いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

秋の夜長は『横道世之介』とか観てみるのも、良いんじゃないかと思って。

◎内容◎
長崎県の港町で生まれた横道世之介(よこみちよのすけ)は、大学進学のために状況したばかりの18歳。
嫌味のない図々しさを持ち、頼み事を断りきれないお人好しの世之介は、周囲の人たちを惹きつける。
お嬢様育ちのガールフレンド・与謝野祥子をはじめ、入学式で出会った倉持一平、パーティガールの片瀬千春、女性に興味を持てない同級生の加藤雄介など、
世之介と彼に関わった人たちとは1987年の青春時代を過ごす。

彼のいなくなった16年後、愛しい日々と優しい記憶の数々が鮮やかにそれぞれの心に響きだす---。


僕にとって、「良い映画」には、2つのパターンがあるのです。
ひとつは、「その映画の世界にのめり込み、時間が経つのも忘れるような映画」。
そしてもうひとつは、「その映画に触れることによって、いままでの自分の記憶の引き出しが、思いがけず開いてしまうような映画」。
「面白い映画」は、少なからずあります。
でも、後者は、案外少ない。


この『横道世之介』、原作の小説も良かったのですが、この映画版も素晴らしかった。
基本的には「退屈な映画」なんです。


田舎から出てきた世之介が、大学で都会の「世間」という感じのものに触れ、さまざまな人と出会い、影響を与えあっていく。
いいヤツなんですよ、世之介。
誰でもひとりくらい知り合いの顔を思い浮かべられるような、「やさしくって、ちょっと馬鹿」。
サークル活動にはそんなに熱心に参加しないし、惚れっぽくていいかげんなところもあるのだけれど、困ったときに助けを求めると、イヤとは言えずに助けてくれそうなヤツ。


実際にこの映画を観ていると、かなり「平坦な展開」ではあるんですよね。
世之介が大学生活で出会った人たちとの短いエピソードが細切れに紹介されていく、ただそれだけ。
そこには「大きな物語」はないし、あっと驚くどんでん返しもない。
いや、ひとつ、この物語には「秘密」があるのですけど、それも、とくにもったいぶられることもなく、途中でサラッと観客は知ることになる。


僕はこの映画を観ながら、ずっと、自分の大学時代や20歳前後のことを思いだしていました。
もっと正確に言うと、昔の自分のことを思いだすのに夢中になってしまって、この映画の細かいところは、あんまり覚えていないのです。
そういえば、大学にあんなヤツがいたなあ、とか、クラブにも世之介みたいな人がいたなあ、とか、卒業してから会ってないけど、元気かなあ、とか。
そして、僕もあの頃はいろいろあったけど、そういう、いろんな人との関係の積み重ねで、ここにいるんだなあ、って。


160分くらいある、けっこう長い映画なんですよ。
人によっては、ものすごく退屈なんじゃないかと思います。
「誰にでも起こったようなこと」しか起こらないから(祥子ちゃんみたいな子にいきなり好かれる、なんていうのは、ファンタジーにも程がある、けどさ)。
でも、これがきっかけで、記憶の扉が開くのは、たぶん、僕だけではないはず。
そして、テレビのニュースや新聞の囲み記事で小さく名前が載っているような「ひと」にも、それぞれの人生がある、あるいはあったことを噛みしめてしまう。


ほんとうに「不思議な映画」なんですよね、これ。
もし興味がわいたら、月とこの映画を眺めながら、秋の夜長を過ごしてみてください。
なんだか、自分は案外幸せだったのかもしれないな、と思えてくるから。


ただし、僕はこの映画に、ひとつだけ大きな不満があります。


吉高さん、なぜあの海水浴のシーンで水着じゃないんだっ!!

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