いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。

参考リンク:超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ




これで「炎上」しちゃうのか……と愕然としてしまいました。
現実的には、車掌さんの独断で、そういう特例措置をとるのは、よほどの非常時でもないと(たとえば大震災のような)難しいでしょうし、忙しい車掌さんの手を煩わすな!という批判もわかる。
緊急手術に向かう医者の前で、その病院に対するクレームを延々と言われてもどうしようもない、という感じかもしれません。
でもまあ、車内にいたこの人にとっては、その場でこれをアピールすべき対象は、車掌さんしかいなかったのでしょう。


ちなみに、ネット上での「まとめ」には、殺伐とした意見がことさらにピックアップされているように思われるのですが、実際は、この意見を擁護する人や「すぐに車掌さん個人の判断でグリーン車を開放するのは難しいだろうけど、この発言者がここまで責められるのはおかしい」と言っている人も少なからずいるのです。
あと、あくまでも僕がネット上で検証した範囲なのですが、現場にいた人によると「自由席や指定席で、お年寄りや子どもに席を譲ってあげている人もたくさんいた」そうです。


現場に遠いところにいる人は、火炎瓶をどんどん投げ込んでくるけれど、その場にいた人たちのなかには、自分の肉体的な苦痛を顧みずに、良心に従って行動した人がたくさんいた。
どうせネットで採り上げるのであれば、そういう人たちの存在こそ知らしめるべきではないか、とも思うのです。


しかしまあなんだ、なんでこんなにネットの一部の人々というのは、殺伐としているのか……
このひとを吊るし上げて、何か世の中良くなるのだろうか?


「グリーン車を開放したら、貧乏人どもがなだれ込んできて、グリーンの客は静かに旅行を楽しめなくなってしまう。そのために安くもない金を払ってグリーン車に乗っているんだからな。貧乏人は新幹線になんか乗るんじゃねえよ」


こういうのって、ツイートしている女性を責めているようにみえるけれど、本当は、僕たちみんながバカにされているんですよ。


一刻も早く脱出しなければ命の危険があるような事態ならわかりませんが、とりあえず、「いつかは動くだろうし、いざとなったら救出される手段もある新幹線の中」という状況で、グリーン車に座ることを目的に暴動が起こったり、大勢の人が仮病を使ってグリーン車に座ろうとすると、思いますか?


あの東日本大震災のときでさえ、外国の人たちが驚くほど整然と行動した日本人なのに。


グリーン車の席を持っている人だって、自分の席が召し上げられるのでなければ、具合の悪いお年寄りや妊婦さんが乗ってきたからといって「不公平だ!」と怒り狂うと思いますか?
そりゃ、快適な空間のためにグリーン料金を払っているのは事実でしょうけど、おそらくみんな粛々と座って、目的地に着くのを待つだけでしょう。
むしろ、グリーン車の乗客にも、「具合が悪い人は、ここに乗せてあげたら」と言う人のほうが多いかもしれません。


こういう「反撃しきれないであろう、顔がみえている個人」を攻撃対象にしている「炎上」って、やりきれないなあ、と思うのです。
「社会正義」とか「規範」は大事だけれど、「いまの常識は、これでいいのか?」と問いかける人に問答無用で圧力をかけ、黙らせようとすることで、誰が幸福になるのでしょうか?


「邪悪な人々」の存在をアピールして、人々の善意を凍らせていくのに、快感をおぼえる人たちがいる。
彼らは、いま他人を引きずり下ろすためなら、自分が将来不利を受ける可能性があることも、顧みないのです。
それとも、「自分だけはだいじょうぶ」という自信があるのだろうか。


このツイートは、ひとつの「提言」でしかありません。
それが正しいとか、正しくないとか、現実的とか、非現実的とかいう評価の仕方はあるだろうけれど、「さすが○○の娘だ」みたいなのって、「罪三族に及ぶ」とかいう時代の話なのでしょうか? そもそも、この人の親は犯罪をおかしたわけでもないのに(もちろん、仮に親が犯罪者であっても、子どもが責められるべきではありません)。


彼らがバカにしているのは、ひとりの発言者ではなくて、僕の、そしてあなたの「良心」なのです。
Twitterに世の中を変える力があるのだとしたら、こんなふうにしか「利用」されていないのは、あまりにも悲しい。

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