いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ちきりんさんと伊賀泰代さんという「ふたりの著者」と「ひとつのテーマ」

【ちょっとだけ宣伝】
『Books&Apps』に書かせていただきました。
blog.tinect.jp
blog.tinect.jp

僕はさておき、錚々たる書き手が揃っているブログですので、読んでみていただけると幸いです。



【以下が今回の本文です】


生産性

生産性

fujipon.hatenadiary.com


 この『生産性』という本を読んで、僕は最近読んだある本のことを思い出しました。


fujipon.hatenadiary.com

 ちきりんさんが書いたこの本のテーマも、たしか「生産性」だったよな……
 「生産性」が、いま流行っているのだろうか?


 ……と白々しくことを書いてみましたが、伊賀さんは、ちきりんさんの「世を忍ぶ仮の姿」(byデーモン小暮閣下)だと言われています。
 なぜ、同じテーマで、わざわざ二冊の本を書いたのだろう?


 そう思いつつ読み始めてみたのですが、ものすごくひらたく言ってしまうと、この伊賀泰代名義の『生産性』という本は「意識が高いビジネスマン向け」で、ちきりん名義の『自分の時間を取り戻そう』は、「いつも時間がなくて人生に余裕が持てない普通の人向け」みたいです。
 ですから、自分に自信がある、有能なビジネスマン、あるいは職場で「生産性」についてのハンドリングを自分がやらなければならない立場の人はこちらの『生産性』を読んだほうが、より実践的で、役に立つのではないかと。
 その一方で、僕みたいに有能ではない人間が、この『生産性』を読むと「どうせ僕は『トップパフォーマー(圧倒的なポテンシャルとスキルを持ち、仕事を牽引していく人)じゃありませんからね……」と、ちょっと拗ねたくなってしまうのも事実です。
 たぶん、この本は「能力があることを自他ともに認めている人が、ビジネスの場で、よりステップアップするため」に書かれたものであって、ちきりん名義の『自分の時間を取り戻そう』とは、ターゲットが違う。
 だからこそ、同じ「生産性」を扱っているにもかかわらず、二冊の本があり、二つの名義の著者がいる。
 ものすごく面白い手法だな、と思うのと同時に、「外資系でガンガン仕事をして成長しようという人向けの本をちきりん名義で出すことのリスク」みたいなものも考えて、こういう形にしたのかな、と思うのです。
 この『生産性』を読んだ人が、ネットで「こんなの自分には関係ない、外資系とかの意識高いトップパフォーマー向けの妄言だ」と、「ちきりん批判」を繰り広げる可能性が高そうなんですよ。
 ちきりんは、俺たちのことなんて、わかってない、って。
 いや、たぶん、「わかってない」よ。
 想定はしているけれど、実感はできないと思う。それはちきりんさんが悪いわけじゃなくて、人間が他人のことを想像できる範囲には限界がある、というだけのことです。


 というわけで、同じ「生産性」というテーマを扱いながら、二冊の「想定する読者が異なる本」が書かれたわけです。
 『自分の時間を取り戻そう』は、みんなの仲間で、気楽に自分の時間を生きたいちきりんが書き、『生産性』は、元マッキンゼーの人材採用担当者で、「優秀な人材をいかに選別し、伸ばしていくか」を突きつめた伊賀泰代さんが書いたのです。
 

 すごい手間だと思うけれど、同じ著者が、同じテーマを「優秀な人」と「そうでない人」、それぞれに合わせて書いているんですよね。
 なるほどなあ、これがネットで「自分の想定外の読者から批判され続けてうんざりしてきた」であろう、伊賀さんのひとつの「答え」なのか……
 これは、「トランプ大統領」を生んだアメリカと同じような「分断」が日本にも起こっていると伊賀さんが考えているということではないだろうか。
 ちきりん名義で『自分の時間を取り戻そう』と『生産性』の両方を書いて、前者は入門編、後者は応用編(あるいは実践編)ですよ、とアナウンスすることだってできたはずです。
 そうしなかったのは、前者を読んだ人が、もうちょっと具体的に知りたい、もっとレベルアップするにはどうしたら良いのだろう?と後者を手に取るという流れが、いまの日本では、もう断ちきられてしまっていることへの絶望が、ちきりんさん(伊賀さん)にあったからではないのか。


 ふつうの人だって、努力すれば、あるいは工夫すれば、エリート(トップパフォーマー)から学べるところも多いはず。
 ところが、いまの世の中では、「どうせ外資系の、マッキンゼーになんか行く連中は別の種類の人間なんだから」と、多くの人が感じている。
 そして、ネットなどで「俺たちに関係ないことを書きやがって」と憤る。
 両者の階層は、もう、固定されてしまっているものだとどちらも悟っている。
 ちきりんさん(伊賀さん)は、長年のネット活動で、そういう「分断」を実感せずにはいられなかったため、こういう形での別名儀での二冊の本の発行になったのではないか、と僕は思っています。
 ただし、これはあくまでも僕の勝手な想像でしかありませんし、御本人の意識としては、そこまで「分断」を意識したというよりは、一般書とビジネス書、みたいな感覚で書き分けただけなのかもしれませんが。


 どちらも良い本ですし、『生産性』のマッキンゼーで学んだプレゼンテーション作成術は、「僕の知ってる優秀なヤツは、マッキンゼーじゃないけど、まさにこういうふうにやっていたなあ」と。


 これからは、こういう「分断を前提とした本」が増えてくるのではないかなあ。
 たぶん、僕たちは少しだけバカにされているんだ(こう考えてしまうのが「分断」なのでしょうね)。


fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター