いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

妻として、母としての「致命的に教育できない人」

参考リンク(1):致命的に教育できない人(はてな匿名ダイアリー)


「ああ、このお母さんって、いわゆる「他人を攻撃せずにはいられない人」なのではないかなあ、と思いながら読みました。


参考リンク(2):【読書感想】他人を攻撃せずにはいられない人(琥珀色の戯言)


こういう「自分の攻撃欲を満たすために、それに適した人間に目をつける人」は、知人や会社の同僚・部下だけではなく、家族をターゲットにする場合もあるのです。


もし会社の上司や同僚、部下など、あるいは隣人にこういう人がいたら、「逃げる」「避ける」のが、コストを考えれば、最良の手段だと思うんですよ。「説得」が通用しない場合がほとんどだから。


でも、相手が「家族」だった場合、本当にすごく対処が難しい。
このエントリのブックマークコメントの、「精神科を受診させるべき」「カウンセリングを受けさせたほうがいい」「子どものために離婚しろ」「どうしてこんな人と結婚したんだ」っていうのを見ていると、ネットで言葉を発する人のなかには、「わかりやすい悪人」を認定して責める人が多いんだよなあ……と、ぐったりしてしまうのです。


「子どものために離婚しろ」って言うけどさ、こんな短い文章、匿名ダイアリーの記述だけみて、そんなこと言うなんて、短絡的すぎる……
そもそも、こういうタイプの「ひどい親」って、そんなにレアケースでもないわけで、程度の問題ではあります。それは、ネットでの一方からの申告では、なんとも言えない。
実際のところ「親が離婚して、片親に育てられる」という状況と、「こういう自尊心を叩き潰すような親も含めた、両親に育てられる」のと、どちらがマシかと考えた場合、そう簡単に結論なんて出ないのではなかろうか。
暴力や性的虐待を加えてくるような親は論外なのだとしても。


こういうケースは、精神科を受診させろと言っても、本人が同意しなければ強制的に受診させることはできません。
片方の親からみて「ひどい親」であっても、もう片方に「それが私の躾であり、教育方針なのだ」と言われたら、傷跡が見えるような虐待の痕跡がなければ、精神科医も、カウンセラーも、介入するのは困難なのです。
本人が自主的に受診してくれれば良いのだろうけど、この妻に「病識」はないだろうし、それが「病気」ではなく「人格障害」であった場合、「周囲が迷惑だから」という理由だけで、治療をするのは困難なのです。
本人が困っているのなら話は別だろうけど、そうじゃなさそうだし。
これを書いている増田さんが、受診を進めたとしても「親としておかしいのはアンタのほうだ。いつも子どもの躾をこっち任せにしておいて!」などと激昂されるのがオチではないかと思います。


これは本当に、どうすればいいのか……
「追記」を読んでいると、増田さんのなかで、ある程度答えは出ているような気もしなくはないのです。

愛情を持って娘をフォローし続けるってのが
現実的なラインだということは自分でもわかってます。


ネットでは、過激な意見が場を支配しがちなのだけれども(「まあまあ、ちょっと様子みてみましょうよ」みたいな人は、わざわざ書き込まない場合が多いので)、僕も、これしかないという気がするんですよね。
いや、もしかしたら、奥様のこういう状況って、育児ストレスで一時的に酷くなっているだけなのかもしれないし、なんらかの病気の可能性だって、否定はできない。
あとは、キツイかもしれないけれど、自分で引いている「分業」の枠を少しだけはみ出して「父親として、できることはどんどん自分でやっていくんだ」という姿勢を見せることも大事なのではないかな、と。
「パートナーの酷い子育て」の傍観者、批判者になってしまうと、結局、「何もやってくれない夫」「ほったらかしのお父さん」にしかなれないから。
こういう育児の嵐のなかに、積極的にコミットしていくのって、きついことだとは思うんですよ。
爆発しちゃうことだって、あるはず。
でもさ、結局のところ、親に代わりはいないのだし、ボロボロになりながらでも、やるしかないのかな、って。


もう小学生であれば、塾とか習い事とかを通じて、あるいは、おじいちゃん、おばあちゃんにお願いして、「ある特定の大人の価値観の影響を薄めること」も、ひとつの手段じゃないかな。
両親以外にも、いろんな考え方、生き方をしている大人がいて、答えはひとつじゃないんだ、ということを、実際にいろんな大人に接することによって、知るのって大事だと思う。
それが難しければ、せめて、本を読んで、いろんな価値観に触れてくれれば良いかもしれない。


こういうのを読んでいて痛感するのは、子育てには「正解」が無いってことなんですよ。


参考リンク(3):「ナンバーワン教育」と「オンリーワン教育」の終わりなき葛藤(琥珀色の戯言)


この「タイガー・マザー」みたいなのは「やりすぎ」のように思われるのだけれども、「子どものため」になる教育に、万人向けの「正解」って、無いんですよね。
「これはさすがにやっちゃダメだろ……」っていう「ものすごく悪い例」は共有できるとしても。


でもさ、こういう父親って、向こう側からみれば「育児を事業計画と同じように考えている、冷たい男」だったりするのかもしれないよね。


「愛情を持って娘をフォローすること」というか、「どんなに自分が不快な思いをしても、子どもにコミットしようとし続けること」が、たぶん、いちばん大事なのではないかと思います。


そうそう、「なんでこんな相手と結婚したの?」って言う人が多いみたいなのですが、こういう人って、自分の味方に対しては、努力家で、気配りができる面を見せることが多いんですよ。
こちらからは「健気につらい状況で闘っている人」のように見える(あるいは、相手がそう見せようとする)のです。
それは、異性からすると、けっこう魅力的な場合が多い。
ところが、このタイプの人は、相手によって、あるいはタイミングによって、「他人を攻撃せずにはいられない人」になってしまう。
昨日までは「信頼できるパートナー」だったはずの相手が、突然「ターゲット」になることもあるのです。
それは、相手が家族であっても同じこと。
まさか、こんなふうになるとは、思ってもみなかった……というような「変化」をみせる人っていうのは、いるんですよ。


僕だって、相手からすれば、そうなのかもしれないのです。
同一人物でも、相手との関係の変化によって、態度が大きく変わる人は少なくない。
「友達としては良いけれど、恋人としてはちょっと……」という人もいれば、「子どもがいない夫婦としてはうまくやれても、子どもがいると喧嘩ばかり」というケースもある。
これだけ離婚する人が多いというのは、「多くの人が、自分で思っているよりもずっと『人を見る目がない』」ということを証明しています。
あるいは、人間関係というのは、環境の変化による影響が大きいのだ、ということを。


人間って、わかんないよな、と。
もちろん、わかんないのは、悪いことばっかりじゃないんだけどさ。



他人を攻撃せずにはいられない人 (PHP新書)

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