卒業して農協に勤め、二十二歳のとき伯父の仲介で見合い結婚をしました。相手は6歳年上でタイル工場に勤めていました。仕事人間で、納期が迫ったときなど、残業も休日出勤も断らないような人でした。
私がパチスロを始めたのは大学二年のときでした。奨学金をもらっていましたが、振り込まれたその日に全部使ってしまうこともありました。そんなときは田舎の母親に電話をして、教科書代が予想以上にかさんだとか、大学のゼミで合宿をしなければならないとか、適当な嘘を言って送金してもらっていました。両親とも大学には行っていないので、大学がどんな所か全く分からないのです。嘘は簡単に通りました。
私がパチンコにはまり出したのは、高校を卒業してしばらく農協に勤め、四年で転職、事務用品の会社の営業マンになってからです。時間があればパチンコをしていました。休みの日は朝からです。その頃、見合い結婚をしていましたが、残業や休日出勤だといえば、妻も信じていました。
パチンコ(パチスロ)というのは、本当に「ちょっとした心の隙間」に、するりと入り込んでくるのです。
この本の前半部分6人のギャンブル依存症患者の体験記なのですが、普通の、というかむしろ、世間では「平凡」であったはずの人たちが、いとも簡単に「ギャンブル地獄」に引きずりこまれていく様子が、赤裸々に告白されています。
「ギャンブル依存症になった後の彼らの行動」のあまりの酷さに、同情するのも難しいのですが……
ギャンブル依存は、患者の人格そのものを変えてしまうのだけれども、周囲の人たちは「改心すれば、ギャンブルをやらなくなって、真人間に戻る」と思いこんでしまい、傷口をどんどん広げてしまうのです。
「病的ギャンブラー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
世界保健機構(WHO)が”病気”と位置づけている「病的賭博(ギャンブル依存症)」にかかっていると考えられる人たちのことです。そういう人が日本では成人全体の4.8%、つまり約20人に1人いると推定されるといいます。
日本ほど、日常のなかにギャンブルが溶け込んでいる国はないといえます。
街なかにカジノがある国でも、サンダル履きで行けるような施設はほとんどありません。しかし日本では、買い物帰りの主婦がレジ袋を持ったままパチンコ店に入っていっても違和感がないのです。
ちなみにこの「20人に1人」というのは、単に「ギャンブルをやる人」ではなくて、「病的ギャンブラー」すなわち、ギャンブルによって借金をしたり、仕事に穴をあけたり、他の人に迷惑をかけたりするレベルの人です。
日ごろギャンブルに親しんでいる(?)僕でも、「そんなにいるのか……」と驚くばかり。
みんなそれを巧みに隠して生きているのか、そういう病的ギャンブラーばかりが集まってしまうようなコミュニティがあるのか……
『カイジ』とかを読んでいると、なんのかんの言っても、「ギャンブラー的な人生」に憧れてしまう人っていうのも少なくないんだろうな、とは思います。
この本のなかで、精神科医の森山先生が2008年に発表したという「病的賭博者100人の臨床的実態」という論文が紹介されています。
その100人のデータによれば、初診時の平均年齢は39.0歳で、ギャンブルを始めた平均年齢は20.2歳となっています。
平均27.8歳で借金を始め、初診までには平均1293万円をギャンブルに注ぎ込んでいます。平均負債額は595万円。100人のうち28人は自己破産を含めた債務整理をしていました。また、17人がうつ病、5人がアルコール依存症を併発させていて、本人だけでなく配偶者の15%もうつ病やパニック障害などで治療を受けていました。
ギャンブル依存は「それだけ」ではなくて、さまざまな精神疾患を合併する場合も多く、周囲への影響も懸念される、ということなんですね。
ただ、うつ病とかアルコール依存というのが、ギャンブル依存の原因なのか結果なのかは、現時点ではよくわかっていないそうです。
確実にいえるのは、「意志や根性でどうにかなる行動ではない」ということ。
あの大王製紙の元会長・井川意高さんが「ギャンブル依存になってしまった理由」について、著者はこんな推測をしています。
通常、多くの人は。こつこつとスモールステップをクリアしながら人生を歩んでいきます。テストでいい点を取って褒められる、仕事で契約を取る、などといったことがまさにそうです。
そのたびにドーパミンが出て快感を覚えて、その成功体験からまた努力を続けることができるのです。
しかし、褒められることや成功体験がなければ、自尊心が育ちにくくなるだけではなく、健康的なことでドーパミンを出すという経験ができず、良い記憶が定着しません。
つまり、テストで良い点を取る、受験で合格する、仕事で難題をクリアする……といったスモールステップをクリアできたときなどにでも「素直に喜んではいけない」と思うようになってしまいます。
ところがそうして育ってきた人がギャンブルで勝つと、驚くほどのドーパミンが出ます。それが普段味わったこともない感覚なので、快感に酔いしれます。そのギャンブルによる快感の記憶が、ギャンブルを繰り返しているうちに定着してしまい、ハマってしまうのです。
つまり、褒められたり、自分に満足することに慣れていなかった弊害だとも言えるのです。
井川さんのお父さんは大変厳しい人で、「父からの拳を受けながら、涙ながらに必死に勉強していた」そうです。
良い大学を出て、立派な経営者であったとされる井川さんが、なぜ、ギャンブルなどという「くだらないもの」にハマってしまったのか。それは、「ギャンブルで勝ったときだけが、自分を素直に肯定できる瞬間だったから」なのだろうか……
著者によると、「ギャンブル依存症患者は、日ごろはちゃんとしている人が多いし、エリートも少なくない」とのことです。
あまりにも子供に厳しくしすぎて、常に「油断するな!」と言い続けるのは、危険なのかもしれません。
この本のなかでは、いま、実際に困っている人がどこに相談すれば良いか、回復の過程はどうなっていくのか、ということも紹介されています。
ただ、アルコール依存と同じで、「100%よくなる」というものではなく、一度落ち着いても、再発のリスクは常についてまわるようです。
これだけ「誘惑」が多い環境でもありますし。
依存症というと、薬物、アルコールの危険度が高く、その次にギャンブル、ゲームがくるように見られる傾向がありますが、ゲーム依存症も重篤な症状に陥ります。「依存症なんてうちの子には関係ない」などと思っていても、皆さんのお子さんはすでにゲーム依存症やネット依存症になっていることもあり得ます。
そこからギャンブル依存症になっていくことも考えられます。ゲームやネットとギャンブルは非常に親和性が高いものになっています。直接関係がないからと関心を示さずにいても、いつそれが自分の人生にクロスしてくるかはわかりません。
依存症は、誰もが他人事とは言っていられない病気なのです。
僕は逆に「なにものにも依存せずに生きていける人間って、どのくらいいるのだろうか?」と考えてしまうこともあるんですよね。
ギャンブル依存症というのは、「うつ」などの精神疾患が合併しやすいので、「病気の一症状」でもあるのです。
大槻ケンヂさんが「うつ」を患っていたとき、ずっとパチンコにハマっていた、というのも読んだことがあります。
ただ、こう言いながらも、僕としては、怖いな、際限がなくなってしまうな、とも思います。
詐欺や殺人だって、正常な判断力を失うような「病気」(あるいは、病的な状態)がそうさせていたのだ、ということになれば、「なんでもあり」になってしまうのではなかろうか。
やむにやまれぬ衝動に駆られた快楽殺人犯も「病気」ではないのか?
個人的には、そのあたりの匙加減は難しいところではあるものの、基本的には、本人が苦しむ分には刑罰の対象にはならず、他者に害を与えた場合には、その害に応じて処罰するしかないのかな、と思っています。
病的な依存症になってしまった人には、責めるよりも治療するしかないんですよ。治療するのは、ものすごく難しいし、再発も多いのだとしても。
「病的」じゃない人については、可能であれば止めてほしいけど、もう少しマイルドな依存対象へのシフトを目指すか、とりあえずバランスよく付き合っていくよう心掛ける、しかないのではなかろうか。
「パチンカス」って、差別的ではあるし、綺麗な言葉じゃないんだけど、そういう言葉を使いたくなる気持ちは、わからなくもないんです。
やらない人からすると、「人生の無駄の極み」にしか思えないだろうし、直接迷惑をかけられたら、罵声を浴びせたくもなるだろうし。
広い範囲で考えると、こういう「パチンコバッシング」が、遊戯人口を減らしているのも事実だと思うんですよ。
おかげで、パチンコで自己破産したかもしれない若者が、ネットで他者を炎上させることに依存するようになったとしても、社会全体でいえば、プラスにはなっているのではなかろうか。
パチンコ・パチスロ依存は、とにかく台に触れない、ということで予防できるものだし。
僕が「パチンカス」という言葉にあまり反発を感じないのは、正直、あの頃の自分は、まぎれもなく「カス」だったな(って、今も似たようなものだけど)としか言いようがないし、自分でもカスだと思いながら、そんなカスっぷりに自己陶酔していたところもあったからなのです。
みんな、自分のことを「カス」だと認めているのに、やめられない。だからこそ、怖い。
本当に大事なのは、新たな病的依存者を増やさないことと、いまの病的依存者をしっかりケアすることです。
それは、なるべく害の少ない「依存できる対象」や「自分が居てもいい場所」を世の中につくることでもあるのです。
とりあえず、まだ読んだことがない人は、これを読んでみてほしい。
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