いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『逃げるは恥だが役に立つ』第8話について、めんどくさい男が、また語ってみます(『逃げ恥』ファンは読むと不快になるので要注意)。


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『逃げ恥』第8話、相変わらずガッキーはかわいかったし、『情熱大陸』パロディもベタながら面白かった。でも、明らかにキャラがかぶりそうな同年代の市会議員立候補希望者って、あの人にとっては困るだろうな。


なかなか正直になれず、「自分の都合」ばかり考えていたひらまささんが思い切って率直になった場面は、観ていて本当に「すごいなこの人」って思いました。
酔っ払っていたとはいえ、同僚に「僕はあなたとは違うんです」って思いっきり食ってかかったのもある意味みくりさんに電話したことよりもすごかった。あれは社会人として、なかなかできることじゃない。福田康夫元総理のことを思い出してしまいました。
……というか、辞める直前とはいえ、総理大臣の立場であれを言った福田康夫さんって凄いな、あれは捨て台詞レジェンドだ。


で、ドラマのストーリーについてのことなんですが、この第8話、なんだかもう観ていてあれこれ考えさせられる話ばかりで。
これまでの数話は、どちらかというと、みくりさんとひさまささんが、どうやって歩み寄るのか、みたいなのをもどかしく観ていたのだけれれど、今回、「職場放棄」の前にちゃんとごはんをつくって、それぞれに「元気が出るようなメッセージ」を書き残していたみくりさんをみて、僕はこの話を思い出してしまったのです。


togetter.com


もう、このTweetは見ることができないのですが(それは当事者にとっては賢明な判断だと思うし、それをいまさら掘り起こしてこういうふうに言及するのはゲスなのは承知しています)、結婚当初、仕事で遅くなった夫に、先に寝た妻が、栄養のバランスにも気を配った美味しそうな夕食とともに「丁寧な字で、料理の説明、そして、夫を元気づける心のこもったメッセージを残してくれた」ことが紹介されています。
本当に、「いい夫婦」だなあ、って思いながら、僕もこのTweetをみたのですが、こんな夫婦でも、6年半後には離婚することになってしまった。理由はよくわからないんだけれど。
諸行無常というか、人の感情なんて、移ろいやすいものだよなあ、と。
恋人時代や新婚時代のような「相手を思う気持ち」は、多くの場合、生活とか日常の前に雲散霧消してしまう。
たとえ、初期がどんなに情熱的で素晴らしいものであったとしても。
もちろん、そうやってゆるやかに過ぎていく日常や家庭生活にもたまらない魅力はあるのです。
しかしながら、大概において、それはそんなに甘美なものではありません。


僕は『逃げ恥』原作未読なんですけど、「みくりさんのような可愛い人、そりゃ好きになるよね」って思うんですよ。
でも、その一方で、ひらまささんが求めているものとか、現在の状況とかを考えてみたら、「この先」は、どうだろうか。
いま、月額19万4000円で、みくりさんは家事全般を「仕事」としてやってくれています。
雇用する側とされる側、という関係なわけです。
ひらまささんは、お金でみくりさんの「家事能力」を買っている、とも言える。


では、ふたりが「恋人」や「夫婦」になったら、どうなるのか?
それは「お金を払うことによって、罪悪感なく家事を全部やってもらえる関係」の終焉でもある。
少なくとも、今までのように「仕事として家事をすべて受け持ってくれる」ことはありえないでしょう。
いやもしかしたら、最初の「ハネムーン期」はそうしてくれるかもしれないけれど、みくりさんは基本的に「外で仕事をしたい人」だからなおさら。


家事を分担するようになったり、育児をしたりしなくてはならなくなったとき、それでも、ひらまささんは、みくりさんを現在と同じように好きでいられるだろうか?
「家事能力がない夫」に、みくりさんはもどかしさを感じないだろうか?


「お金は自分が稼いでくるから、家事は全部やってくれ」というのは、「契約結婚」のルールとしては「有り」でも、この2016年の日本の夫婦関係としては、「少なくとも望ましいとは言えない」ものでしょう。
世の中にはいろんな夫婦関係があるのだけれど、なんというか、お互いに対等であろうと競い合ったり、完璧を目指そうとしてしまえばしまうほど、陣取り合戦のようになってしまうのです。


僕は最近、思うんですよ。
夫婦関係って、どちらかに問題があって(お酒とか異性関係とか暴力とか)うまくいかなくなることも多いけれど、お互いに経済的に自立できるくらいの収入がある、もしくは、やりたいことがあると、「一緒にいる必要を感じなくなる」こともあるんじゃないかな、って。
逆に言えば、恋愛には利害関係の要素は乏しくても、長い間夫婦としてやっていくためには、「お互いに支え合っていくのがちょうど良いくらいの補完関係」が成り立っていないと難しいのではないか、と。
実際に、片親の家庭は経済的に貧困に陥っていることが統計上多いし、「助け合う必要を感じないから別れてしまう」割合のほうが少ないのだとは思います。
ただ、現代のように、いろんなことが外注できるようになると、ひとりで暮らしたほうがラク、あるいは、結婚生活のメリットを感じない、という人は増えていくのが自然なかたちなのかもしれない、という気がするんですよね。
僕はそれを高らかに「自立の時代だ!」とか言えるほど開明的な人間ではなくて、いろんなことに戸惑ってばかりです。
なんのかんの言っても、人は自分が育ってきた家庭に「夫婦や家族のロールモデル」を求めがちで、それは、すでに30年くらい前の遺物でしかない。


こういうことを考えてしまったのは、このエントリを読んだからでもあります。
p-shirokuma.hatenadiary.com


みくりさんとひらまささんは「契約結婚」としてはベストな関係でも「対等な夫婦」としてうまくやっていくのは難しいのではないか?
そしてそれは、どちらかが悪いとか責任があるとかじゃなくて、「価値観が違う人間が、こういう形で出会ってしまったことによる悲劇」なのではないか?


ごめんね、本当に。
僕はこのドラマが大好きだし、ガッキーは本当にかわいい。
フィクションだということは百も承知です。
でも、人は恋に生きることはできても、恋で生活を続けることは、たぶんできない。
いろんなことが自由になり、外注できるようになり、得意なことだけやれば生きていける世の中では、人と人は、適度に距離を置いて生きるようになるほうが「自然」なのではなかろうか。
それは人類にとっての進化の一過程であるのと同時に、ものすごい痛みを感じる人も少なくないのではなかろうか。
そもそも「契約結婚」というのはおかしな言葉で、「結婚」そのものが単なる「契約」ではないのか。現代では、ものすごく「重い契約」であるだけで。


何書いているんだろう、僕は。
さっきまで、「今年の忘年会は『恋ダンス』ばっかりだろうな」なんて思いながら観ていたのに。


ただ、最近は、そこからまた一周まわってくるような感じで、「永続するものではないのなら、なおさら、いま、この素晴らしい瞬間を大事にするべきだし、そういう時間が一時的にでもあったのならば、それで十分(本音としては八分くらい)なんじゃないか」とも思うようになったんですよね。


最後に、安西水丸さんの娘さんの結婚式に、村上春樹さんが寄せたメッセージをご紹介しておきます。

 かおりさん、ご結婚おめでとうございます。僕もいちどしか結婚したことがないので、くわしいことはよくわかりませんが、結婚というのは、いいときにはとてもいいものです。あまりよくないときには、僕はいつもなにかべつのことを考えるようにしています。でもいいときには、とてもいいものです。いいときがたくさんあることをお祈りしています。お幸せに。

そして、生活はつづく。


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きみは赤ちゃん

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そして生活はつづく (文春文庫)

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