『人生とは勇気』(児玉清著/集英社文庫)という本のなかで、児玉清さんが、こんなふうに書いておられます。
僕は、勇気をもって正直に、だめなことはだめだということが大切だと思います。ひとつ、参考にバートランド・ラッセルの言葉を紹介しましょう。
人間が協力するには三つの要素しかないと彼は言っています。一つは、子孫を繁栄させるための男女の愛。男と女が協力することですね。
二つめには恐怖。怖いから協力する。恐怖政治もそうでしょうし、かつて専制君主制を敷いた王国はみなそうだったでしょう。今の子どもたちも怖いものがないから、恐れで治めることができませんね。怖いものがなければ従わない。協力もしない。国家が怖くなければ、警察も怖くない、親も怖くなければ、学校も怖くない、先生も怖くない。何にも怖くないから、みんないじめや暴力に走る。それを抑えられない国というのは不思議ですよ。
三つ目の協力の要素は、不正な利得にあずかりたい、分け前にあずかりないという欲望です。残念ながら政治家にそれは多いと彼は書いているんだ。1933年にすでにそのことを言っている。
この三つさえ見れば、おのずと人間がどういう形で集まっているかわかる。愛があるからそこにいるのか、怖いからそこにいるのか、不正な利得にあずかりたいからいるのか。この三つに照らして見れば、おのずと人間が見えてくる。けだし名言なのです。
バートランド・ラッセル(1872- 1970)は、 イギリスの哲学者、論理学者、数学者、貴族。
この人の言葉には、
「不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです」
などというのもあって、かなりシニカルな物の見方をする人ではあったのでしょうね。
僕はこの児玉さんが紹介している言葉を読んで、「でも、他に何か忘れていないだろうか?」と考えていたんですよ。
愛情、恐怖、欲望、それ以外に、人と人が協力するための要素はないのか?
……ああ、そうか。
このバートランド・ラッセルの言葉が正しいのであれば、「人間は『正義』のために協力することはできないのか……」と思いあたったのです。
しかし、あらためて考えてみると、人間が「純粋に、正義のためにだけ協力する」という状況は、ありえるのだろうか?
「一緒に悪いことをして、ともに不正な利益を得る」ためには協力しても、「一緒に正しいことをする」ために、長いあいだ協力しあうというのは、たいへん稀なことのように思われます。
その「正しさ」に「利益」や「愛情」が伴っているのなら別ですが。
逆にいえば「正義」だけで、人を動かすことは、基本的に無理だと考えたほうが良いのかもしれません。
「これが正しいのだから、みんなは自分の言うことに従うべきだ」と声高に叫ぶ人が、身体的、社会的な生命を全うした例は少ない。
「正しさ」を主張するより、愛されるようにつとめたほうが、結果的には、人を動かせる、ということでもあるのでしょう。
人生とは勇気 児玉清からあなたへラストメッセージ (集英社文庫)
- 作者: 児玉清
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/10/17
- メディア: 文庫
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