いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

テレビゲームはすでに市民権を得ているし、「文化」としても認知されていると思う。

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小学校高学年でテレビゲームに出会い、それから30年以上もともに過ごしてきた僕としては、「ゲームは時間の無駄」なんて許せん!というか、そう言われたら、僕の学生時代とか、ほとんど無駄だったことだよね……と悲しくなってきます。
じゃあ、何か役に立ったのか?その時間に英語の勉強でもしていたら、今頃は世界で活躍するエリートビジネスマンになれていたかもしれないぞ、と思っていた時期もありましたが、まあ、正直なところ、「勉強なんかしたくないから、ゲームばっかりやっていた」とか「友達もいなかったから、マイコンばっかりいじっていた」のも事実なので、「とりあえず僕の人生のハードな時期に生きがいを与えてくれてありがとう、テレビゲームとマイコン!」という感じです。
いや、実利といえば、とりあえずキーボードを打つのが早くなったことと、こうしてブログのネタにできることくらいですかね。
しかしながら、今でも、あの頃遊んでいたゲームのことを思い出すと、僕は少しだけ幸せになれます。


さんだぁふぉーーーーーーす!!!


さて、冒頭のブログのエントリなのですが、悔しい気持ちはわかります。
僕だってゲームっ子だから、ゲームがバカにされると悔しい。
ただ、パチンコだってある種の「社交場」ではありますし(でも、やらないほうがいいよ、依存性が高いし、金銭感覚がおかしくなるから)、ネットサーフィンのおかげで「コンピュータ」や「インターネット」の世界に慣れた、という人も多いはずです。
基本的には「自分が直接迷惑とかけられたり、犯罪行為であったりしなければ、他者の嗜好は尊重しようよ」で良いのではないかと。


fujipon.hatenablog.com

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僕はテレビゲームというものが「普通の人」の手に届くものになってからの歴史を、ほぼリアルタイムで体験してきました。
ものすごく大まかな流れで言うと、テレビゲームというのは、わずか30年あまりの間に、信じられないくらい「遊びの世界」を支配し、みんなに認知される娯楽になったんですよね。


僕にとっての神様のような作家・筒井康隆さんに『不良少年の映画史』というエッセイがあります。
1934年生まれの筒井さんの子ども時代には「映画は不良がみるもの」だったと言われていたのです。
いまでは、そんなことを言う大人は、まず存在しません。


僕は1970年代はじめの生まれなのですが、子どものころ「ゲームセンターは不良のたまり場」でした。
いまの若者たちは信じてくれないのですが、カツアゲしてくる不良や補導員を避けながら、愛するテレビゲームで遊ぶために、修羅の国に足を踏み入れていたのです(とはいえ、100円はけっこう大金だったので、デモ画面を眺めるだけ、のこともよくありました)。
温泉旅館のゲームセンターとかは、怖い人がいなくて最高だったよなあ、昔の別府杉の井ホテルとか。温泉にも入らず、ゲームばっかりやっていたものです。


まだまだ、「過渡期」だとは思うんですよ。
でも、人々の「ゲーム」に対する偏見とか悪いイメージって、ファミコン、そしてゲームボーイ以来、急速に変わってきました。
昔は「テレビゲームで遊ぶ女の子」なんて、希少種でしたから。
いまの子供たちは、男女関係なく、『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』で遊んでいます。
実際、これだけ世の中がデジタル化されていると、テレビゲームから、そういう端末に慣れておくというのは、妥当な生存戦略だと思います。


『アメトーク』で、『ドラゴンクエスト芸人』や『桃太郎電鉄芸人』の回が放送されたり、NHK-FMで『今日も一日ゲーム音楽三昧』が企画されたり。
美術館でも「ゲーム展」のような催しが、近年増えてきています。


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現代アートの聖地とも言われる、ニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York:MoMA)にも、テレビゲームがすでに収蔵されているのです。


1970年代はじめから、80年代生まれの「面白い人」って、けっこう「テレビゲームをつくること」を仕事として選んでいるのではないか、とも思いますし。


ゲームから得られるものって、たくさんあると思う。
ストーリーや音楽やシステムは、その時代の「デキる人」たちがつくりあげたもの。
このあいだ、矢野徹さんの『ウィザードリィ日記』の話をしたのですが、あれが書かれた1980年代後半の時点ですでに、ある編集者が、こう言っていたのです。

 宮野さんの話。ドラゴンクエストの作者とハバロフスク経由モスクワへ、ゲームの筋作りに行った。ただし、作れそうになかったという。そのときに話し合ったことというほうが面白かった。「いまの作家が小説にかける時間よりも、ファミコンやコンピュータ・ゲームを作る人のほうが、物語の筋を考える時間がはるかに長い」というのだ。編集部の人だから、実態をよく知っているのだろう。


 いまは、テレビゲームは一大エンターテインメント産業であり、いろんな世界から、もっとも優秀とされる人たちが入ってくる業界です。
 東大とか京大を出た人たちがソーシャルゲームをつくったり、東京芸大をトップクラスで卒業した人が、ゲームミュージックをつくりたいとゲーム会社に就職してくるのです。
 それはそれで、テレビゲームそのものがアウトローっぽかった時代に行きてきた僕としては、淋しい気もするんですけどね。
 予算が大きくなればなるほど、失敗が許されなくなって、冒険しにくくなるのは、映画産業もゲーム産業も同じなのだろうし。
 僕がテレビゲームをはじめた頃には「遊ぶ人」って、一つドアを開ければ、「つくる人」になれそうな気がしていたものなあ。


「新しいもの」が社会的に価値あるものとして認知されるのは、「それに接して、影響を受けた人たちが大人になり、社会を動かす立場になる」くらいの時間が必要なのでしょう。
僕の両親は「テレビゲーム」というものを全く理解していなかったし、自分で遊んだこともなかったはずです。
(でも、子どもがこれだか夢中になっているのだから、と、とくに制限もなく遊ばせてくれたことには、すごく感謝しています)
僕はいま、ふたりの男の子の親なのですが、7歳の長男はゲーム大好きなんですよ。
まだニンテンドー3DSを買い与えたりはしていませんが、『スプラトゥーン』をやったり、僕のiPhoneを夢中になっていじったりしています。
僕にとっては、自分が通ってきた道でもあり、「まあ、面白いよね、わかるよ」と内心思っているのです。
でも、それはそれとして、僕は「ゲームの中毒性」もよく知っているので、「無制限に遊ばせると危ない」とも感じるのです。
ゲームって、面白すぎるのだよね。本当に。
「ゲームは1日1時間!」って子どもに言いながら、「ああ、僕は昔これを聞いて、『高橋名人、それ無理だよ』って思っていたな」と内心苦笑しています。


親になってみると、子どもがテレビゲームでばかり遊んでいると「危うさ」を感じるのです。
テレビゲームって、「人生がある程度安定した大人が、余暇にやる」ものとしては、最高の娯楽であり、文化だと思うんですよ。
飲み会とかに行くと「この5000円があれば、ゲーム1本買えるし、それで1か月くらい遊べるのにな……」なんて今でも僕は思います。
そもそも、人生の目的が「楽しむこと」であるのならば、まわりくどく考えずに「楽しいゲーム」に浸ることは、幸福への近道でしょう。


ただ、子どもの場合は、「適切な容量・用法」をなかなか守れない。
(大人もなんですけど……)
ゲームは人生の役に立つし、幸せな記憶を植えつけてくれますが、現実問題として、「子ども時代に時間を費やす対象としては、少なくとも勉強よりは、はるかに効率が悪い、というか、将来自立していくための武器に繋がりにくい」のです。
「健康な身体」の大切さは、大人も認識しているので、外で遊んでほしい、とも思う。
時間は有限だから、いろんなことを体験しておいてほしい。


今の社会のシステムが、まだそうなっているし、おそらくしばらくは「子どもがテレビゲームをやればやるほど、未来の幸福につながる」という世の中にはならないでしょう。
逆に「テレビゲームを全くやったことがない子どもは、これからの世の中に適応しにくくなる」という面もあるし、だからこそ、多くの親が、行列してまでニンテンドーDSを子どもに買っているんですよね。


ゲームはすでに市民権を得ているし、「文化」としても認知されているのではないか、というのが僕の認識です。
親世代もゲームの魅力を知っているだけに、排除する気はないけれど、子どもたちにどのくらいやらせていいものか、悩んでいる、というのも現状ではないかと。


テレビゲームって、大人にとっては、コストパフォーマンスが高すぎる娯楽なんですよね。
ゲームによっては、5000円で50時間くらい遊べる。
ただ、それは「キリの良いところまで遊ぶのに、50時間もかかる」ということでもあります。
定職についている大人なら、1か月でクリアするのは難しい。
本や映画だったら、「数時間でひとつ」終えることができるのに。
テレビゲームは、時間がかかりすぎる。レベル上げなんて時間がもったいないだけじゃないか。
その一方で、僕も『シュタインズゲート』をやっていると「はたしてこれは『ゲーム』なのか?」って思うことがあります。
レベル上げという「ストレスがかかる、無駄な時間」があるからこそ、ゲームの世界に「緩急」をつけられる、という面もある。
個人的には、もっと「短編」みたいなゲームが多くなってほしいな、とも思っているのですが(僕もそんなに長生きできないだろうから)、これまでのゲーム文化を考えると、「短時間でクリアできるゲーム」というのは、なかなか評価されにくいのですよね。


最後はグダグダになってしまいましたが、もうすでに「ゲームをすることが恥ずかしくない社会」になっていると僕は思っています。
だからこそ、ネットゲーム依存が問題になるし、電車内でゲームをするときのマナーを守ることも必要なのではないかと。
携帯ゲーム機の操作って、けっこう音がすることもあるし、隣で画面が光っていたら気になる人もいるはずですから。


「ゲームは時間の無駄」って、言いたい人には言わせておけばいいんです。
無駄なことを娯楽のためにやるのって、最高の贅沢だから。
織田信長ルイ14世になれなくても、僕たちには、ゲームがある。


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