いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「わからないものを、諦める」技術

先日、久々にガルシア=マルケスの『族長の秋』を読んだ。
前に読んだのはかなり昔の話で、内容はほとんど覚えていなかったのだけれど(「あの料理」の場面は、さすがに忘れられなかったが)、僕には難しくて、同じところを何度も読んだり、調子にのって字面だけを追っていたらいつの間にか数ページ分ワープして、あわてて前に戻って読み直したりしていたのは記憶している。


でも、今回は3時間くらいで読み切れた。
もちろん、再読というのはあるのだけれど、読みながら、「ああ、10代後半や20代の頃ほど、書いてあることを隅々まで理解しようとしなくなったな」と感じていた。


何年か前に、10代で一度挫折していたJ.P.ホーガンの『星を継ぐもの』を読み終えることができたときも、同じことに気づいたんだよね。


自分自身では、それが「老い」なのか「効率化」なのか、わからないのだけれども。


息子が塾でテストを受けているのだが、最初の頃は、なかなかうまくできなかったようだ。
最大の難点は、「解けない問題、時間がかかりそうな問題を、後回しにすることができない」ことだった。
だから、途中で引っかかってしまうと、それを解くためにひたすら時間を費やして、他の問題が解けなくなってしまう。


いまは、だいぶ要領よくこなせるようになってきたのだけれど、そういえば、僕も「解けない問題を、後回しにする」のが、苦手な子どもだったのだ。
「効率」を考えれば、後回しにしてしまったほうが良いのはわかっているのだけれど、「解けない」ことを見極めきれないのと、悔しさとで、その場で「俯瞰」することができなくなってしまう。
これをとばしたら、「満点」が取れなくなってしまう、と、こだわってしまうのだ。
どうせ、満点なんか、取れはしないのに。


たぶん、人間には「わからないからといって、とばさずに、突き詰めていったほうが良い時期、あるいは、そういう問題」もあるのだろう。
だが、多くの場合は、本のわからないところはとばして読んでも、後の文章でなんとなくその部分の意味はわかる。
というか、わからないところは、何度も読み返しても、そう簡単にはわからない。


時間が有限であることを考えれば「わからないものを、諦める技術」「とりあえず後回しにすること」というのは、けっこう大事な気がする。
完璧を求めれば求めるほど、完璧から遠ざかっていくのは、よくある話だし。


こういうのって、読書やテストだけじゃなくて、生きていると発生してくる諸問題にも、ありがちなことなんだよねえ。
「後回しにして、他のもっと重要な問題を解決すべき状況」なのに、目の前の優先順位の低い問題を「まずこれを解決してから」と、考えてしまう。


「速読」って、「頭の処理速度を上げて、大量の情報を短時間で処理する技術」だと思っていたのだけれど、あれは「要らないところをどんどん削ぎ落として、データ量を減らす技術」なんだよね。


しかし、普段「わからない問題も諦めずに粘り強く解いていこう」と説明している親が、「でも試験のときは別だから」って言うのは、子どもからすれば、納得いかないところもあるんだろうなあ。


族長の秋 ラテンアメリカの文学 (集英社文庫 カ)

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星を継ぐもの (創元SF文庫)

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