いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

志村けんさんが語る、「マンネリ」の力

参考リンク:第2回ブロガーミーティングに参加した感想 - (チェコ好き)の日記


ブロガーミーティングとかいうのもあるんだなあ、でも、イケダハヤトさんと顔を合わせるのは気まずいなあ(こんな感想も書いているので)、などと思いつつ読みました。


このエントリのなかで、僕にとっていちばん印象的だったのは、この部分だったのです。

今回このブロガーミーティングに参加した正直な動機として、何というか「このブログがもう“一周”してしまった」みたいなところがあったのです。もちろん角度や切り口を変えればまだまだ書くことはいっぱいあるんですけど、地味に2年近くやっているブログなので、大本の話は書き尽くしてしまったみたいな部分があります。

 ああ、わかるなあそれ……
 僕は賞罰なし、的なブログを長年書き続けている人間なので(本の感想メインのブログの初回は2003年2月ですからね……)、書きながら、「これ、前にも同じようなことを書いた記憶があるけど……」と思うことも少なくありません。
 ひとりの人間の経験や想像力で書けることには、やはり、限界があるわけで。
 毎日、斬新なことを思いつき、書くことができるような才能があれば良かったのだけれども。
 で、読む人のほうも、きっと「これ、前にも同じようなことを書いてたんじゃないの?」とか、「このブログ、マンネリだな」なんて思っているのだろうと想像してしまいます。
 そういうときは「まあ、2003年から読んでる人はいないだろうし!」とか、「これは強調したいことだから!」などと、自分に言い聞かせて、アップロードするわけです。
 本の感想をブログに書く場合には「入力したことを、すぐに出力できる」という利点があって、結局のところ、「続けられる才能があった」というよりは「続けられる題材を見つけ、フォーマットをつくることができた」のが、なんとか続いている理由なのかもしれません。
 

 書いている側としては、「このブログがもう“一周”してしまった」という感覚はよくわかるし、僕の場合はもう三周くらいはしています。そりゃもう、本人がいちばんよくわかっているのです。

 
「それでも続ける理由があるのか?」という問いに関しては、いやこれは僕にとって、日常の「張り」とか「趣味」なんですよ、としか答えようがないので、読んでくださる方には「マンネリですみません。それでも読んでくださって、ありがとうございます」と感謝しております。
 読む側にとっては、ネットには無数の読みものが存在しているわけですから、”二週目”になってしまったブログに付き合う義理などサラサラありません。
 心底飽きたら、他の”一周目”を読むことに切り替えてしまえばいいのです。
 僕自身も、そうしています。


 「マンネリ化」しているなあ、もうみんな飽きているんじゃないかなあ、という気分になったときに、いつも思い出す話があるのです。
 『月刊CIRCUS・2007年6月号』のインタビュー記事「志村けん、語る。」より。取材・文は長谷川晶一さん。

インタビュアー:ひとつのことを続けた結果、今では「コント=志村けん」という状態になりましたね。


志村けん金と時間がかかるコントは、もう誰もやらなくなったからね。昔はよく「マンネリだ」と批判もされたけどね(笑)


インタビュアー;確かに「ドリフはマンネリだ」という意見もよく聞かれました。


志村:でもね、マンネリであり続けることってすごく大変なことなんだよ。例えば舞台でもテレビでも、見ている人の期待、「次はこうなるよ」っていう期待を、そのとおりに演じるには技術が必要なんだよね。そして、たまにその期待を裏切って全然違うことをするから「あっ、そう来たか!」ってまた新しい笑いが生まれるんだから。


インタビュアー:「マンネリだ」という批判を恐れてはいけないということですね。


志村:以前、(ビート)たけしさんとも話したことがあるんだけど、ベタでわかりやすいネタって、タイミングだとか間だとか、腕が必要なんですよ。でも、今の笑いって意表を突いた笑い、一発ギャグだけでしょ。みんなマンネリになる前に終わっちゃうんだよね。


インタビュアー:その現状は不満ですか?


志村:今の若手は、お笑い専門じゃないからね。すぐにトークをしたり料理を食ったり、ネタをやらずに、お笑い以外のことに遊んじゃうからね。


インタビュアー:すると、若手で「面白いな」と思う人、「ライバルだ」と思う人はいませんか?


志村:ライバルはいないけど、面白いなと思うのは、タカアンドトシかな。彼らと一緒に飲んだこともあるんだけど、「欧米か!」のネタは絶対に「これからもやり続けろよ」って、アドバイスしたことがあるよ。つまり、それは「飽きるな」ということ。ギャグって、やっている本人たちがまず真っ先に飽きるもんなんだよね。僕なんかもそうだったけど「カラスの勝手でしょ」とか「ヒゲダンス」とかって、演じている本人が最初に飽きてくる。でも、日本全国に幅広く浸透するには、すごく時間がかかるんですよ。


インタビュアー:演じている本人と、それを受け取る世間との間に時差があるわけですね。


志村:時間差がすごくある。でも、浸透し始めて、そこで初めて本物になるんだと思うよ。だから、マンネリをバカにするな。マンネリを恐れるなということなんです。


 この話、2007年に雑誌に載っていたものなのですが(『CIRCUS』も、もう無くなってしまいましたね)、タカアンドトシは、2014年現在も「欧米か!」をやり続けています。もちろん、以前ほどの頻度ではないのですが。
 それはおそらく、志村さんのこのアドバイスがあったからこそ、なのでしょう。
 

 今年は、『サザエさん』とか、『笑っていいとも』のような「長寿番組」が話題になりました。
 これらの番組は、「マンネリ化しているようにみえて、世界観を維持しつつ、少しずつアップデートしてきた」のも事実ですし、『ドラえもん』を子供と一緒に観ていると、30年以上前に僕が観ていたものと比べると、だいぶ様変わりしているな、とは感じます。
 『笑っていいとも』や『サザエさん』については、僕自身も「もうマンネリ化していて、つまんないな、なんでみんなこれをずっと観ているんだろう?」と思っていた時期があったんですよ。
 それが、ある時期を過ぎると「そのマンネリ化していることの繰り返しに、みんなが『日常』を投影したり、その中での些細な変化を愉しむ」ようになってきたのです。


 たぶん、マンネリ化するくらい続けないと、達することができない「境地」みたいなものも、あるのだと思います。
 そして、「やっている本人が、いちばん飽きる」というのは、お笑いの世界の話だけじゃないのです。


「マンネリをバカにするな。マンネリを恐れるな」
 マンネリとかオワコンとか言われるようになってから、本当の「全盛期」が始まるのかもしれないのだから。