いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

長谷川豊さんの育児論を読んで、僕の先輩の話を思い出した。

http://blogos.com/article/160618/blogos.com

http://blogos.com/article/160689/blogos.com


「釣り針でかすぎだろ!」なんて反応が多くみられる長谷川豊さんのブログなのですが、この「育児の話」には僕も面喰らってしまいました。


 率直に言うと、僕は「育児に参加してます!」と公言できるほど立派な父親ではないのですが、それでも、長男、最近では次男が生まれてからしばらく続く、夜泣きで眠れない日々のことは、かなり辛い記憶です。


 まだ首も座っていない子供が、数時間おき、短いときには数十分で目を覚まし、時間や場所に関係なく大泣き。夜中だと、ご近所には迷惑だし、何をどうやっても泣き止まないしで、本当につらかった。
 覚えているかぎりの歌を、半ばヤケになって歌った夜もありました。
 しかも、父親である僕にはなかなかなついてくれないのか、どんなにあやしてもミルクをあげても泣き続け、束の間でもなんとか寝かせてあげようとしていた妻が疲れ果てた表情で出陣、ということの繰り返し。


 寝返りをうてるようになったらベッドから落ちないか、食べられる用になったらヘンなものを口に入れないか、歩けるようになったらいきなり飛び出さないか、転ばないか……
 ほんと、いつがラク、なんてことはないですよね。


 そういう意味では、長谷川さんが「生まれた直後にだけ、育児休暇が許される制度で良いのか」と問いたくなる気持ちもわかる。
 個人的には、子供がちょっと物心ついて、一緒に遊んでくれるくらいの年代(幼稚園から小学校低学年くらい)に、長く過ごせる時間があったら嬉しいな、とは思う。
 うちの長男はいま7歳で、あとどのくらい、「パパ、遊ぼう!」って言ってくれるのかな、と、寂しくなることもあるのです。
 まあ、1歳ちょっとの次男が控えているので、もう40過ぎの僕の身体がもつかどうか、そちらのほうが不安ではありますが。
 それに、もっと大きくなったら、彼らが「大人」になっていくうえで直面する問題があるんですよね。
 それはもう、親の力では、どうしようもない面もある。
 親にとっては、子育てのある部分から解放されることなのだろうけれど、すごく寂しくもなっていくのだろうなあ。


 僕も、あまり父親と密にコミュニケーションをとる息子ではなかったことを思い出しつつ。


 この長谷川さんの「0〜1歳児の育児なんてたいしたことない」という話には「そんなことない!」という反論が多く寄せられていました。
 僕もたしかに、そう思う。
 生まれたての子供をみていて痛感するのは「これは、24時間、ひとりの人間を相手に当直しているようなものだな」ということでした。


 僕も妻も、「当直経験」はそれなりに豊富なつもりだったのですが、赤ん坊相手だと全く勝手が違い、本当にきつかった。
 他人より身内相手のほうがラクかというと、そんなこともなく。
 そもそも、内科の急患は、30分ごとに大泣きしたりしないし、当直が2日間連続ということもまずないし。
 当直中の急患には、看護師さんたちのフォローもあるけれど、赤ん坊は自分たちだけで(というか、主に妻でした。すまん)、みていかなければならない。
 いまは次男もようやくまとまった時間眠ってくれるようになって、少しホッとしているような状況です。


 長谷川さんの話を読んでいて、僕はある先輩のことを思い出したんですよね。
 職場の飲み会の席で、子供の話になって、生まれたばかりの子供が寝てくれなくて大変、こっちも夜眠れなくてきつい、という話を同僚としていたのです。
 同じくらいの世代の人も多かったから、子供もちょうど同世代。みんなで、「ほんと、大変だよねえ……」と愚痴を言い合っていました。

 そんな僕たちに対して、先輩は、こう言ったのです。


「えっ?夜の子供の世話なんて、そんなに大変? 夜中に子供たちが泣くときって、だいたいミルクかオムツなんだから、泣き出しそうなタイミングでサッと起きて、パパッとミルクをあげてオムツ替えたらいいんだよ。手際よくやれば、簡単だけどなあ。うちの嫁さんは全然起きないよ」


 しかも、この先輩の子供って、双子だったんですよ!


 格好つけていたわけじゃなくて、本当に「平然と」そう言っていたんですよね。
 まあ、なんというか、処理速度の違いを見せつけられて、呆気にとられてしまいました。


 こっちがファミコンなら、向こうはPS4くらいだよなあ……


 こういう実例を目の当たりにしたことがあるので、僕は長谷川さんのこの育児についての発言をみて、「ああ、ここにもあの先輩と同じような人がいた!」と感じたんですよ。
 僕に実感はわかないのですが、「夜中に起きて子供の世話をチャチャッとやっちゃうことが全く苦にならないタイプの人」っているみたいです。
 子供のキャラクターによっても、手のかかり具合は違うようですし。


 このエントリでの長谷川さんの難点は、長谷川さんが嘘をついたり、育児をしていなかったりする、ということではなくて(たぶん、実際に「やれている」のだと思う)、「世の中の大部分の人は長谷川豊ではない」という想像力が欠けていること、に尽きるのです。
 それは、「伝える側の人」としては、けっこう大きな弱点ではないか、という気もするんですけどね。


 そして、この話って、「育児を放棄して、パチンコに行ったり、恋人とデートしたりする親」に対して、「親なのに、どうしてそんなことをするのか!」「普通に子供をみることができないのか」と僕が世の中の「ひどい親」を責める態度に跳ね返ってもくるのです。
 そういう「ひどい親」って、「子供という、放っておいたら死んでしまうものに束縛されること」へのプレッシャーや嫌悪感が僕たちよりずっとずっと強くて、「ちゃんと育児をやろうとしても、どうしてもできない」のかもしれません。
 でも、世の中って、なんのかんのいっても、「なんとか子供を育てられる親」のほうが多数派だから、それが基準になる。
「なんでそんな当たり前のことができないの?」って、「ひどい親」を責めずにはいられなくなる。


 長谷川さんが僕たちに対して「なんでできないの?」と言うのと、それはたぶん、同じような構図なんですよ。
 自分が「できる」と、「できない他者」への想像力が働きにくくなる。
 ただ、僕たちは多数派で、「普通」だとみんなで認め合っているだけです。


 とはいえ、そういう人間だって子供を生むことは(少なからず)あるし、子供をなんとかしなければなりません。
 でも、「なんとかしなければなりません」って書いたけど、どうすればいいのか、難しいですよね。じゃあ、そういう親の子供を、「親という仕事に向いていそうな大人」にみんな預けてしまったら幸せになるかというと、必ずしもそうじゃないのだろうし。


 子供も、親も、「いろいろ」なんだよね。
 長谷川さんは長谷川さんのやり方で、うちはうちのやり方で利用できる、そんな制度が求められているのではないかな。難しいことだとは思うけれども。


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よゐこ有野晋哉の父も育つ子育て攻略本

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