いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

村上春樹さんの「文章を書きやすくなりたい人」への回答について

夜の営み - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
夜の営み - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト



この「期間限定公式サイト」楽しく拝読しているのですが、今回の村上さんの答えって、これまでの「読者との交流企画」と比べて、よりいっそう「素っ気ない」ような感じがするんですよね。
この「夜の営み」の話なんて、読んでいると、「こういうふうにしか答えようがない話ではあるけれど、なぜ、この質問に答えようと思ったのだろうか?」と疑問になってくるんですよ。
おそらく、質問メールが採用される確率って、数十倍とか数百倍というレベルだと思われるので、そのなかで、なんでこれを……という。
答えたくないのなら、スルーすればいいのに……
このやりとり、誰も幸せにならないよね。
もしかしたら、こういうのがたくさん来ていて、「もう送ってくるな!」というサインなのだろうか。
それにしても、これまでの村上さんの企画であれば、もうちょっとうまく捌いていたような気がします。
なんというか、今回は、村上さんのノリが悪いような……


ただ、村上さんの「公式サイト」での読者とのやりとりを昔から眺めてきた人間としては、「質問者も慣れてきて、というか、採用されるために、あまりにも人と違うことを質問しようという感じになってきたり、なんでも赤裸々に書けばいいと思っていたりしているのではないか」と感じるんですよ。
明石家サンタ』っていう、クリスマス・イヴの夜の名物番組があるのですが、あの番組に電話してくる素人さんでも「ウケを狙いすぎて、どんどん向こうから迫ってくる人」って、かえって観ていてこちらが引いてしまいます。
なんというか、あまりに「プロ村上春樹ファン」みたいな人が多くて、村上さんは辟易しているのかもしれないな、とか考えてみたりもして。


僕は、「照れ」とか「迷い」がある人の話のほうが、好きです。


この期間限定公式サイトのなかで、
文章を書くのが苦手です - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
文章を書くのが苦手です - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

これが話題になっていました。




うまい文章 - 意味をあたえる

はてなブログ』のなかには、こんな反応をしているブログもあって、興味深く読ませていただきました。

そもそも質問者の「うまい文章」というのがナンセンスで、「うまい」という乱暴な言葉が、その人の求めようとしている表現の形から、遠ざけてしまっている。うまい・下手で言うなら、私は下手な文章のほうがずっと魅力的で、面白いと思う。


 これは「なんとなく、僕にもわかるような気がする」のです。
 ブログで文章を書いていると、「文章の上手い、下手」よりも、少し読んだだけで、あの人が書いているな、というのがわかるようなオリジナリティのほうが「武器」になるのだと痛感させられます。
 しかしながら、この「オリジナリティ」って、どうやれば身につくのかわからない。
 もちろん、「読むのが苦痛な悪文」じゃダメ……と言いたいところなのですが、「普通」よりも、そういう「フックのある悪文」のほうが良いような気もしてきます。


 ブログを書く動機として、「文章がうまくなりたいから」って言う人がいるじゃないですか。
 でも、10年以上やってきて、正直なところ、「ブログを書いていても、そんなに文章って上達しないよなあ」と思うのです。
 これは、僕にセンスが無いから、ではありますが。


 長年ブログを書いていると、書くという行為のハードルは下がります。
 しかしながら、「あまりにも周囲からの反応が多くなると、角がとれてしまう」のもまた事実。
 たとえ話をしたら、「それはA=Bじゃないだろ」と突っ込まれますし、その他「主語が大きい」「自分はその仲間に入れるな」「男がみんなそうとは限らない」など、さまざまな反論が降り注いできます。
 そこで、「これが自分の意見だ!」と突っ張れば、大概の人は炎上して長続きしないし、なるべく争いを避ける道を選べば、諸方面に配慮した、国会答弁のような文章になってしまいがちです。
 いやほんと、ああいう「お役所的な文章」って、みんな面白くないって言うけれど、全方位になるべく波風が立たないようにしていくと、「ああいうふうにするしかない」のかもしれないな、というのがわかる。


 ネットって、「ちょっと世間から外れたもの」や「創作的なもの」に対して、けっこう厳しい人が目立つのですよね。
 個人的には(ね、ここでわざわざ「個人的に」って、個人ブログに書くのが「処世」なわけですよ。しょうもない話ですが)、小説などの創作のトレーニングとしては、「とりあえずなんとか自力で短編を最後まで書きあげて、完成してからネットで読んでもらう」くらいが良いのではないかと。
 もちろん、厳しい批評が来るのは覚悟のうえで。
(ただし、現実的には創作系は「ノーリアクション」の頻度が圧倒的に高いです)
 それでも、「書き上げること」って、すごく大事なんですよね。
 どんな作品でも、書き上げられなければ、存在しないのと同じだから。


 「文章修行」のなかで、僕がいちばん印象に残っているのは、ある有名作家のこんな話でした。

 僕のところにも、作家志望だという人から「どうやったら小説家になれますか?」という質問がくるのだけれども、本当に作家になる人というのは、他人にそんな質問をする前に、まず自分の作品を書いてみるはず。最初に自分が書いたものを「これはどうですか?」と持参するくらいじゃないと、プロとしてモチベーションを維持していくのは難しい。


「どうすればうまく書けますか?」って、他人に訊ねる時点で、すでに「失格」。
 僕はこれを読んだとき、「ああ、そういうものなんだな……」と、けっこう打ちのめされた記憶があります。
 僕も「書いてみれば書けるんだけどね」って自分に言い聞かせながら、年ばかり重ねてきたから。


 村上春樹さんが、ジャズクラブを経営したときに、閑散とした神宮球場のスタンドで「小説を書く」という天啓を得たというのは有名なエピソードです。
 デビュー作『風の歌を聴け』は、当初、なかなかうまく書けなくて、「最初に英語で書いて、それを日本語に訳す」というやり方で、ようやく完成に至ったそうです。
 もし、そんなトリッキーな方法を思いつかなかったら、作家・村上春樹は存在しなかったかもしれません。
 村上春樹という作家が誕生したのは、偶然だったのか、それとも、必然だったのか?


 村上さん自身も、「努力しなければモノにはならないけれど、努力したからといって、うまくいくとは限らない世界」だと感じているのではないかなあ。
 安原顕さんという、「能力もモチベーションも人並み以上にあったけれど、『何か』が足りなかった元盟友」のことも、頭の片隅に浮かんだのではなかろうか(これは僕の邪推です)。


 ただ、この質問をよく読んでみると、質問者は「文学作品」を書きたいわけではなくて、「情報を効率よく伝達することを第一義とする文章の書き方」を知りたいのではないか、とも思うんですけどね。
 それなら、村上さんに聞かなくても良い話ではあります。


 もしこの質問者が文系であれば、「文章を書くのがそんなに苦手なのに、文系の大学院に入ったのが運のつき」だし、理系であれば「研究内容が素晴らしければ、文章の拙さなどたいした問題ではない」のですが。
 

 そういえば、某有名作家がこんなことを言っていました。
「マンガ家になりたい人も、スポーツ選手になりたい人も、まずは基礎を練習しなければ上手くならないことを理解しているのに、なぜ、作家志望者は、いきなり良い作品が書けるはずだと思い込んでいるのだろう?」