いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

高校時代の清原和博さんが表紙の『Number』の「甲子園最強打者伝説。」を読んで思ったこと


このツイートをみて、『Number』のKindle版を購入し、特集記事「甲子園最強打者伝説。」の「清原和博・13本のホームラン物語」(文・鈴木忠平)を読みふけってしまいました。



僕は大の運動音痴で、大人になっていちばん有難いと感じているのが体育の授業と運動会(体育祭)がスケジュールから消えたことなのですが、にもかかわらず(いやむしろ、それだから、なのか?)スポーツ観戦やスポーツノンフィクションを読むのは大好きなんですよね。自分には絶対に手が届かないものへの憧れなのかもしれません。


冒頭のツイートを読んだだけで、良記事の予感がしたのだけれど、この高校時代の清原和博選手が表紙の「甲子園最強打者伝説。」の特集を読んで、僕は何度も目頭が熱くなってしまいました。
スポ根とか体育会系とか「大嫌い」なはずなんだけど。
この特集では、清原さんが高校時代に甲子園で打った13本のホームランについて、「打たれた側」である対戦校のピッチャーや、そのチームメイトが振り返っているのです。
(以下、「清原」と呼び捨てにします。そのほうが少し臨場感が伝わると思うので)


ピッチャーが振りかぶってから、ホームベースにボールを投げ、それが清原のバットによって、スタンドに放物線を描くまでの時間というのは、1分もかからないくらいでしょう。


打った清原がドラマをつくった陰に、打たれた投手にも、それまでの野球人生の積み重ねがあり、打たれたあとにも、「余生(あるいは第二の人生)」があった。
この記事には、打った清原のコメントは一切添えられていませんし、現在の清原を罰する姿勢も、擁護する言葉もありません。
ただ、「あの、PL学園の4番・清原和博」を同じ高校生だった対戦相手は、あのとき、甲子園でどうみていたのか、打たれた相手側は、その後、どういう人生をおくってきたのかが淡々と綴られているのです。


読んでいると、あの頃の清原というのは「甲子園の神様」みたいなもので、対戦相手のその後の人生を呑み込み、変えてしまったのではないか、という気がしてきます。


ある選手は「その後の人生で、甲子園での『あの場面』について周囲から言われるたびに傷ついていた」と告白しています。
その一方で、他の選手は「あまりにも完璧に打たれてしまったがために、かえってすっきりした」と言っているのです。


1984年の夏にPL学園と対戦し、清原に1試合3本のホームランを打たれてしまった(スコアは1−14)愛知・享栄高校の稲葉投手は、先発投手と自分から、それぞれ1本ずつ、計2本のホームランを打っていた清原の5打席めの8回、あえて「ぶつける」ことまでしています。
この意地と歯がゆさからのやつあたりのような左脇腹への死球に対して、清原はどうしたのか?
先発し、めった打ちにされて降板した村田投手は、この死球のことを、こんなふうに振り返っています。

「稲葉は、僕があんなに打たれて、大観衆の前でみじめな姿をさらすのを初めて見たと思うんです。だから、ぶつけた。褒められたことではないかもしれません。でも、僕は、あいつの気持ちがうれしかった」
 そして、稲葉は今でも覚えている。PLの4番が2人の意地をどっしりと受け止め、黙って一塁に歩いてくれた様を。


 最終回にまわってきた6打席目、吹っ切れた稲葉投手は、清原に最後の真っ向勝負を挑みます。結果は、この日3本目になる、特大のホームラン。

「悔しくないんですか?」
 試合後、涙を流していない稲葉を見て、新聞記者が聞いてきた。1試合3本塁打という新記録を許した右腕はこう答えた。
「全く悔しくないです。彼のおかげで、僕らの名前が残るわけですから」
 その記者は不思議そうな顔をしていたという。村田と稲葉がともに戦った最後の試合、怪物は2人の意地を弾き返し、そして、受け止めてくれた。


僕が子どもの頃、『がんばれ!タブチくん』という、いちいひさいちさんのアニメ映画のなかで、王選手がホームランの世界新記録をつくった756号を打たれた鈴木康二郎投手が、周囲から、「王選手に756号を打たれた鈴木さん」とずっと言われ続ける、というネタがありました。
僕は笑いながらも、「これって、残酷なことだよなあ」とも感じていたのです。
ただ、打たれた側にとっては、もちろん勝負師としての「悔しさ」はありつつも、伝説のヒーローに打たれて、歴史に名前が残ってしまったことは、自身の「存在証明」でもあるのかもしれません。その勝負から、時間が経てば、そして、彼自身が人生において「ヒーロー」になれなかった場合には、なおさら。


清原に打たれたことによって、野球をあきらめて新しい人生を摸索した投手がいる。
清原にしか打たれていないというのが誇りとなり、「だから、他の連中には打たれるわけにはいかない」という強迫観念にとらわれて、苦しみ続けた選手がいる。
清原と勝負するはずだった試合に投げることができず、ずっと、そのことを悔いている選手がいる。


この記事のなかには、高校時代の「スーパーヒーローでありながら、他校の選手にもおおらかで、気配りを欠かさなかった清原和博」の肖像も刻印されています。

 甲西高校は偶然、PL学園と宿舎が同じだった。夕刻、金岡たちがロビーにいると、あの清原が言い出した。
「おい、今度は卓球で勝負しようや」
”卓球大会”が始まった。両校が打ち解ける中、1人、イヤホンをして、握ったボールを見つめている男がいた。桑田だった。
「ごめんな。メンタルトレーニングなんや。あいつのことは構わんでおいてくれ」
 清原が少し、申し訳なさそうに言った。
 金岡はむしろ、そっちに驚いた。
「僕にとっては桑田のあの姿がPLのイメージでした。みんなが常に野球のことを考えているんだろうなって。特に清原なんか天狗やろうなって(笑)。でも、清原こそ、普通の高校生だった。うれしかった」
 他愛もない話で笑い合った。現実味がないほどの特大ホームランより、少年のような笑顔が胸に強く残った。


 同じ高校生にとって、「PLの4番・清原」は「甲子園の神」であるのと同時に、ものすごく魅力的な「野球というスポーツをやっている仲間」でもあったのです。
 その一方で、こういう「付き合いの良さ」みたいなのが、その後の清原の人生を狂わせてしまったのかもしれない、という気もするんですよね。


 彼らが、今どん底にいる清原に「何かできることがあればしてやりたい」と言っているのを読んで、僕は感傷的にならずにはいられませんでした。
 高校球児としてスポットライトを浴びた彼らのなかには、その代償を払うかのように、その後の人生をうまく乗り切れていない者もいるのです。
 うまくいかなかったのは、清原だけじゃない。


 自分を打ち砕いたのが「甲子園の神様」だったことが、彼らの小さなプライドになっていた。
 ところが、その「神様」は、年を重ねて、「堕ちた神」として、世間から大バッシングされる存在になってしまった。
「あの」清原に甲子園でホームランを打たれた、の「あの」のニュアンスが、清原の逮捕で、大きく変わってしまった。


 あの甲子園での清原の活躍は、彼のその後の転落を理由に「黒歴史」として、お蔵入りにすべきものなのだろうか?
 少なくとも、高校時代の清原は薬物には縁のない、「甲子園の神様」だったのに。


 「あの頃の清原」のこと、同世代の僕は、あまり好きじゃありませんでした。
 シンプルに言えば、同じくらいの年齢のヤツが、あれほどスポーツの世界で活躍し、みんなにチヤホヤされていることに嫉妬していたのです。
 どちらも、当時の(今もですが)僕の人生とは無縁のものだったから。


 スポーツの世界、勝負の世界というのは、基本的に勝者の「総取り」で、敗者は多くのものを失ってしまう。
 負けるのは、つらい。
 でも、勝ち続けている側も、「自分の力によって、多くの人の思いや努力の積み重ねを打ち砕いていくこと」に疲れたり、消耗していくのではなかろうか。
 誰かにとっての「神」であり続けるというのは、凡人には想像しえない苦しみを伴うのではなかろうか。


「だから、清原さんの弱さを許してあげたい」と言えるほど、今の僕は純粋ではありません。
彼のような「カリスマ」は、社会的な責任も大きいというのも、「社会的制裁」によって、覚せい剤を抑止しようというのも理解できる。
「清原だから、覚せい剤も大目にみよう」なんて世の中は、間違っている。


 しかしながら、「高校時代の清原和博の凄さを語ること」「清原のファンだったり、彼に勇気をもらったこと」まで、みんなが口をつぐんで「なかったこと」にする必要があるのだろうか?


 僕はこの『Number』の記事を読んで、「少なくとも、高校時代の清原和博を『なかったこと』にしてはいけないのではないか」と思っています。
 じゃあ、同じ清原和博という人間のなかで、いつまでが「あり」で、いつからが「なし」なのか、というのは、とても難しい判断なのだけれど。


 高校野球の厳しすぎる練習や過剰な精神論は「理不尽」だと僕もつねづね感じています。
 ただ、実際にその時代にやってきた選手たちの話をきいてみると、2016年の常識で、1980年を「時代遅れ」と断罪するのはアンフェアではないか、という気もするのです。
 そもそも、そういう「やりすぎた経験」の積み重ねが、少しずつでもトレーニング法や試合日程の改善につながっているわけだし。
 これまでの事象の積み重ねに学ばないのであれば、それは愚かだと思うけれども。



 まだあの逮捕や判決から時間が経っていないこの時期に、こんな特集を組むなんて、『Number』の編集長さんは思い切ったことをしたな、と驚きました。
 いまの世の中では、こういう「糾弾できる傷がある人物を好意的に採りあげる」というのは、芸能人や政治家のスキャンダルよりも、メディアにとってはリスクが高そうだから。


 だからこそ、この記事、今号の『Number』は、いま、この夏の甲子園の開催中に読んでほしいのです。
 高校時代の清原和博を無視して、日本の高校野球の歴史を語ることは難しいはずなのに、多くのメディアはメディアは、「高校野球の神様」の存在そのものを「暗黙のタブー」にしてしまおうとしている。
 本当に、それで良いのだろうか?
 清原がなぜこうなってしまったかを考えるためには、高校時代の清原の輝きを知ることも必要なのではないだろうか?
 いや、そもそも、こんなに魅力的な「伝説」が、「黒歴史」として封印されてしまうのは、悲しすぎる……


 興味を持たれた方は、今号の『Number』を、ぜひ読んでみてください。



 こちらは随時更新中の僕の旅行記です。有料(300円)ですが、よろしければ。

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