いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「日本人だけにしかない『ホスピタリティ』って、あるんですかね?」

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一度は泊まってみたい、星野リゾート……なのですが、あまりにも成功してしまったがために、日本のあちこちに「星野チルドレン」みたいな宿ができていて、正直、新鮮味が薄れている気もするのです。
これはもう、星野リゾートが悪いというわけじゃなくて、成功しすぎてしまったがための宿命、みたいなとことはあるんですけどね。
どんな優れたサービスも、みんなが真似するようになると、驚きは薄まってしまう。
星野リゾート」の話、6年前に特集されたときも、観た記憶があるんだよなあ。


 この番組のなかで、村上龍さんが、ひとつの「問い」を発しておられました。
「日本人だけにしかない『ホスピタリティ』って、あるんですかね?」


僕個人としては、サプライズイベントとか特別なサービスよりも、おいしい食事と生活で景色の良い部屋、そして、極力放っておいてほしいのだが、星野リゾート系って、「サービスでアピールしたい人」が多くて、ちょっと疲れることもあります。
それは、本当の「ホスピタリティ」なのだろうか?


「日本では電車に財布を置き忘れても戻ってくるのです! お・も・て・な・し!」
あらためて考えてみれば、それは「おもてなし」ではなくて、治安の良さ、なんだよなあ。
そして、「個々のホテルや宿での心のこもった接客」よりも、「安全に夜外出できる国」であることのほうが、よほど大事な「ホスピタリティ」であり、それが日本の現時点での強みなのではないか、と思うのです。
旅館のスタッフの「サプライズサービス」にいちいち期待しているのは、日本人だけなのではないのか。
イースター島というのはチリの領土なのだけれど(そして、世界でいちばん大陸から離れている人が住む島なのだそうだ)、チリの人がこの島に来て喜ぶのは「(この島は治安が比較て良いので)夜に外出できる、夜遊びできること」なのだそうです。
夜、ふと思い立ってひとりでコンビニに出かけられる国というのは、そんなに多くはありません。
というか、日本以外には、すぐに思いつかない。ラスベガスの大通りだけならだいじょうぶかな。


今年の夏、海外を2ヶ月ほど旅行してみて、驚いたことがあります。
外国の人、とくに欧米人は『個人主義者』のように思ってしまいがちだけれど、困っている人に声をかけ、手を差し伸べることや飛行機のなかで他の人の荷物も率先して下ろすというようなことを、あまりにも自然に「やるべきこと」としてやっているのです。
ただ、それは外国人のなかでも、「海外を旅行したり、飛行機に乗るような、少なくとも日々の食べ物に困ってはいない人々」ではあるのだけれど。
海外の旅館やホテルでは素っ気ない対応が多かったけれど、一般人の公共の場での「ホスピタリティ」は、むしろ、日本よりも優れていると思うことが多々あったのです。



「日本人だけにしかない『ホスピタリティ』って、あるんですかね?」
という村上龍さんの問いに、星野リゾートの星野佳路さんはこう答えておられました。


「いまご質問いただいたのは、私が20年間、この業界のなかで問い続けていることですね、世界のホテル業界は、お客様の調査や満足度や声をよく聞くようになった。その結果、お客様の声を聞けば聞くほど、どのホテルも同じサービスになったんですよ。不満はない、不満はなくて素晴らしいホテルなんですけど、ただ、なんかみんな一緒に見える。そこを打破していくには、お客様の声を聞いてサービスにするのではなく、自分たちのこだわりをサービスにしていこう、と。この地域にいらっしゃったら、これは食べてもらいたい、青森にいらっしゃったら、この体験はしてもらいたい、沖縄にいらっしゃったら、これだけは、ぜひ見て帰ってほしい。悪い言い方をすると、押し付けてでもそのこだわりを提供していく。そういうサービスが”おもてなし”であり”日本的”であり、そこにリスクを取っていかない限り、日本のホテル会社が世界で評価されることはないんじゃないか、と思っています」


日本の「おもてなし」は、そのサービス担当者の自己アピールになりすぎてはいないだろうか、と僕は最近感じていたのです。
以前、志村けんさんが贔屓にしている旅館というのをテレビで観たことがあったのですが、この旅館は「志村さんを放っておいてくれる」のだそうです。
朝何時まで寝ていても起こされることはないし、声もかけられない。
人が旅館やホテルに求めるものって、千差万別ではある。
でも、星野さんの話からすると、データに従っていくと、結局「画一化」されてしまう。
そして、すぐに飽きられる。


だから、「担当者が自己アピールをする」ことが悪いわけではなくて、それは差別化のために必要なことなんだけど、それぞれの客との相性がある、ということなんですね。
あと、ひとつの成功体験に引きずられて、みんなに同じようなサービスを繰り返すと効果は薄れていきます。
もちろん、敬遠球のような「サービス」を担当者の自己満足でやられては困るのだけれど、「ストライクゾーンのど真ん中」では、もう誰も感心してはくれないのです。
本当に「ホスピタリティ」「サービス」っていうのは難しいものですね。


fujipon.hatenadiary.com
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リッツ・カールトン 至高のホスピタリティ』の著者の高野登さんは、「ホスピタリティ」について、こんな話をされています。

 私自身は、ホスピタリティとは自分の身を修めること、つまり修身であると考えています。だから、子ども時代に身につけてほしい人として当たり前の行動を「キッズホスピタリティ」という言い方でお伝えしています。
 たとえば、「”お姉ちゃん、ハサミ貸して”と、下の学年の子に言われたとき、どんなふうに渡す?」と質問します。
 そのうえで、「まず最初にハサミを用意するよね。それを相手に渡すときに、刃先を向けて、どうぞれは、相手は小さい子だし、危ないよね。だから、柄の方を相手に向けて、けがをしないように手の上にそうっとのせてあげるでしょ。これがホスピタリティの第一歩だよ」と話します。そうすると、小学生でもわかるのです。
 ここからさらにもう一歩進めます。
 今度は、カーテンの向こうにいる3人の人たちに「ハサミを貸す」という設定です。こちらから向こうの3人は見えません。たいていは母親がいつも使っている裁ちバサミを用意したりするわけです。
 ところが、カーテンを開けてみると、一人は左利きの人です。用意した裁ちバサミは右利き用でした。
 真ん中の人は目が不自由でした。やはり鉄製の裁ちバサミでは危険ですね。今は、セラミック製の安全性を高めた視覚障害者用のハサミがあるのです。それなら安心して使ってもらえるでしょう。
 あと一人は2歳の女の子です。大人用の裁ちバサミは彼女の手には大きすぎますね。
 裁ちバサミを用意すること、それはサービスです。それを相手にとってベストなものを選んで渡してはじめて、ホスピタリティになるのです。
 ホスピタリティと聞くと、難しく考えてしまう人がいますが、要はそういうことなのです。しかし、こんなことが、ホテルマンでもできていない人が多いのです。


 こうしてみると、「ホスピタリティ」と言われているものには、「相手の立場になって、必要としているであろうことや安全を確保する」という段階と、「相手の想像を超える『驚き』を提供する」という2つの種類、あるいは段階があると考えるべきなのでしょう。
 必要条件に「ホスピタリティ」があり、それに加えて「オリジナリティのあるサービス」が求められているのです。


 僕はこの星野さんの話をきいて、スティーブ・ジョブズが生み出したAppleの製品のことを思い出していました。
 ジョブズは、顧客のアンケートや市場調査で「求められているであろうもの」をつくるのではなく、「自分が欲しいもの、美しいと感じるもの」を世の中に送り出し、大成功をおさめました。
 Appleは、製品という形をした、ライフスタイルとか価値観を売っていた会社だったのです。
 でも、それは誰にでもできる、ってことではないですよね。
 スティーブ・ジョブズは「参考にはできても、真似はしないほうが良い偉人」だと僕は思います。
 というか、「ああいうふうにしか生きられない人」にしか、ああいう生き方はできない。


 ちょっと脱線してしまいましたが、僕は「日本人だけにしかない『ホスピタリティ』」というのは、存在しないと考えています。
 でも、日本という場所・環境だからこそ実現できるホスピタリティやサービスというのは、存在しうると思うんですよ。
「サービス」っていうのは、本当に奥が深い。
 そして、マニュアル化しようとすればするほど、不満は少なくなるけれど、なんだかつまらなくなってしまう。
 コンピュータによって、いちばん最初に無くなる人間の仕事は「接客販売業」だと言われています。
 しかしながら、こうして考えてみると、最後に人間の手に残るのもまた「接客業」なのかもしれませんね。


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