いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

誰かに「好き」って言われることが、ずっと苦手だった。

参考リンク:片思いはセクハラにしてほしい(はてな匿名ダイアリー)


片思いとかそれに伴う行動というのは、傍からみればかなり「気持ち悪い」ものなのですが、あまりに多くの人が罹患する病であるために、きっとみんな大目に見ることにしているのでしょう。
あまりに極端な行動が伴わなければ。


大学時代に、ある女の子から、こんな話を聞いたことがあります。
彼女はいわゆる「清楚系美女」で、賢くて真面目で性格も素直、多くの男にとって、憧れの存在でした。


とある席で、同性の友人のひとりが、こんなことを彼女に言いました(少しアルコールも入っていたのです)。
「○○さんはモテるからいいよねえ。私なんかもう、全然ダメだわ。うらやましいよ」
「そんなことないよ〜私だって、全然」
そんなふうににこやかに答えていた彼女だったのだが、その友人が席を外したとき、少しだけ苦い顔をしながら、こんなことを誰にともなく、口にしていたのです。
「そんなにモテる、ってわけじゃないんですけど、誰かに『好き』って言われるのが、ずっと苦手だったんですよね……」
「えっ? 何それ? 僕なんかにすれば、うらやましいかぎりなんだけど」
「そうですよね……こんなことを考えちゃいけない、とは思うんですけど、自分にとって意識していなかった相手に『好き』って言われるのって、ちょっと怖いんです。どうしていいのか、わからないところがあって。こっちも好きならいいんだけど、そうじゃない場合、「お断り」しなきゃいけない。でも、そうやって、自分に好意を持ってくれている人を拒絶するっていうのは、けっこう疲れるというか、自分が嫌になってしまうところがあって。そういうのが続くと、そして、相手が「本気」であればあるほど、くたびれちゃうんですよ。好きになってもらえるって、ありがたいことじゃないですか。でも、だからこそ、邪険に扱えないところもあって……なんだか最近、そういうのが、とにかくめんどくさくなってしまって……」


僕は当時から、非モテ界のゲーリー・グッドリッジを自認していたんですよね。
この言葉に対して感じたのは、「なんと贅沢な悩みなんだ!」というのが半分、「そうか、大好きだと言われるのは、ある意味、嫌われるよりもめんどくさいところがあるのだな」というのが半分でした。


たしかに「好きというのはポジティブな感情だ」というイメージが、人を苦しめることもあるのかもしれません。


それに「大好き!」とか「ものすごく信頼してます。あなただけです!」というような強い感情を投げつけてくる人って、自分が気に入らない状況になると、手のひらを返したように「大嫌い!」「あなたは私を裏切った!」と攻撃してくることが多いのです。
これは、恋愛に限らず。


「大好きです」「あなただけが頼りです」って、ずんずん迫ってくる人が、僕は怖い。
こういう人は、少しでも噛み合なくなると、「あなたは(私のイメージを)裏切った」「こんなに信頼しているのに、なぜ私の思い通りに動いてくれないのか」という極端な悪意をふりかざしがちだから。


芸能人とか有名人とか、モテていいなあ、とか昔は思っていたんですけど、あれだけの熱量の「好き」に耐え続けるのって、ものすごくキツいだろうなあ。
歌やダンスの上手さや、当意即妙の受け答えよりも、「たくさんの『好き』にも押しつぶされない強さ」みたいなもののほうが、大スターには重要なのではなかろうか。


まあ、このへんは、僕にとっては生涯「実感」はできない世界なので、あくまでも無責任な立場からの推測でしかないのですけど。


先日、本当に久しぶりに彼女にあったら、なんだか「普通」になっていました。
そして、「普通」になった彼女は、けっこう幸せそうにみえました。

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