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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「医学部に進んでしまったけれど、医者にはなりたくない」という増田さんへ

anond.hatelabo.jp


僕には僕自身の経験からしか語れないのだけれど、それでもこの増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者は、「増田」と呼ぶのが慣例なのです)の選択に、少しでも役に立てればと願いつつ書きます。


僕自身、あまり医者になりたくなかったのに、結果的になってしまった人間なので、増田さんの気持ちはわかる。
僕の父親は医者で、普段は「お前は医者にならなくても、好きなことをやってもいいよ」と言ってくれていたのですが、高校時代の模試で一度法学部希望にしたら、あからさまに機嫌が悪くなったのを覚えています。
僕の人生の「職業選択における希望」は、弁護士か文系の学者(できれば歴史学者、「ヤン・ウェンリー症候群」ですね)、もしくは「ものを書いて食べられる人」だったんですよね。
あと、ゲームをつくる人や、ゲーム雑誌の編集者にも憧れたなあ。
ただ、そういう親の「暗黙の期待」みたいなものを裏切れなかったというのと、僕自身、そこまで切実にこれらの仕事に就くことを渇望しておらず、司法試験に受かって弁護士になれる自信もなかったので、結果的に、なんとか合格した医学部に行くことになりました。
戦争になっても死なずに済むかな、とか思ったりもして。
(でも、後で学んだことなのですが、東大の卒業生のなかで太平洋戦争でいちばん亡くなったのは医学部卒業生だそうです。戦場では前線にも「軍医」が必要だから)。


もともと人に会ったり、世間話をするのは苦手だし、あまり理系的思考も得意ではないので、在学中はかなり苦労しましたが、なんとかやりすごして(ほんと、文字通り「やりすごした」のです)、就職し、紆余曲折ありつつも、ずっと仕事を続けて、生きています。


正直なところ、もっと自分に合った仕事があったのではないか、という気持ちもあるし、このまま死んだら、なんとなく「周囲からみたら、優良可の『良』くらいだけれど、本人は死ぬ前にベッドに横たわりながら悶々とするのではないか」なんて考えることもあります。
とはいえ、人間というのは年を重ねると案外日常生活をこなしていくことに意義を見出すものだし、家族の存在というのは、支えにはなっていると思う。
ほんと、僕なんか、この仕事をやっていなかったら、結婚できたかどうか怪しいよな、と。


「僕は医者に向いてないよね」と妻に話すと、笑いながら、「でも、主夫にはもっと向いてないからねえ。あなたみたいな要領の悪い人は、強い資格を持って良かったんじゃない?人と積極的にコミュニケーションをとって、うまく仕切れるようなタイプでもないし」と答えてくれます。
そして、「私もそうなんだよね」と。
彼女は「人を直接相手にする」のが苦手で、薬剤師になろうと思っていたのを、受験直前に成績が良かったので周囲の強い説得で医学部に進路変更した(させられた)そうです。


医学部っていうのは、いろんな人がいて、みんなが「医学を一生の仕事として志している」わけではありません。
増田さんの場合は、単科大学だそうですから、むしろ「医者になりたいからそこに来た」という人が多いので、プレッシャーも強いのかもしれないけれど(本当に、あなたは僕ですか、という感じなのですが)。
旧帝大クラスの医学部ともなると、医学云々というより、「高校の成績が良かったから医学部を受験した」という「医学や人間への興味というより、自分の能力(学力)を証明するために医学部に来た人」が少なくないようです。
今もあるのかどうかわからないけれど、僕が受験生だった頃には、東大理3(医学部)の合格者たちの体験記『天才たちからのメッセージ』なんて本が出ていました。
彼らは「自分の天才の証明」として、東大理3を受験するのです。
他の学部だったら、旧帝大に余裕で合格できるのに、あえて地方の単科大学の医学部を受験する、という人も少なくないのですけど。


個人的な経験から語らせてもらうと、医師免許というのは、現状ではとても強い資格です。
このエントリへのトラックバックのなかでも語られているのですが、短時間・短期間のアルバイトでもそこそこまとまったお金を稼げるし、最低限の適応ができれば、「食べるための資格」としては最強クラスです。
もちろん、そこにはそれなりの責任みたいなものはあるのですが、臨床で患者さんと向き合うのが苦手であれば、健診のアルバイトや当直だけでもそんなに悪くない生活はできる。
一度資格を取ってしまえば、公務員の上級試験のような高いハードルはなく、高学歴オーバードクターになって食べていくのに困るようなこともない。
割り切れれば、老健施設の管理者になって、余暇に好きなことをすることもできる。
僕の知り合いには、放射線科の画像診断のエキスパートとして、世界中を旅しながら、ノートパソコンに送られてくる画像を読んで生活をしている人もいます。
手塚治虫安部公房、というわけにはいかなくても、「医者」がみんな医学に人生を捧げた人だとは限らない。
僕は、『芸夢狂人』っていうマイコン初期にたくさんのゲームをつくっていた人が医者だというのを聞いて、「ああ、そういう生き方もあるんだな」と中学生時代に思ったんですよね。


僕の周りをみていても、30代半ばくらいから、いろんな生き方に分岐していきます。
大学で研究し、実績を積んで「教授」を目指す人もいれば、臨床医として、目の前の患者を診ることに喜びを感じる人もいる。開業して「地元の名士」として生きていくことを選ぶ人、馬主になったり、夜の街で「モテる」ことにアイデンティティを見出す人もいるし、家族との関係を重視する人もいる。政治に目覚めたり、怪しげな民間医療を推進したり、ブログで自分探しをはじめたりする人もいる。


いずれにしても、増田さんは「医者」というものを「典型的な臨床医」だけに限定して考える必要はないと思うんですよ。
「稼げる資格を持つ」ことには、人生の選択肢を拡げるというメリットがある。
僕みたいなつまらない人間にとっては、「とりあえずバカにされない資格を持って、自活できている」というのは、とても心強いことではあるのです。
だからこそ「ブログでカネ稼がなくてもいいや」とか吹いていられるのも事実なわけで。


このエントリのブックマークコメントに「医者になった人の話には『生存者バイアス』がかかっているのではないか」という疑念を呈しているものがありました。
それは事実です。
僕はそんなに積極的にではなかったけれど、なんとか「適応」してきた人間でもあります。
これまで医療業界で生きてきて、医学部、研修医時代、そして医者になってから、それぞれ、ドロップアウトしていった人をたくさん見てきました。
医学部=医者になれると思われているけれど、印象としては、10人の医学部生のうち、1人か2人は医者にはなれない(ならない)し、残りの中でも1人や2人は臨床医にはならない。医学部を卒業したのに結婚して専業主婦、なんて人もいます。


もし、増田さんが自分の医者への適性に疑問を抱いているのだとしたら、これを読んでみてください。
fujipon.hatenadiary.com


これは「発達障害」の話じゃないか、オレは発達障害じゃない、と仰るかもしれませんが、以下の部分を読んでみてください。

 星野先生は、薬物による治療とともに、発達障害を抱えていても、やっていきやすい仕事を選ぶことも大事だと書いておられます。
 治療で、ある程度はよくなるとしても、向いていないことをやるのは、本人にとっても大きなストレスになるのです。

 アスペルガーの治療では、本人が自分の不得手なことに気づき、周囲の理解を求めて役割分担することが重要です。長所と短所、得手と不得手をリストアップして分担するのです。


 一般に発達障害者が不得手としているのは、
(a)対人スキル、他者との協調性、適切な会話などの社会性
(b)感情や衝動性などのセルフコントロール
(c)金銭、時間、食事、睡眠などの日常生活やライフスタイルの管理
 などです。


 これに対して得意としているのは、
(a)コンピュータ、情報機器、機械類などの操作
(b)陶芸、美術、音楽などの創作技能
(c)ある種の専門的な分野の技能
 などです。


 これらの得手・不得手を踏まえて、周囲がサポートしてくれるのが理想となります。

 発達障害者の場合、仕事上の問題の多くは「自分に合わない仕事」をしているために起きています。逆にいえば、「自分に合う仕事」に就けば、健常者と同じく、あるいは、それ以上に力を発揮することもめずらしくありません。表現者として類まれな才能を発揮したさかもとさんですが、たとえば金銭の管理、教育、あるいは介護といった職に就いていたら、大いに苦戦したであろうことは想像がつくでしょう。


 発達障害者には、不注意傾向や衝動性など、明らかなハンディがあります。したがって、次のような仕事を選ぶのは、明らかに無理があります。


・綿密な金銭の管理
・書類の管理
・人事管理
・対人援助職(教師、保育士、看護師、介護士など)
・些細な不注意でも大事故にあう可能性がある危険な仕事


 しかし実際には、こうしたハンディを十分に考慮することなく、それどころか本人も家族も発達障害に気づかないまま仕事を選んでいるケースがほとんどです。


 前述したように、発達障害の人は、身の回りの雑事にはまったく「使えない」一方で、勉強はすごくよくできることがあるのです。
 それで、周囲からも期待され、こういう「向いていない仕事」についてしまう。
 銀行員とか学校の先生とか、医者とか……
 それは、本人にとっても、その人に関わる人たちにとっても、「悲劇」だとしか言いようがない。


 これをあえて紹介したのは、僕自身がこれを読んで「うわあ、これは自分のことだ……」と感じたからなんですよ。
発達障害」という病名をつけられると、「いや自分はそんなのじゃない」と言いたくなるのですが、こういうのは白黒二極化しているようなものではなくて、大部分の人はグレーゾーンのなかで、「白に近いか、黒に近いか」なんですよね。
 僕自身は、ここで語られている「発達障害」に近い人間だと思う。


 僕にとって、医者(臨床医)という仕事の難しさ、厳しさは、主に二つあります。
 ひとつは「病んでいる人」と日常的に接しなければならない、ということ。
 これはもう、誰でもキツいだろうと思うし、慣れてしまうところもあります(なかには、優しすぎて無理、という人もいたけれど)。


 そして、もうひとつは、「自分の時間を他人にコントロールされることのストレス」です。
 臨床をやっていると、学会で遠出でもしていないかぎり(それでも、電話連絡はあるのですが)、夜中だろうが、映画を観ている途中だろうが、デートの最中だろうが、24時間不眠不休で働いたあと、ようやく寝られる、と思ったときであろうが、容赦なく電話が鳴り、呼び出されます。
 それは医者にとっての「義務」だから、覚悟しているつもりです。
 それでも、つらい、と感じることが多いんですよね。
 これは個人差があると思うのですが、僕にとっては「いつでも電源を切れずに、スリープモードは維持していなくてはならない」のは、すごくキツい(でもやっています。ただ、「なんとかやっている」というのは、かえって「危ない」のかもしれない)。


 僕のなかでは、「仕事」というのは、「自分で時間をコントロールできる仕事」と「他人に時間をコントロールされる仕事」の二つに分かれます。
 まあ、完璧に前者に属するのは、ごく一部のアーティストくらいのもので、大概のサービス業は、多かれ少なかれ、他人の都合に合わせなければならないところがある。
 その中でも「医者」というか「入院患者を持つ臨床医」というのは、まさに究極の「他人に時間をコントロールされる仕事」なんですよ。
 病状が安定していたはずの人が突然血を吐いたり、看護師が巡回していたら心臓が止まっていた、などということが、日常的に起こるのです。
 いまの僕が布団をかぶってスヤスヤと眠っていても、30分後には血まみれで内視鏡を握っているかもしれない。
 今でも、夜中に「電話鳴った?」と起き出して携帯のディスプレイを確認することがよくあります。
 大概電話は鳴っておらず、ホッとしながらも、しばらく寝付けずに悶々とするのです。
 僕は、そういうのが、ずっとつらかったし、今もつらい。
 だから、もし増田さんに心当たりがあるのなら、「臨床医は避ける」ことをオススメします。
 いやまあ、誰だって、夜の呼び出しとかは、つらいものではあるんだろうから、それが「仕事を続けられないレベル」かどうかというのは、判断が難しいところではありますけどね。


 個人的な経験のレベルですが、医学部に入ってもドロップアウトしてしまう人というのは、勉強ができないわけではなくて、「対人援助職には向かないキャラクター」を抱えていることが多かったのです。
 こういう人には「勉強はできる」人が多くて、だからこそ医学部に進学してしまう、という悲劇も起きやすい。
 率直に言うと、勉強がものすごくできる「天才」というのは、医者の世界にもごくひとにぎりしか必要ないし、普通の臨床医に必要なのは「慢性的な寝不足に耐えられる体力」と「地味で結果が見えない仕事を地道に続けられる忍耐力」、そして、「気分転換の上手さとバランス感覚」だと思います。
 極論すれば、「体力があって、いいヤツ」ということです。


 増田さんは、もう3年生ということですから、「単に医者になりたくない」のか、「他にやりたいことがあって、それをやらないと一生後悔する」のか、自分に問いかけてみてください。
 そして、自分の「適性」も含めて、考えてみてほしい。


 医者って、精神的にも肉体的にもかなりキツい仕事なのですが、それでも、「待遇が不満で、医者そのものをやめた」という人は僕の観測範囲では見たことがありません。
 それは、「せっかく医者になったんだから」という痩せ我慢みたいなものかもしれないけれど、「みんなの夢になるような仕事」でも、食べていけないとか将来が不安とかいう理由で辞める人が大勢いることを考えると、「悪くはない」のだと思う。
 働く場所を選べば、「ブラック」とは限らないし(ただ、「優秀だ」と言われ続けて生きていると、「ラクで稼げるほうを選ぶ」ということを躊躇ったりしがちなんですよね。バカバカしい、と言われるだろうけど)。
 そこで、「悪くない」を選ぶか、「自分にとっての夢」を追うかは、あなた次第です。


 ドロップアウトしてしまった大学時代の同級生が「なぜあのとき頑張って、医者になっておかなかったのか」って後悔している、というのを聞くたびに、なんだかとてもせつなくなります。
 明らかに「向いてなかった」人でも、いや、「向いてなかった」と思うような人ほど、そう言うんだよ。
 強い資格には、「人生に向いていない人にとっての、究極兵器」みたいなところもあるのです。



 以下は蛇足なのだけれど、今後の「医学・医療」という仕事についての雑感です。
 

 増田さんは「コンピュータ関係に興味がある」と言っていたのだけれど、現在「医療のIT化」がどんどん進んでいっているのです。
 現時点では、病院で「ロボット医者」が出てきたら眉をひそめる人が多いと思うのだけれども、人類がその気になって、研究開発を続けていけば、どんどん「ビッグデータを駆使した、ロボット医療」みたいなものが主流になってくると思います。
 ロボットは24時間休まずに働けるし、夜のコンビニ受診にも嫌な顔ひとつしないし。
 少なくとも今のレベルでは、医療知識的にも技術的にもまだ「レベルが低い」ので、人間には敵わないけれど、コンピュータ将棋が人間のプロ棋士を凌駕したように、将来的には「自動診察・自動処方」みたいなものができてくるのではなかろうか。
 医者の仕事って、一般外来レベルでは、患者さんの症状を聞き、診察をして、それらの情報から鑑別診断を可能性の高いもの、危険の大きいものからリストアップし、適切な範囲の検査・治療をすすめていく、というものです。
 コンピュータ将棋が、プログラムされた思考ルーチンに加えて、人間の「定跡」や「指し手」を学習することによって強くなっていったのと同じように、ロボット医師を「学習」させれば、どんどん進化していくはず。
 人間はそれをチェックするだけ、になり、数十年後には「人間の医者よりも、コンピュータのほうが有能」になるかもしれない(人間側が積極的に協力すれば、早い時期にそうなる可能性は高いけれど、たぶん、既得権益側はなかなかそれを手放さないとは思う)。
 医療には人の温もりが必要、という声もあるだろうけれど、選択肢として、「めんどくさいコミュニケーションを要求されないコンピュータ医療」があれば、そちらに行く人は、少なからずいるはず。
 ただ、現状でのコンピュータ医療の問題点は、自分の症状を説明する側が「人間」である、ということなんですよね。
 その曖昧で主観的な情報を正しくコンピュータに伝達するのは難しい、という面はある。


 増田さんが、もしコンピュータ関係の仕事をしたければ、医学部で医療の勉強をして、医者とコンピュータの橋渡し役となり、この「ロボット医療」の技術を開発していく、というのはひとつの選択肢だと僕は思ったんですよ。
 医療っていうのは、これからのテクノロジーにとって、最大のフロンティアなのだから。
 医者仲間には、嫌われそうだけどさ。