いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『M-1グランプリ2016』で、トップバッターの「アキナ」のネタに、少し戸惑ってしまった。

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今さらなんですが、M-1グランプリの話。
今年はけっこう熱心に最初から最後まで観ましたし、「これはちょっとダメだな……」と感じたものが一つもなく、レベルの高い回だったと思います。

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でも、面白い面白いと笑いつつも、トップバッターの「アキナ」のネタを観てから、僕の心にドジョウの小骨みたいなものが、ずっと引っかかっていたのです。

そのアキナのネタっていうのは、両親が離婚しようとしている5歳の子どもが、ものすごく大人びた調子で父親に「大人の世界」のことについて語ったり、ツッコミを入れたりする、というものだったんですよね。
5歳の子どもが「ままごとで何回も離婚した」とか言っているのも、ネタとしては面白い。
でも、これって、ネタとしては面白いけど、まだ8歳とか2歳の子どもがいる僕としては、なんだかちょっと洒落にならないな、というか、親が離婚しようとしているときの子どもって、こんなんじゃないだろう、と。
いや、こんなんじゃないから、そのギャップを笑うのだ、と言うのはわかる。理屈としては理解できるし、今の世の中、離婚そのものが「悪」ではないと思う。
それでも、このシチュエーションを想定して笑うのは、僕には難しかった。
そんなことを考え始めると、やたらと「引っかかる」んですよM−1の漫才のネタって。
相席スタート」の「彼氏の名前のタトゥーが入ってる!」とか、本当に笑って良いのかどうか。
そりゃ僕もそんなボールが来たら見送り一択ですけど。
スリムクラブスーパーマラドーナのネタだって、「世間とズレている人のズレを物陰から指さして笑いものにする」ものじゃないですか。
ネタにされている本人には悪気はないのに。
いや、そんなのフィクションなんだし、お笑いというのは落語や狂言などの古典芸能からそういうものなんだから、「非実在キャラクタ—」にまでいろんなものをあてはめて「差別だ!」「不快だ!」って言うのはあまりにもデリケートすぎる、と自分でも思うんですよ。
でもなあ、なんかこう、僕のなかには、「罪悪感」みたいなものがあって。
『裸の大将』とかも、あれを「美談」にしていいのか、とか、『フォレスト・ガンプ』を「ピュア」で片づけていいのか、とか。
スーパーマラドーナは、「プロのテクニックで痛くないように叩いてますからね」って、「お笑いの世界にまで侵食してきたポリティカル・コレクトネス」を皮肉ってネタにしていました。
こうなると、ネットでの喧嘩みたいに、「どちらがより『メタ視点』に立てるか勝負」みたいなものなのかもしれません。
そもそも、「痛くないように叩く」のなら、叩く必要そのものがあるのか、とも思う。
(そういうツッコミをさせるのが狙いなのかな……)


僕はお笑いの世界のルールに詳しくはないので(と書かないと「お笑い警察」みたいな人たちに怒られそうなのでプロのテクニックで予防線を張っています)、まったく筋違いの話をしている気もするし、番組そのものはすごく面白かったし、これからも続いてほしいのだけれど、自分の「笑える守備範囲」にはなんだか限界があるというか、これで笑っていいのか?と思いながら笑っていたのです。
銀シャリの二本目とかはそういう要素があまりない正当派の完成度の高い漫才だったのだけれど、それはそれで「上手いけど、ありがちなネタだし、『面白さ』ではスーパーマラドーナと和牛のほうが勝っていたのではないか」という気もするわけで。


離婚とか薄毛なんていうのは、世間ではネガティブなイメージを持たれがちだからこそ、「笑いとばす」というか、「笑いに昇華する」ことによって救われる、という人もいるのかもしれないな、とは思うんですよ。
どちらも、そういうネガティブなイメージが、当事者たちをさらに生きづらくしているところもあるから。
ただ、アキナのあのネタとか、トレンディエンジェルが「正しい」のかと言われると、「結局のところ、ストライクゾーンギリギリのところが、笑いの生まれるポイントなのかな」とか、考え込んでしまったりもするのです。
ちなみに、僕個人としては、今回のM-1のアキナのネタは「笑えない」、トレンディエンジェルの薄毛ネタは「これは笑ってあげたい」そんな感じです。
あくまでも「感じ」でしかないだけれど。
出川さんのリアクション芸とかも「笑ってあげたくなる」のですよね、上から目線でごめん。


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立川談春さんが、中学時代に学校行事で寄席に行った際、立川談志さんが舞台の上でこんなことを云っていたそうです。

 落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもついつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない、八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろうう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな。


 もちろん、これが「正解」って言えるようなものはないと思うのだけれど、僕のとっての「笑えるかどうか」というのは、演者に「いやオレもそういうところはあるんだけどさ」っていう照れ、みたいなものが感じられるかどうかなのかもしれません。
 それが正しい見方だとか言うつもりもなく、演者の内心なんてわからないので、結局は万人向けの言葉なんてどこにも存在しないから、割り切ってやるしかないのだろうけど。
 ハライチのRPGネタなんて「ゲームやらない人には全然わからないんじゃないのこれ」とか言いつつ、「だからこそ僕は好きだ、応援したい!」って気分になったものなあ。もうRPGなんてそんなにマイナーなものじゃないんだろうけど、僕にとっては「笑い」よりも「共感」なのだろうか。
 受け手が置かれた状況によっても、受け取られかたは全然違うだろうしね。離婚とか薄毛とかコミュ障とかのネタはとくに。