いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕が生まれたのは「昭和」でした。

『昭和の日』ということで、昭和天皇についてのエピソードなど。


「週刊SPA!2006.8/15・22合併号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三福田和也『これでいいのだ』」第203回より。


(終戦後の昭和天皇の「ご巡幸」について)

福田和也記録映像に残っている、戦後の広島に行幸したときの昭和天皇は凄いよね。本当に神々しくて、まだ焼け野原で何も建っていないところにさ、バーと群集が集まってきて。


坪内祐三神々しいしさ、ちょっとロックンロールしてるよね。


福田:戦前の天皇は堅苦しい存在で、白い馬に乗って軍服着たような写真でしか見ることができなかったわけだから。


坪内:天皇のイメージを固定するために国民には「御真影」という写真だけを見せて、生身を見せないようにしていたんだよ。それが戦後、「生で出るぞ」というかライブで行くぞと。そのライブのノリの、あの昭和天皇のロックな感じがスゴイんだ。


福田:昭和天皇が全国を行脚した「ご巡幸」って、最初は地方のライブハウスにちょっと行くみたいに横浜の小さな工場なんかに行きながら、国民の反応がいいから、ちょっと一発大きな所でやるかというので、広島に行ったりね。


坪内:炭鉱のオヤジみたいな帽子をかぶってみたり。


福田:あれは北海道かな、どこかの製鉄工場に行ったときは、やっぱり組合が強かったんだろうね。天皇の頭上に鉄骨をガーッと走らせてみたり、いろんなことをして……ひとりの労働者が、警備やおつきの人間を押しのけて天皇の面前に現れて「陛下、握手を」と言ったら、昭和天皇は「いや、日本人だから、挨拶をしよう」とお辞儀で切り返したり。


坪内:カッコいいよね。天皇って、戦後、ものすごく一般の人たちと近づいたんだよ。なのに敗戦から7~8年で、もう距離が出はじめちゃって。それに対して、天皇侍従長だった入江相政が昭和28年の『文藝春秋』に批判を書いたよね。「天皇をまた雲の上に乗せるのは誰だ」と。


福田:昭和天皇はあれだけ強力な人だから、吉田茂のような人間なら大丈夫だけど、ほかの政治家ならカシコまって、かえって戦前よりも天皇が神聖っぽくなっちゃうでしょ。


坪内:昭和天皇って1901年生まれだから、戦争が終わったとき44歳なんだよ。つまり、今の福田さんやオレより若いんだ。だから、焼け跡の戦後日本でロックンロールしていくわけですよ。


昭和天皇のお食事』(渡辺誠著・文春文庫)より。

宮内庁大膳課の和食担当として大膳厨房係に26年間勤めた著者の「昭和天皇のサンドイッチ」の思い出)

 そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、それまでの九つ切りから十二切りにしました。しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入りパンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
 大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然のことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
 切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。表面がデコボコになってはいけない。切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
 ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
 そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
 このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
 主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
 そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
 おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」
「イチゴジャム」
 とまたおっしゃる。
 生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
 そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
 サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
 職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
 女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことをお伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に「美味しいね」というお声が耳に入りました。私が作ったわけではありませんが、自分に言われたことのようにうれしくなりました。
 たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いておっしゃっておられたように思います。
 私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
 これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。


 僕は昭和40年代半ばの生まれなので、物心ついたときには、昭和天皇は「おじいちゃん」だったんですよね。
 当時は「天皇制の是非について」が真剣に語られていましたし、僕も「生まれながらの天皇という存在は、なんかおかしいんじゃないか」と十代の頃は、真剣に考えていたのです。
 いまの若い人たちは、そういうことについて、疑問に感じることはないのだろうか。
 いまはもう、そんなことは考えなくなったというか、天皇あるいは皇室の一員ということによる責務を、苦悩を見せずに果たされている人々に、敬意を持たずにはいられなくなりましたけど。


 僕が生まれたのは「昭和」でした。
 そして、「昭和」が終わるなんて信じられないというか、ずっと昭和で良いんじゃないか、とか、なんとなく思っていたのです。
 昭和が終わった日の朝、寮で誰かが「昭和天皇が死んだ!」と大声で叫び、寮中がざわついたのを覚えています。
 あのざわつきの半分は「今日、学校の補習が休みになるんじゃないか」という期待感だったのでしょうけど(ちなみに補習は予定通り行われました)。


 職場にも「平成生まれ」がどんどん入ってきて、「はじめて遊んだゲーム機は、スーパーファミコンです!」とか言われて、俺はゲームウォッチだったのに……と面食らったりもしています。
 昭和のはじめの頃に生まれた人は、もう90歳近くになっているんですよね。
 僕が仕事をはじめたときには、患者さんには大正生まれの人がかなり多かったし、明治生まれも少なからずいらっしゃいました。
 昭和の頃は、両親がいて、兄弟がいて、学校の友達がいて……体育と女の子が苦手で、プライドだけは高くて、何かができるはずだと思い込んでいた僕がいて。

 
 多くの人が去っていって、僕はまだ、ここにいます。
 自分たちでつくってきた家族と、新しい友人と、昔よりさらに言う事をきいてくれなくなった身体とともに。


 昔の僕にとっては予想外のことなのですが、僕は昭和よりも「平成」の世界を長く生きています。
 でも、なんとなく自分のなかでは「昭和から来た人間」のような気がしています。
 

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

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