いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

クイーンズリングにすべてを奪われた男の人生について


「2着は3番、クイーンズリングです!」
 その声に、崩れ落ちる男がひとり。


 キタサンブラックの引退レース、僕はとりあえず、馬券を当てたかった。
 そうしないと、キタサンブラックがどんなに素晴らしいラストランをみせても、感動できないと思っていたからだ。
 単勝が1.9倍もつくのか……引退レースの応援馬券もあるだろうし、1.5倍くらいになると予想していたのに、2倍近くなんて、案外つくものだな。
 それなら、全部単勝にぶち込むというのが、それなりにこの馬の世話になってきた、競馬者の流儀ではないのか。
 オルフェーヴルのときは、それで成功したのだし。
 だが、思ったよりも配当がつく、ということは、賭博者を不安にさせる。
 宝塚記念、これはもうメンバー的にも確勝だから、と単勝一点勝負したときの絶望感がよみがえってきた。
 キタサンブラックは、ほとんど真面目に走ってくれる馬だが、最後「何か」にやられてしまうことも多かった。
 去年の有馬記念サトノダイヤモンド、今年のジャパンカップシュヴァルグラン
 それは、目標にされる先行馬の宿命でもある。
 複勝なら、とも思ったのだが、たぶん110円しかつかないし、それこそ、宝塚記念の悪夢を思い出す。


 でも、内枠で単騎で行けるこのメンバーなら、2着は確保できるのではないか。それならば、この馬がいる1枠からの枠連で勝負しよう。
 ヤマカツエースという、去年4着の期待できそうな馬も同じ枠にいるし。
 今年の秋のG1は、思いのほか、枠連で当てていたこともあり、僕は1枠からの枠連を買っていった。
 さすがに、全部枠連を買うと、マイナスにならなければいいつもりでも赤字になりそうだったので、1枠から、人気馬がいる7枠、6枠、5枠、穴っぽいシャケトラとレインボーラインがいる4枠を買い、これを忘れてはいけないな、と1-1も買った。
 うーむ、8枠は有馬記念では不利だけど、万馬券だったので、有馬2着の実績があるサウンズオブアースと、去年の春の天皇賞の再現も、もしかしたらあるかもしれないカレンミロティックもキタサンからの馬連で抑えた。
 さらに、キタサンから、3歳で成長の余地があるサトノクロニクルと、トゥザグローリートゥザワールドでお世話になった「有馬血統」トーセンビクトリー馬連まで。
 キタサンさえ2着までにくれば、クイーンズリングブレスジャーニーさえ来なければ当たる。
 クイーンズリングルメールだし、内枠で先行できる馬だし、いっそのこと全部買ってしまうべきではないのか?
 だが、僕はクイーンズリングが、今年一度も馬券になる3着以内に入っておらず、有馬記念よりもずっと短い距離のレースで折り合いがつかずに先行して惨敗していたのを見ていた。去年、エリザベス女王杯を勝った直後ならともかく、今年はいくら好枠、ルメールでも無理だろう。
 有馬記念は、距離適性はごまかせるのだが、折り合いがつかないと厳しいレースだ。
 しかも、これが引退レースで、「状態は良い。悔いのない仕上がり」というコメントに、陣営は「とにかくまずは無事に走ってきてくれれば」と付け加えていた。
 まあ、これは引退顔見世興行みたいなものなのだろうな、と僕は思っていたのだ。
 ルメール騎乗で、予想外に人気していたこともあって、結局、ずっと気になりながらも、クイーンズリングを買わなかった。
 この馬まで買っていたら、儲からないし。
 とにかくこのメモリアルレースを外したくない、と思って、ひたすら広範囲に網を張ったつもりだったのに、最後の最後に、ちょっとでもプラスを増やしたくなって、色気を出してしまったのだよなあ。
 あとで考えてみると、クイーンズリングミルコ・デムーロ騎乗)が勝ったエリザベス女王杯で、人気薄で2着に入って大穴をあけたのが、ルメール騎乗のシングウィズジョイだった。僕はこのレース、枠連で賭けて、シングウィズジョイと同枠の馬を買った「代用」で的中したので、よく覚えている。
 シングウィズジョイをG1で2着に持ってこれるのだから、紛れの多い有馬記念で、クイーンズリングを2着に持ってきたっておかしくないわな。
 ちなみに、この2着で引退が先延ばしになったシングウィズジョイは、翌年のアメリカジョッキーズカップで怪我をし、予後不良となった。
 人生だけではなく馬生もまた、塞翁が馬、なのだろう。


 道中も、1000メートル通過の時点で、61秒6ときいて、キタサンの2着以内はほぼ確信した。
 でも、あのクイーンズリング、なんかいいポジションにいるんだよなあ。
 最後の直線、僕はキタサンブラックのラストランはそっちのけで、2着争いをみていた。
 内から絶好のタイミングで抜け出したクイーンズリング、やめろルメール、勘弁してくれ……
 外から追い込む、シュヴァルグランとスワーヴリチャード!
 2着に粘り込もうとするクイーンズリングと内によれてきたスワーヴリチャードの影響で、シュヴァルグランの進路が狭くなった。
 万事休すか……と思いきや、態勢をなんとか立て直し、両馬の間から追い込んできたシュヴァルグラン
 クイーンズリングとの差が少しずつ縮まり、並んだところが、ゴールだった。
 レース直後、横からのVTRをみると、馬の体は、ほんの少し、シュヴァルグランが出ているようにも見えたのだが……


 無情の写真判定、まさにクビの上げ下げで、ほんの少し先着していたのは、クイーンズリングだった。
 なんで、2頭だけ買っていない中の1頭なんだよ、それも、ずっと気になっていたけれど、最近のこの馬の競馬をみているからこそ買えなかった、クイーンズリングなんだよ……


 世の中の的中した人は、とにかく外国人騎手買っておけばいいんだよ、とか、人気薄のルメール、とか、中山実績があった(といっても2歳時)とか言っていたが、僕は武豊の勝利騎手インタビューも聞く気になれず、テレビを消して不貞寝した。
 ひどいクリスマスイブも、あったものだ。 


 もうこのレースのことは二度と思い出したくもないし、レースVTRもキタサンブラックの特番も生涯観るつもりはない。
 キタサンブラックのせいじゃないし、ルメールだって置かれた状況でベストを尽くしたことも頭では理解できる。
 だからこそ、「なんでこんなことになってしまったんだ……」と自分を責めるしかない。
 そもそも、2.5キロも走って、ハナ差とかしかつかないものに、落ち込むほどお金を賭けるのが間違っているのだ。
 的中したときの喜びと外れたときに落ち込みを比べれば、「賭けない」ほうが期待値が高いことはわかっているのに。
 本当にプラス収支にしたいのなら、個々の馬への思い入れを極力消して、「そのレースで勝率が高い枠」とか、「実力のわりに軽視され、配当が高い馬」をなるべく試行を増やし、機械的に買っていくのが最善の策だということを理解しているはずなのに。
 それでも、トントンで良いと思って15頭中13頭、どれが来てもいい、しかも、残り2頭は人気薄、という状況にしておきながら、なぜこうなるんだ、僕が何をしたというんだ……


 今回の有馬記念は、キタサンブラックの相手探しが難しいレースではあった。
 有力馬は軒並み器用さに欠け、脚質的にも中山競馬場があまり向いておらず、不利な外枠を引いていた。
 僕も「何が来てもおかしくない」と思っていて、そのつもりで買ったはずなのに。
 まあ、勝負事というのは、こういうものではある。


 前日の競馬予想番組で、亀谷さんという予想家が「クイーンズリングは馬そのものに買い要素は全くないけれど、内枠のルメール、これだけで抑える、そんな感じで良いんじゃないですかね」と言っていたんだよなあ。


 競馬というものに20年以上接していると、結局のところ、どんな凄腕の予想家でも、100%は当たらないし(落馬することだってあるし、走路妨害を受けることだってある)、当ててしまえば、その馬が来てもおかしくない理由、その予想が的中した理由なんて、後からいくらでも出てくるのだ。
 この有馬記念は、まさにその典型的なレースで、内枠のルメールが来ても、もちろんおかしくなかった。
 ただし、有力馬以外でも、昨年4着で、1、3着が出走していなかったヤマカツエースや、有馬血統のトーセンビクトリー、今年中山の重賞を勝っているシャケトラにルージュバック、3歳の成長力でサトノクロニクルにブレスジャーニー有馬記念に強いステイゴールド産駒のレインボーライン、キタサンと行った行ったになるかもしれないカレンミロティックに有馬2着の実績があるサウンズオブアースと、どれが来ても、それなりに「理由めいたもの」は説明できそうだし、的中した人は、「こんな簡単なレース、なんで外したんだ?」と言うだろう。
 結局のところ、「予想が正しかったから的中した」というわけではなくて、「運良く、思い通りのレース展開・結果になった」にすぎない。
 馬がやることに「絶対」などあるものか。
 「正しいから当たった」のではなくて、「当たったから正しかった」のだ。 
 そして、賭博者には、当てることがすべてなのだ。
 だが、だからこそ、僕のような無気力な完璧主義者は、「なんでこんなに運が悪いんだ……」と絶望にさいなまれることになる。
 僕の予想は悪くない、結果が、悪かったのだ、と行き場のない憤りが心を占めていく。
 

 僕は自分に言い聞かせる。失ったものは、少なくないカネだ。だが、それは所詮、カネでしかない。
 家族が路頭に迷ったり、エスポワール号に乗らなければならないほどの金額でもない。
 負けたことで、ブログやSNSに失言を吐いたり、周りに八つ当たりするほうが、よっぽど禍根を残す。
 だいたい、こんなに落ち込み、世の理不尽を嘆いていても、どうせ次のG1では、嬉々としてパドックを眺めているんだろう?


 人生での喜怒哀楽、成功と失敗なんて、競馬の結果みたいなものなのではないか、と僕は思っている。
 成功者の言葉は珍重されるけれど、彼らもけっして「正しかったから成功した」わけじゃない。
 結果的にうまくいったから、彼らの行いや試みが正しいことになったし、みんなが「なるほど」と納得し、「どうして彼のように行動しなかったのだろう」と後悔している。
 もともと「正解と間違い」があるわけじゃなくて、無数の「正解かもしれない選択肢」のなかに、結果的に正解があるだけのことだ。
 現実では、正解がないことを知らずに、クジを引き続けていることさえある。
 大事なのは「外れることも含めて受け入れて、より正解に近そうな選択肢を選び続けること」でしかない。
 こうやって書くのは、簡単なんだけどね……
 実際、こういう「なんとか差したと思ったら、写真判定でハナ差負け」みたいなのを食らって平静でいるのは、とても難しい。
 人生でもっと大事なことなら、なおさらだ。


 寺山修司は、こう言っている。
「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある」


 「やられた……」と不貞寝できるのも、それが、「不運」であり、「お金だけのこと」だからだ。
 これはたぶん、もっと、きつい状況への、予行演習なのだ。
 人生では、ここで、踏みとどまらなければならないのがつらい。
 キタサンブラックへの忖度レースだ、とか、ルメール余計なことすんな、と言って、騒ぎを起こすこともできない。


 ああ、2017年も、もう終わりだな。こうしてまた、年を取っていく。
 競馬は変わらない。人生の本質も変わらない。変わることができるのは、たぶん、僕自身だけなのに。
 

fujipon.hatenadiary.com

1億5000万円稼いだ馬券裁判男が明かす 競馬の勝ち方

1億5000万円稼いだ馬券裁判男が明かす 競馬の勝ち方

 

アクセスカウンター