いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ブレードランナー』(1982年)をはじめて観て、「歴史に残る名作」を、それが歴史になってから体験することの難しさを痛感した。

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
リドリー・スコット監督自ら再編集を手掛け、新たに生まれ変わったSF映画の金字塔。アンドロイド専門の賞金稼ぎ・デッカードは、人間を殺したアンドロイドの追跡を開始する。ハリソン・フォード主演。“35周年記念 ブレードランナー”。


 続編『ブレードランナー2049』が公開されるということで、やや恥ずかしながら、今回はじめて観たんですよ『ブレードランナー』。1982年公開のアメリカ映画で、リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演。美術デザインはシド・ミード。フィリップ・K ・ディックのSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が原作……といった、作品に対する情報はスラスラ出てくるのに(半分くらいは噓です。というか、自信がないところは検索して確認しました)、映画本編は一度も観たことなかったんですよね。いや、1982年、小学生だった僕は映画館でこの映画を観る機会はなかったし、レンタルビデオが一般的になったのは、あと何年かしてからの話で、その頃は「少し前のSF映画」には興味が持てず、その後、2回くらいレンタルショップで借りたことがあったのですが、なぜか観ることなく返却してしまう、というのが続いていたのです。観ようと思うんだけど、観はじめたら居眠りしてしまうとか、再生ボタンまでが遠い映画って無いですか?僕にとっては『ブレードランナー』と『幻魔大戦』がその双璧で。
 

 今回、ようやくAmazonビデオで観てみたのですが(レンタルショップでは軒並み貸出中だったので)、いちばん印象に残ったのは「強力わかもと」でした。いや本当に。
 なんというか、懐かしいなこれ、こういう「サイバーパンク」って、中学生くらいのとき、流行ったよなあ!このカオスな感じ!この時代は、日本という国の存在感が大きかっただな。
 正直なところ、『ブレードランナーファイナルカット』は、いま、2017年に観ると、「ああ、これが歴史に残るSF映画なんだな、これがひとつのルーツなんだな!」と自分に言い聞かせないと、観るのがちょっとキツかった。とくに前半部は(パソコンで観たからなのかもしれないけれど)薄暗い画面に、ダークな雰囲気。激しいアクションがみられるわけでもなく、ややこしい設定に単純なストーリー。最後の20分くらいは、ルトガー・ハウアーさんの熱演で盛り上がったのですが……
 前半は、何度も寝落ちしてしまったくらいです。ただし、僕は風邪気味で、薬を飲んでいたので、一概に作品のせいだけにもできませんが。
 
 それに、僕はこの『ブレードランナー』から影響を受けていると思われる、コナミの『スナッチャー』や押井守監督の『イノセンス』など、たくさんの作品を先にみてしまっているのです。
 その「子孫」を先にみてしまうと、ルーツは、どうしても古く感じてしまうというか、歴史的にはこちらのほうが先なのに「二番煎じ」のように思えてしまうんですよね。
 観ながら、「これは歴史的傑作なんだ、多くのフォロワーを生んだ『源流』なのだ」と自分に言い聞かせていたのです。そういう「お勉強的な意義」か「昔観た人が懐かしさを感じるため」じゃなかったら、いま観るのはつらいのではなかろうか。
 1980年代前半の映画って、僕の気分としては「そんなに昔じゃない」はずだったのに、いつのまにか、もう30年以上も経っているんだから、厭になっちゃいますね。
 なんのかんの言っても、僕は少しずつ、「いまの作品のテンポ」に慣れてしまってもいるみたいです。
 同時代の映画で、いま観ても面白いものも少なからずあるのですが、『ブレードランナー』は、当時「斬新だった」だけに、かえって、いまみると「古さ」を感じてしまうのかもしれませんね。僕もリアルタイムで観ていたら、ハマっていたかもしれないのだけれど。
 以前、こんな記事を書いたことがあります。


fujipon.hatenablog.com


 賛否両論というか、「否」のほうが多かったんですけどね。
 この記事に対して、こんなコメントを頂いたんですよ。
「『教養』というならE.A.ポーの作品も入れておいた方が良いのではないかと」
 その通り、なんですよね。エドガー・アラン・ポーさんは、「推理小説」というジャンルのはじめての作品といわれる『モルグ街の殺人』を書いておられますし、推理小説の歴史を語るためには欠かせない存在です。
 ただ、僕も読んだことがあるんです。『モルグ街の殺人』。
 いまの感覚でいうと、トンデモミステリなんですよ、これ。
 読んでいても、「ミステリのルーツって、こんな作品なんだな」という感慨はあっても、そういう歴史的価値を抜いても面白いか?と問われれば、「うーん」としか言いようがない。
 それを言うなら、携帯電話をみんなが持っている世界では、密室なんてそう簡単にはつくれないし、監視カメラがたくさんあって、Nシステムで車で移動するとすぐに追跡されてしまう社会では、「謎」をつくることそのものが難しくなっているのです。
 
 
 そういえば、『ブレードランナー』って、5つのバージョンがあるらしいんですよ。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
 「劇場公開版」「ディレクターズ・カット版」くらいならまだわかるのですが、『完全版』と『ディレクターズ・カット』と『ファイナル・カット』のどれが「決定版」なのか、レンタルショップでは悩ましい。まるで、「元祖」「本家」「老舗」が並んでいるラーメン屋みたい。
 いちおう僕は公開年をみて「ファイナル・カット」を観たんですけどね。


 「歴史的名作」「こんな有名な作品も観ていないの?」なんて言われる作品も、その子孫をさんざん体験したあとで観ると、そんなに面白くないというか、けっこう冗長に感じてしまうこともあるのです。
 評判で面白さのハードルが上がりすぎている、っていうのもあるよね。
 『ブレードランナー2049』の予習のつもりで観たのだけれど、正直、『2049』のほうも映画館で観なくても良いかなあ……なんて気分になっています。長そうだし。
 前作に思い入れがある人たちは、見届けたいだろうけど。


 これ、名作ほど、できる限りリアルタイムで体験しておくべきだ、とも言えますよね。
 「不朽の名作」っていうのは存在しなくて、賞味期限の長さが違うだけなのかもしれない。

 
fujipon.hatenadiary.com

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