いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

世界中のシラフの人々の眼前での「飲酒SNS」は危険すぎる。

参考リンク:東北大教授が「千葉滅びろ」(日刊スポーツ)

 東北大によると、教授は17日の試合後、「ロッテごときが」「逆らうものは地獄に落ちろ」などと投稿した。教授は「酒に酔ってやってしまった」と話しているという。


「国立大学の教授ともあろうものが」
「野球ファンなんて、こんなもんだろ」
「この話で、大学が謝罪するのは筋違いではないか」
「わざわざ『炎上』させて話を大きくするような問題なのか?」


 など、さまざまな論議を呼んだこの事例なのですが、僕の個人的な見解としては「この人は愚かなことをやってしまったけれど、そこまで大きな事件にする必要もあるまい」と考えています。
 というか、こんなツイートを実名でしている時点で、大恥かいているわけですし。
 いやほんと、カープファンとして、野球関連の掲示板とかを眺めていると、原爆関連でカープやファンを差別するような書き込みをしてくる人(もちろん匿名)は少なからずいますし、カープファンの巨人や阪神への敵意にも、同じカープファンながら「そこまで言うか……」みたいなものもあるんですよね。
 何かの熱狂的なファンというのは(単なる「荒らし」「愉快犯」もいるのでしょうけど、とくに原爆関連の書き込みをする連中とか)、往々にして、「相手チームのファンや、中立な人のほうが多いし、同じファンの間にも温度差がある」ことを忘れてしまう。


 この事例のなかで、もっとも教訓になったのは、この教授が「酒に酔ってやってしまった」と釈明しているところなんですよね。
 事実かどうかはわからないけれども、この場合、「酔っていたこと」は情状酌量の理由になるのかどうか。
 もしこれが、内輪の飲み会での発言なら、「酔っぱらって大言壮語や罵詈雑言が出てしまう」ことは理解しやすいのです。それはそれで内輪の誰かに迷惑をかけることもあるかもしれませんが、当事者以外があれこれ言うべきことではありますまい。
 多少過剰なことを言われても、酔っ払って、ろれつもまわらなくなっている人を目の当たりにしていれば「しょうがないな……」と思う可能性が高いでしょうし、そもそも、一緒にお酒を飲んでいる時点で、それなりの面識や関係はあるはずです。

 ところが、SNSはそうじゃない。
 相手の状態がみえないから、そこに書いてある言葉だけで判断されてしまう。
 書いた本人が「失恋直後」「家庭不和」「大事な人の死」「闘病中」など、さまざまな「状態異常」にあったとしても、それはあくまでも「隠しパラメータ」なんですよね。
 いちいち「発言者が病気かどうか」まで調べてから、腹を立てる人なんていない。

 酔っ払って「出来心で」書いたのだとしても「日頃お世話になっているから」「ストレスたまってそうだものな……」なんて許してくれる人は、誰もいません。
 「好きで酒飲んで酔っぱらっている癖に、それを理由にするな!」って、むしろ怒りが増すだけです。

 id:p_shirokumaさんが、著書『「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?』のなかで、こんな話をされています。

 日常生活が充実し、落ち着いた精神状態のときには、安全なネットライフを心がけるのはそれほど難しくありません。まあ、ほとんどの人は大丈夫でしょう。しかし、アルコールが入っている状況・非日常的な事態に出くわして舞い上がっている状況・寂しくて仕方ない状況では、案外、タガが緩んでしまうことがあり得るのではないでしょうか。スマートフォンが普及した今、やさぐれた気持ちのときも、失恋して焼酎を飲みまくっているときも、芸能人に会って舞い上がっているときも、いつでもどこでもネットに接続できてしまえるのですから。
 だから、私やあなたがネットで炎上してしまうか否かを考える際には、自分のベストコンディションを前提条件とすべきではなく、最低最悪のコンディションを想定すべきです。ネットでの大火傷を、一部の極端な人たちの愚行とみなすのでなく、普通の人が最低最悪のコンディションのときにたまたま悪手を打ってしまったと想定してみると、他人事と笑って済ませられる人は少なくないはずです―—少なくとも、優れない精神状態のときにネット通販で衝動買いをしてしまったことのある人や、怒りに任せて余計なことをネットに書いてしまいプチ炎上した経験のある人にとって、対岸の火事では済まされないものがあると思うのです。

 id:p_shirokumaさんも、泥酔状態で「覚えのない記事」をアップロードしてしまったことがあるそうです。
 幸いなことに「大事には至らなかった」そうですが。


 今回の「千葉滅びろ」の一件で、僕があらためて思い知らされたのは「酔っぱらってSNSで発言するのは危ないな」ということだったんですよね。
 僕も、学生時代に酔っぱらうと、友達の家に電話をかけてしまいたくなるという悪癖があり(淋しかったのでしょうね)、危ないなあ、と注意しています。
 それでも、酔うと「タガが外れる」というのは、よくある話です。
 で、ブログの記事って、酔っぱらって書くと、けっこうサラサラと調子よく書け、またウケたりすることがあるんですよねこれが。
 そういうのが、危ないんだよねえ、本当に。


「国立大学の教授の癖に、バカだなあ」と嘲笑するよりも、「国立大学の教授になるような人でさえ(っていっても、学問の世界では、人間性と地位が比例するわけじゃないですけど)、酔っぱらっていて、贔屓の野球チームが大舞台に臨むとなると、こんなバカバカしいことをやってしまうのだ」と自戒しておくべき話なのではないかと。

いやほんと、いつも自分が「炎上させる側」でいられるとは限らない時代だからさ。


「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?―

「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?―

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