いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある芸人の復帰と「トラウマ」の話

参考リンク:強姦で被害届を出された芸人さんの復帰が怖いという気持ち - ある日の日報
芸人さんの復帰が怖いという気持ち(※追記有り) - ある日の日報


そうか、こういうふうに感じている人もいるのだな……と。
正直なところ、僕は、山本さんの復帰に関しては「そろそろ良いんじゃないかね」とも考えているのです。
ネットなどで知り得た範囲でのあの「事件」の経緯(山本さんはその場では相手の年齢を知らず、合意の上で行為に及んだが、のちに相手側からの告発で事件になった)が事実であるならば、示談が成立し、告訴が取り下げられたことも含めて、「そろそろ、復帰しても良いんじゃないか、というか、ここまで長い間謹慎する必要があったのだろうか」とも思います。
めちゃイケ』メンバーをはじめとする仲間の芸人さんたちが、自分たちの好感度が下がることも承知のうえで、復帰を「お願い」しているのもみてきたし。


現実問題として、いまの山本さんがバラエティ番組に出てきて、笑いをとれるのか?とは思うし、むしろ、「なかなか帰れないけれど、帰る場所がある」という状況よりも、「帰ってみたけれど、そこにはもう居場所がなかった」という状況のほうが、絶望的なのではないか、などと危惧もしているんですけどね。


そんな僕の「客観的な意見」も、このエントリを読んで、なんだか自信がなくなってきました。
おそらく、山本さんの事件に関しては、かなり悪いほうに改変されて世の中に認知されているのではないかと思われます。
そして、山本さんの姿に、自分のトラウマを投影してしまう人も、いるのでしょう。


「いや、あなたを酷い目にあわせたのは、この人じゃないんだから」
僕だって、そう思う。
だけど、「そういうふうに感じてしまう。辛い記憶が蘇るトリガーになってしまう」というのは、どうしようもないところがある。


僕にも、そういうトリガーみたいなものがあります。
自分でも理不尽だとは思うのだけれど、それをコントロールすることは難しい。
いや、理不尽だとわかっているからこそ、どこにもぶつけようがなくて、つらいと感じることもある。


以前、ある有名人が、こんな話をしていました。
「自分は幼い娘を車の事故で失った。だから、いまだに車が怖いし、憎い。だから、ずっと車の運転はしない」


だからといって、いまの世の中から、車をゼロにする、なんてことができないのは本人も承知しているはずです。
おそらく、道路を「普通に」車が通っているのをみているだけでも、娘さんのことを思いだして辛くなることが、あるんじゃないかな。
その車が、自分の子供を殺めた車じゃないと、わかっていても。
でも、それは、他の人に理解してもらえないのもわかっていて(形式的に「お気の毒です」と言われることはあっても、同じ感情にはなれない)、自分と残された家族で、抱えていくしかない。


僕はときどき、こんなことを考えるようになりました。
東日本大震災の際に津波で家族を失った人たちは、どんな心境で海と接しているのだろうか?」
海を憎んでいるのだろうか、見たくもないのだろうか、それとも、海とともに生活してきたのだからと、変わらず見つめることができているのだろうか。


海のせいじゃない、というか、海とは、そういうものだ。
直接関係のない人は、たぶん、そう思うしかない。
だけど、当事者は、自分でも理不尽だとわかっていながら、消化しきれないモヤモヤとしたものを、ずっとずっと抱えているのではなかろうか。


海を世の中から消すなんてことは不可能です。
現代社会における自動車も、急に失くしてしまうことは不可能でしょう。


山本さんは、裁判所で裁かれることはなかったけれど、所属事務所を解雇され、ずっと「謹慎」していました。
「謹慎」と言いながらも、その動向は、ある種の「コンテンツ」として消費されつづけてきたのも事実です。
事あるごとに「やっぱり反省していない!」とネットで叩かれてきました。
あの事件の経緯がネットで言われている通りのものであるとするならば、僕だったら、本心から「反省」できるだろうか……とか、思ってみたりもします。
そもそも、世の中というのは、なんだかとても不自由です。
どんな「反省」めいたことをしてみても、なかなか認めてもらえない一方で、山本さんが「反省」を示すために自ら命を絶ったりすれば、「死ぬことはなかったのに……」と、みんなが言うはずです。


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を読んでいると、「なぜ、他人がトラウマを表明しているだけなのに、こんなに叩かれてしまうのだろう」と悲しくなってきます。


「そんなことで傷つく、お前が異常なんだ」


そんなことはないよ。
世の中のいろんなこと、僕やあなたにとって「あたりまえのこと」が誰かにとってはトラウマで、吐きそうになるのをガマンしてニコニコしている、なんていう状況は、きっと、たくさんあるんだ。
それが周囲に気づかれていないのは、その人にとっては「本望」なのかもしれないけれど。


それでも僕は、今回のケースでは、山本さんが「復帰してみようとすること」に対して、うまくいくといいな、と思ってはいるのです。
積極的に応援、まではしないけれど。
それで傷つく人がいるかもしれない、あるいは、僕自身も同じようなケースで、トラウマを刺激されることがあるかもしれないけれど、社会全体として考えれば、山本さんには「セカンドチャンス」があって良いのではないか、と考えているのです。
僕が山本さんの立場になる可能性も含めて判断すると。
どちらかが正しい、というよりは、どちらが自分にとって生きていきやすいか。


もちろん、それがトリガーになる人を責めるつもりはない。
むしろ、ちょっと申し訳ない、とは思う。
それでも、結局のところ、世の中というのは、万人にとって完璧なものにはなりえない。
山本さんの話だけではなくて、今回のようなケースであれば、再チャレンジが許されるくらいの「寛容さ」が、社会には、あってほしいと思う。


そして、誹謗中傷や嘘に基づくものでなければ、それに不快を表明する人にも、寛容な世の中であってほしいと願っています。


そもそも、山本さんがいくら「復帰」を宣言したところで、芸人として面白くなければ、あるいは、視聴率を取れなければ、「淘汰」されていくだけ、ではあるんですよね。


たぶん、世の中には「苦しくても、呑み込んでいくしかないこと」って、少なからずあるのです。
「あるのです」って知ったようなことを書いたけれど、僕も、日々葛藤しています。
傷が無くなるのではなくて、傷の上に分厚いカサブタをつくり続けることによって、痛みの強さや間隔を、少しでも和らげようとしているのです。


ああ、でも、山本さんも、きっとそうなのだろうな。
あの事件がなければ、と何度も眠れない夜を過ごしてきたのだろうな。

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