いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「学歴コンプレックス」と「幸せ」について

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僕は学生時代からずっと自信がなくて、顔も悪いしスポーツもできないしコミュニケーション苦手だし、で、どうやって生きていこうかと思うと、結局のところ、勉強するしかないのでは、と考えていました。
にもかかわらず、高校で進学校に行ってみると、「世の中には、本当に呼吸をするように勉強するヤツがいるのだ」とか「物理を楽しいとか思える高校生が地球上に存在する」ということに驚愕させられたのです。
僕も歴史とかは、わりかし好きで勉強していたんですけどね。『銀河英雄伝説』に参考書のカバーをかけて寮の「学習時間」によく読んでましたし。


森博嗣先生の『的を射る言葉 Gathering the Pointed Wits』 (講談社文庫)のなかに、こんな言葉があるのです。

ギャンブル


最も期待値の大きいギャンブルは、勉強である。
(その次は、仕事)


多くの人にとっては、プロスポーツ選手になるとか、プロブロガーになるというほうが、いわゆる「いい大学に入って、いい会社に就職する」よりも、狭き門なんですよね。
僕は、そういう冒険心がない人間で、とりあえず自分の適性とか夢みたいなものも明確には描けなかったために、とりあえず自分にとって馴染みがあって、他人にバカにはされないであろう仕事に就けるであろう医学部に入ったのです(「バカにされるのはつらい」って、ずっと思っていたんです。バカだよね)。
入ってみれば、そんなに甘いものじゃなかったし、ある意味「表向きはバカにはされなさそうだけれど、いろんな人(上司とか同僚とか患者さんとか)の敬意と悪意を引き受けなければならない仕事」だということもわかりましたが。


そうやって、なんとかこの年まで生きてきたわけですが、「学歴」にこだわるのって、いわゆる「受験エリート」が多いような気がしています。
というか、進学校って、その性格上「偏差値で切り分けられることが多い世界」ではあるのです。
多感な時期に「いい大学に入ることが正しい」という集団にいれば、それが当然だと思ってしまう。


僕が通っていた、いわゆる「駅弁大学」(地方の国公立大)の医学部では、進学校出身の男子は「本当は旧帝大の医学部に入りたかったけれど、どんどん希望と成績が乖離していって、ずるずる崖から滑り落ちながらも、なんとか「国公立」って書いてある草を摑んで海に転落せずに踏みとどまった」みたいな人が多くて、女子は「地元の公立高校で成績優秀、品行方正でやってきた真面目な人」の割合が高かったような記憶があります。
まあでも、世の中っていうのはわからないもので、男女にかぎらず、「あんまり講義に出ずに部活ばっかりやっていた人」のほうが医者として、あるいは経営者として地位を築いていたり、真面目だった人が、なぜかうまくいかない自分の人生に絶望してしまっていたりするのですよね。


大学時代、僕たちは予備校での模試の結果とかを見せあって、誰それの名前がここにある、とか、できればもうちょっと偏差値の高い大学に行きたかった、とか、私立に行く金はないから、とりあえずここに「引っかかって」よかった、などと言い合っていたものです。


大概のひとは「国公立の医学部に入れたんだったら、たいしたものじゃないですか」とか言ってくれるのだけれど、当事者にとっては、「納得はしているけれど、満足しているわけではない」という感じなわけで。
そういうのも、ずっと大学生活を過ごしているうちに、どうでもよくなるというか、さまざまなキツい実習とかをやっていると、とにかく「ここで資格をとって生きていくか、何の資格もなく年だけ取って放り出されるか、その二つに一つしかない」という気分になってしまうのですが。


人というのは、自分が知っている世界については、細分化したり、格付けしたりしがちです。
よく知らない人にとっては「みんな似たようなもの」であっても。


「大卒」とか言っても、「大学がみんな同じ」なわけではありません。
同じ大学でも、そこで何ができるか、何をやったかによって、また違いは生じてきます。
そう思いつつも、「大学の名前」には、ある種のコンプレックスを刺激されるところもありました。
同じ医学部でも、「東大医学部」や「京大医学部」と、僕が通っていたような「駅弁」とでは、大きな差があるような気がしていたのです。
彼らは、地方の大学をバカにしている、ハナクソくらいにしか思っていない、なんて話も聞きましたし(本当かどうかは知りませんが)。
同じ「医師免許を持った医者」でも、出身大学による格差みたいなものがある、と僕は感じていたのです。
実際のところ、僕はそういう人たちとの直接の競争の舞台に上がることさえできなかったので、どこまで、そういう「学歴格差」みたいなものがあるのか、というのは、実感としてはわからないんですけどね。
伝聞としては、偉くなる人のレベルでは、やっぱり、「影響」はあるらしい。


その一方で、「親にお金をたくさん出させるお坊ちゃん、お嬢ちゃん」みたいなイメージしか持っていなかった私立医大の学生たちにもけっこう優秀な人が多くて、何より彼らは人生の楽しみ方を知っていて、患者さんやスタッフに愛される人が多いことも、そこに行ってみてはじめてわかりました。
開業医や臨床医の世界では、駅弁大学よりも、古くからある私立医大のほうが強力な同業者ネットワークを持っていて、地域では力を持っていることもよくあるのです。
そもそも、患者さんは、「大学病院ブランド」みたいなものは信頼してくれても、医者の出身大学とかは、あまり気にしないみたいですし。
「同じ医者がローテーションしているだけなのに、職場が大学病院だというだけで、ありがたがられる」というのも不思議な話なんですが、僕自身も大学勤めをしていたときには、自分も立派であるような勘違いをしていた記憶があります。
まあ、野心のない若手の大学病院勤めなんて、待遇的には、そんな勘違いでもしないとやっていけないところはある、というのは言い訳なんですが。


受験エリートの世界」っていうのは、ある意味、底なし沼みたいなもので、進学校などでそういう価値観を植えつけられ、そのなかで競争していればいるほど、細かく差別化したくなるものみたいです。
 駅弁大学よりは(九州なら)九州大学のほうがいいし、それよりは東大・京大のほうがいい。
 東大でも、文3よりは、文1のほうがいい……ような気がする。
 医者だって、東大理3のほうがすごい。
 医師免許にゴールド免許はないけれど、なんとなく、「ああ、僕は下のほうだな」って思うこともある(そしてそれは、あながち被害妄想ではないような気もする。それこそ、大部分は「自己責任」なのですが)。
 東大に行っても、大学院まで行ったか、とか、東大よりもハーバードやMITやオックスフォードだろう、とか、上には上があるし、高校時代に植えつけられた「高い偏差値を仰ぎ見る習性」というのは、なかなか変えられるものではないな、とも思います。
 

 実際のところ、学歴が幸せを保証してくれるわけではありません。
 学歴が高いばっかりに、「あんな良い大学出ているのに……」とか、「頭でっかちで現場では使えねえ」みたいな陰口を食らうケースも少なからず知ってます。
 そもそも、学歴が高いと、自分自身からも他者からも「満足できるハードル」みたいなものが上げられやすいところもあるんですよね。
 プライドを一時捨てて身を屈めれば、簡単にやり過ごせるような嵐も、その場に背筋を伸ばして踏ん張ろうとして、キツい思いをすることになりがちです。


 ただ、それでもあえて言っておくと、学歴、というより、それまでの勉強の成果としての大学進学は、おそらく、世の中の大部分の人にとっては、マイナスにはならないと思います。


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 これ、「社会派ブロガー」ちきりんさんと「世界一のプロゲーマー」梅原大吾さんの対談本なのです。
 高学歴、高職歴、でも今はあんまり「突き詰めるような努力」はせずに、ゆるく生きていきたい、というちきりんさん。
 学校の授業はずっと眠気との戦いで、成績が良かったわけでもない。そんななか、「格闘ゲーム」という「天職」を極めることによって、自分の道を切り開いた「成長中毒者」の梅原さん。


ちきりんさんに対して、「非学歴エリート」の梅原さんは、こんな話をしています。

ウメハラちきりんさんは自分に学歴があるから気がつかないんですよ。僕がいた世界では、バイトでさえ学歴で人を判断する人が多くて、それが本当に屈辱的でした。


ちきりん:バイトで学歴差別があったってこと? 信じられないんだけど。


ウメハラありますよ。それがほんとに厳しいんです。こんなに差別されるって知ってたら、オレも勉強して大学へ行ったのにって思うくらいに。


ちきりん:私も大学時代は居酒屋とかコンビニとか、あちこちでバイトしました。バイト仲間には高卒の子もいたけど、私のほうがいい仕事をさせてもらったとか、優遇されたという記憶もないので、いまいちピンときません。厳しく怒られもしたし……。


ウメハラ厳しくされるのと見下されるのは全然違うんです。しかも面と向かって言われるならまだいい。直接バカにされるなら、「なんだと、この野郎」って言えるから。でもそうじゃない。口調とか態度みたいな、醸し出す空気で見下すんです。


ちきりん:そうなんだ……。心の中で見下してるから、それが態度に表れるってことね? 確かに私はそんなふうに見下された経験はないかも。


ウメハラたとえばレジからお金がなくなった時、学歴のない奴が真っ先に疑われるんですよ。わかります?


ちきりん:あ〜、そういうのがあるんだ!


ウメハラ本社まで呼ばれましたからね。「レジ触った?」「監視カメラつけてるから、調べりゃわかるんだよ」とまで言われて。


ちきりん:それは頭にきますね、確かに。
 で、そういう経験が積み重なると、「やっぱり中卒だから、高卒だからバカにされるんだ。大学ぐらいは出といたほうがいいよ。今の世の中では」っていうアドバイスになるんですね?

「厳しくされるのと見下されるのは全然違う」か……
 まったくもって「身もフタもない話」ではありますが、こういう世の中が急に変わるとは思えないのです。
 というか、僕自身、こんな学歴差別をする人に実際に出会ったことがないので、「本当かよ……」って考え込んでしまったのですが、たぶん、それは僕が「温室」にいたからなのでしょうね。
 それでも、「理不尽にバカにされるのがイヤで、その実力+経済的なものも含めた条件があるなら、大学に行ったほうが無難」というくらいのことは言って良いと思います。
 大学には、いろんな人がいるしね。
「ああ、こいつにはかなわない」って人に「社会人」になる前に出会っておくのは、けっして悪くない経験なのです。リアルタイムでは「かなわんな……」って落ち込んでも。


 プロゲーマーの世界には、東大卒のこんな人もいるのです。
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 このなかで、「ときど」さんのお父さんのこんな言葉が紹介されています。

「ときど」さんがプロゲーマーになるか、公務員になるか、お父さんに相談したとき、こんなアドバイスをもらったそうです。

「わかっていないかもしれないけど、この業界が、おまえの考えるとおりに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」


 ああ、そういう考え方もあるのだなあ、と僕も感心してしまいました。
 みんなは「なぜ、東大を出たのに、プロゲーマーに?」と疑問を持つけれども、「東大卒」であることで、ひとりのゲーマーとしてだけでなく、将来的に、業界全体のマネージメントに携わることになるかもしれません。
 「東大卒プロ野球選手」が、選手としてそんなに活躍できなくても、引退後、所属球団で職員として、そのチームに関するマネージメントを行っているように。
 彼らよりも、「現場」でもっと活躍した選手たちが、スコアラーとか用具係のような「現場での裏方」として第二の人生を送っているのに、彼らには「企業としての球団の管理職」の道があるのです。
 本当にそういうシステムでいいのか、というのは疑問ではあるのですが、それが現在の日本社会の「現実」ではあるんですよね。


 僕のなかには、大学で資格をとったから、なんとか生き延びていられる、という気持ちと、ずっと引きずってきた学歴コンプレックスみたいなものが両方あって、ほんの少しそれらがせめぎあっています。
 ようやく「持っているもので勝負するしかない」というくらいの覚悟はできてきましたけど。
 子どもには、自由にやりたいことをやらせたい、という理想と、やりたいことを選べるようになるには、「助走」みたいなものを周囲がつけないと難しいのではないか、という実感があって、ずっと試行錯誤ばかりです。


 ただ、このくらい生きてみると、高学歴の世界も無限コンティニューなわけではなくて、そのなかでまた競争があるし、そこで自分が幸せを感じられるかどうかは別問題、なのだということもわかります。
 自分の「目標」のために、いろんなもの(それは「家庭」だったり、「趣味の時間」だったりします)を犠牲にしているように見える人も多いのです。
「偏差値が高い」からといって、「足るを知る」ことができるわけではない。
 そして、「足るを知る」ことが本当に幸せなのかも、僕にはわからない。
 人間って、「なるようにしかならない」のではないか、という気もしています。


 上を目指せば目指すほど、競争は厳しくなるし、犠牲にしなければならないものも増えていく。
 それでも、「頂上からしか見えない景色」というのも、たぶんあるのだとは思う。
 もちろんそれは、学問の話だけではなくて。


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